5 原城でやりたいことは
海を渡れば原城まではすぐだった。
東と南に有明海を臨む位置に原城は建てられていた。
そこから北には雲仙普賢岳を見ることができる。
西側は崖が多く天然の防御壁となっていた。
攻める側からすればかなり厳しい城である。
「有馬家がこの地を治めていた頃は原城も使われていたのですが」
宗意軒がぐるりと周囲を見渡した。
そこかしこに雑草が生えており、どこか荒んだ印象があった。
「松倉家になってからはほとんど使われておりません。今は見ての通り廃城と化しております」
原因は色々あるが主原因は水源だろう。
城の周囲の川は溝のような細い水流が二本だけ。
頼りない水量である。
四郎も確認したが「枯れかけてはいないか」としか言いようがなかった。
「左様ですな。まあ水については井戸もあるのでそれを使いましょう」
「ぎりぎり籠城に使えるくらいか」
不安だが仕方ない。
原城が廃城となったのは城の居住が無理というより、むしろ城下町の発展が見込めないためらしい。
生活用水が不足しては人は集まらない。
ともかく四郎らとしてはこの原城を活用するしかない。
急ぎ城の再普請を進めた。
「本丸と二の丸の間の濠に茅葺き小屋を建てよう。寝起きするために必要だ」
「濠に立っている柱はどうする?」
「高さを揃えて横木を通せ。隙間に竹を支えとして植え込むのだ。こうすれば柵となる」
「お、なるほど。まだ空いている箇所には船板を貼り付ければよいな。これで当面の防御はまかなえる」
男達がてきぱきと動き、最低限の準備は出来ていった。
その間に女衆は旗や幟を作っていた。
これは士気を高めるためである。
「旗は普通の白地の布木綿でいいよねえ」
「そうね。で、肝心なのはここに十字架を描くこと。せっかくだから目立たせないと」
「墨の黒か紅を使うかね」
こうして旗や幟が原城のいたるところに取り付けられた。
晩秋の風に無数の十字架が翻る。
廃城にキリシタンの息吹が吹き込まれたようだった。
幕府軍はまだ姿を見せていない。
四郎らは一揆勢の入城を急いで進めていく。
城の周りに人が群がっていた。
この一ヶ月余りで一揆勢の数は膨れ上がっている。
村全体で決起し一揆に参加しているのだ。
庄屋以下、村人全員が決起すれば相当な数になる。
今や農民の散発的な一揆と見過ごせる規模ではない。
「島原領から約二万四千の人数が合流しております」
「天草領からは約二万一千。合わせて約四万五千か」
「これだけの人数がいれば幕府恐るるに足らずじゃのう」
「食糧も松倉領から奪ったものがある。米が一万石、雑穀が五千石はあるぞ」
一揆勢の重臣達の意気も上がろうというものだ。
無理はない。
数万超の人数による一揆など前代未聞である。
「この世にキリシタンの楽園を」と意気揚々となっている者もいる。
こうして籠城の準備が進んでいった。
そして四郎が入城したのは十二月三日であった。
本丸へと進む。
"ここなら大丈夫だな"
入城して四郎は本丸の内部を見て回った。
廃城だったとはいえ造りはしっかりしている。
壁は分厚く柱は太い。
安心感が胸の内に広がった。
何より四郎が求めていた場所がこの城にはある。
「宗意軒殿。原城には地下室があるというがそこを使わせてもらえないか」
「確かにありますが」
四郎の問いに宗意軒は首を傾げた。
四郎は説明を付け加える。
「籠城ともなれば死傷者も出る。地下室を安置所とし、死者の弔いの場としたい。僕が祈りを捧げよう」
「なるほど。結構です。すぐに地下室を片付けさせましょう。この戦いで命を落とした者も四郎様に弔ってもらえるなら本望でしょう」
「お願いします」
礼を言い四郎は背を向けた。
そのため宗意軒には見えていなかった。
四郎がこの時浮かべていた表情が。
"もうすぐ、もうすぐだ。僕の願いが叶う時が"
四郎の目には。
狂気の色が滲んでいた。
† † †
一揆勢が入城していた頃、幕府軍もただ手をこまねいていたわけではない。
板倉重昌の指揮の下、各軍勢は原城を見張るように陣を敷いていた。
城への攻撃は控え万全の準備を整えている。
仕寄と呼ばれる前衛陣地を構築に取り掛かった。
材料となる竹、材木、土を運び工事を始めた。
だが一揆勢が黙って見ていたわけではない。
「鉄砲と矢で迎撃してやれ!」
号令一下、原城からの攻撃が届く。
この攻勢に耐えながらの陣地構築は至難の業だ。
それでも何とか完成までこぎつけた。
十二月十八日、暮れも近い頃であった。
高い櫓が組まれ大砲が据え付けられた。
板倉にとってはいよいよ城攻めである。
気が急く。
というより急かざるを得ない。
"まさか伊豆守が乗り出してくるとはのう"
板倉は歯噛みする思いであった。
松平伊豆守信綱が追悼使に選ばれたという報せが届いたのだ。
伊豆守は幕府筆頭老中という要職にある。
これは幕府が板倉では無理だと宣言したに等しい。
なればこそ板倉としては実績を挙げねばならない。
伊豆守が島原に着任する前に。
「確かに儂は三河深溝一万八千石の小大名に過ぎぬ。九州の諸大名を指揮するには足りぬかもしれぬ」
が、だからといってすごすごと引き下がる気はない。
ここで功績を挙げればという野心があった。
板倉の指示により有馬家、鍋島家、松倉家、立花家らが集まっていた。
更に肥後の細川家も水軍を派遣している。
彼らを統率して原城を落とす。
四郎率いる一揆勢はキリシタンの旗を掲げて原城に籠もった。
幕府の混成追討軍は各藩の旗を掲げて陣地で構えた。
両者が初めて本格的な戦闘となったのは十二月十九日であった。
「まずは裏門を落とせ」
板倉が目をつけたのは裏門にある出丸である。
天草丸という名の出丸に向けて鍋島家の軍が殺到した。
これと呼応するように大手門には立花家の軍が動いた。
陽動ではあるが抜けるなら抜いてしまえということである。
この幕府軍の動きを四郎は冷静に観察していた。
「始まったか」
まずは初戦。
こちらの戦力から考えて簡単には落とされない。
この戦いは長引く。
戦死者も積み重なっていくだろう。
戦いの中に散った者の魂がこの城を彷徨うことになる。
「上手くいかせてみせるさ」
四郎は地下室へと足を向けた。