7 過去編 コンフラリアと女の子
有明海に太陽が沈む。
赤く燃えた海を見てから人々は山へと向かった。
大矢野島にある小さな山である。
刻々と夕闇が迫る中、山道を歩いていく。
「コンフラリアはこの先の小屋で行われるのじゃ」
甚兵衛は四郎に教えた。
四郎はぎゅっと甚兵衛の手を握った。
周囲を見る。
自分達と同じように人々が歩いている。
「みんなコンフラリアに参加するの?」
「うむ。キリシタンにとっては大事な集会じゃからのう」
「そうなんだ」
宵闇の中の歩行はさほど長引かなかった。
一行はぞろぞろと古びた小屋へ入っていく。
空には三日月が冴えていた。
四郎にはどこか現実離れした光景に映った。
甚兵衛に従い小屋へと入る。
"わあ"
息を呑んだ。
さほど大きな小屋ではない。
自分の家より一回り大きい程度だろう。
けれどどこか厳かな雰囲気があった。
キリシタン達が集まっているからだろうか。
いや、違う。
人々の中心に座っている一人の男のせいだろう。
黒い修道服からパードレだと分かる。
「あの人誰?」と四郎は聞いた。
答えたのは甚兵衛ではなかった。
「パードレの中浦ジュリアン様よ。今日のコンフラリアのミサを取り仕切ってくれるの」
驚き声の方を振り向く。
赤い絣の着物、次いで白い顔が四郎の視界に飛び込んできた。
柔らかな黒髪はおかっぱに整えられている。
岸に着いた時に手を振ってくれた女の子だと分かった。
どう答えるべきか迷い結局「そうなんだ」とだけしか言えなかった。
女の子は微笑みで応えた。
「こんにちは。あ、夜だから今晩はかな? 私、ユスティナって言うんだ。これ洗礼名だから普段の名前はりんなんだけどね」
物怖じしない相手に四郎は戸惑った。
「ヨハネ四郎です。肥土から来た」と言うのが精一杯だ。
「肥土からなんだ。私は雲仙から。普賢岳って知ってるよね。あの近くだよ。と、そろそろ始まるからまたねっ」
それだけ言って、女の子は人の中に紛れて消えた。
四郎はぽかんとしてしまった。
自分と同年代の子に気安く話しかけられるとは思っていなかったのだ。
けれども不思議と嫌な気分ではなかった。
「どうかしたか?」
「ううん、何でもない」
甚兵衛に聞かれ慌ててごまかす。
いつの間にか小屋は人で埋まっている。
その場のキリシタン達のざわめきが徐々に落ち着いてきた。
視線が一人の人物に注がれる。
その人物ーーパードレの中浦ジュリアンが立ち上がった。
黒い修道服が揺れた。
「今宵集いし者達に祝福を」
低い声が流れた。
顔は痩せている。
栄養不足のせいか顔に吹き出物があった。
それでもジュリアンは語り始めた。
「始めましょう。我らキリシタンの集いを」
その言葉を合図として祈りの声が響き始めた。
小屋の中には蝋燭が灯されている。
ゆらりと蝋燭の火が揺れる度、信者達の影も揺らいだ。
祈りが続く。
ジュリアンはゼズスの教えを説いている。
不思議な空間であった。
四郎はじっと耳を澄ませる。
一言一句聞き漏らさないように。
その内にジュリアンが雲仙岳での殉教について語り始めた。
「松倉様はもともとキリシタンについて理解がある方でした。けれども幕府の命により今では徹底的にキリシタン弾圧を行っております」
ジュリアンは一拍置いた。
ゆっくりと左右を見渡した。
「松倉家の奉行らはキリシタンを捕まえ雲仙普賢岳へ連行します。かの温泉地は殉教者でいっぱいです。酷い有様です。火刑もただ燃やすのではありません。遠巻きに火を焚いたり水で濡らした薪を燃やし、煙責めにします。そうやって信者を苦しめ信仰を捨てろと迫るのです」
四郎は息を呑んだ。
そうした拷問を聞いたことはある。
けれども現役のパードレから聞く拷問の様子はただただ恐ろしかった。
「指を一本一本切り落とされる者もいます。死なない程度に背中を切られ、そこに温泉の煮え湯を流し込まれる者もいます。温泉の硫黄臭と血臭が混じり、死臭もかくやと言わんばかりです。ですが」
ジュリアンは一度言葉を切った。
間違いなく肉体的には衰弱しているはずである。
それでも彼は力強く語り続けた。
「皆、誰一人として信仰を捨てません。棄教しないのです。何故か? デウスの下では永遠の命が得られることを知っているからです。地獄のごとき苦しみを耐え抜けば永遠の楽園へ召される。そのことを心に刻んでいるからです。これが信仰の力です」
その場のキリシタン達は息を呑んでいる。
四郎もまた同じであった。
デウスを信じることにより、ただの人間がそこまでの信仰の高みに登り詰めるのか。
登り詰められるのか。
デウスは何を人に教えようというのか。
胸の内に湧く疑問は好奇心と同義であった。
幼い瞳を凝らしジュリアンに集中させた。
「ゼズスが十字架にかけられたことはご存知だと思います。あの十字架は人間の罪の償いそのものです。キリシタンに代わってゼズスは人の罪を背負ったのです。ゼズスによって人間は本当の人間になれるのです。ゼズスによって人間はデウスのもとへ召されるのです。この肉体が滅んでも新たに霊的な存在として生まれ変わる。それが永遠の命、永遠の幸福を得るということなのです」
ジュリアンが話し終わった。
疲れたのであろう、その場に座り込む。
キリシタン達が茶を差し出す。
小屋の厳かな雰囲気の中に適度に緩みが生じた。
四郎はほぅ、と息をついた。
衝撃が四郎の思考を痺れさせていた。
だからすぐには気がつかなかった。
「パードレ様の話凄かったね、四郎君。どれだけ辛くてもゼズス様を信じることが大事……か」
「え、あ、うん」
いつの間にか自分の隣にあの女の子ーーユスティナ、あるいはりんーーがいた。
戸惑う四郎には構わず更に話しかけてきた。
「デウスのもとってどんな感じなのかな。知りたくない? パードレ様に聞けば教えてくれるかな」
「僕も知りたい。ええと、ユスティナ? りん?」
「ああ、名前? どっちでもいいよ、呼びやすい方で」
「じゃあ、りん。後でパードレ様に聞いてみよう。僕も色々聞きたいことがあるから」
同年代の子供が他にいないからだろう。
自然に四郎とりんは会話していた。
どちらかといえば四郎は人見知りする方である。
けれどりんの人懐こさが四郎の警戒心を解いていた。