2 キリスト教と一揆の関係
戦国時代から江戸時代に移り変わる中、キリスト教は浸透していった。
しかし同時に抑圧の対象ともなっていった。
九州も例外ではない。
簡単に九州におけるキリスト教の変遷を以下に記す。
キリシタン大名として名高い肥後の小西行長がいた頃、民草にはキリスト教が広まっていった。
信者達も安心して祈りを捧げていた時代である。
この時代は天正十一年(1583年)の本能寺の変まで続く。
魔王と畏れられた織田信長はこの変で死んだ。
これはキリスト教には痛手であった。
何故なら織田信長はキリスト教に目新しさを覚え、宣教師にも好意的だったからである。
本能寺の変の後、豊臣秀吉が天下を治めた。
そして彼の死後の権力者は徳川家康となった。
両者ともキリスト教に対して抑圧的であった。
神の前には皆平等というキリスト教の教義を危険視したのである。
特に家康が天下を取った後はキリスト教信者には厳しい時代となった。
家康は徳川幕府を開き、中央集権体制を強化した。
その一番の標的となったのが九州である。
かのフランシスコ・ザビエルが最初に布教を開始したのが鹿児島ということもあり、九州にはキリスト教が根付いていた。
大名の中にも小西行長の他、豊後の大友宗麟、長崎の大村純忠、島原の有馬晴信らが熱心なキリシタンだったという歴史がある。
聖堂が各地に建てられ、パードレと呼ばれる司祭がそこで信者達に教えを授けていた。
いわば民衆レベルでキリスト教が根付いていたのであった。
数十年に渡る布教の成果である。
これを覆すのは容易では無いと徳川幕府は判断したのだ。
その矛先は有馬家に向かった。
有馬晴信は執政の失敗により失脚しており、その嫡子である直純が後を継いでいた。
この直純はキリシタンであったが幕府の圧力により棄教している。
のみならず家康のひ孫にあたる国姫を娶らされていた。
もちろんこの縁組はキリシタン弾圧の為の布石である。
有馬家は幕府に唯々諾々と従うしかなくなった。
島原の領地で直純はキリシタン弾圧を開始した。
「沿道の十字架を廃却せよ」
「有馬家で働く家臣はもとより領民はキリスト教を棄てよ」
「領内においてパードレ達は活動してはならぬ。また領外へと立ち去れ」
直純も必死である。
幕府の命令に背けば自分の首が飛ぶ。
しかし島原のキリシタンは筋金入りだ。
キリスト教伝来より半世紀が経過している。
文化として根付いたものを取り除くのは容易ではない。
弾圧は徐々に過激になっていったものの、成果は今一つであった。
「有馬直純では手ぬるいのではないか」
慶長十四年(1614年)、幕府は直純を日向の延岡城主へと移封した。
そして島原有馬領は幕府直轄領となったのである。
島原、そして有明海を挟んだ天草にはこうしたキリスト教弾圧の動きがあった。
これが天草四郎時貞の物語の背景となる。
† † †
「四郎殿」
渋い声であった。
四郎は声の主と向かい合い座っている。
初老の男である。
背は高くないが肩幅は広い。
白髪混じりの髪は長く、肩までかかっている。
既に外は暗い。
四郎の家の中、頼りになるのは蝋燭の明かりのみである。
「覚悟は決まりもうしたか」
男が言葉を継いだ。
何も言わぬ四郎に焦れたわけではない。
ただ沈黙を埋める為の言葉であった。
四郎はまだ答えない。
その秀麗な面立ちに蝋燭の光が陰を刻む。
ややもあってようやく――
「お受けいたします、宗意軒殿」
答えた。
四郎の黒曜石のような目が男――森宗意軒を捉えた。
ふぅ、と宗意軒は息をつく。
「承知いたした。大役お引き受けいただき感謝いたす」
「昨今の事情を鑑みればやむを得ません。この飢饉が続けば飢えて死ぬしかない。ならば一揆しかありません」
「そうですな。そして我らが立ち上がりキリシタンの国への一歩を刻む」
「ええ。そのつもりです。そして」
四郎は声を潜めた。
「そうならなくてはならない」
「然り。ですが気負わないでいただきたい。かねてよりご説明した通り、戦術面では儂が担当いたす。四郎殿はいてくれるだけで構わないのでござる」
「お願いします。長崎でキリスト教の教えについては学びましたが兵法は範囲外でしたから」
四郎は苦笑した。
戦闘は四郎の得手ではない。
その点、森宗意軒は適役である。
兵法者として経験を積んでいる。
この地に未だとどまる旧小西家の家臣に兵法を伝授しているのはこの宗意軒であった。
「心得ております」と宗意軒は頷いた。
「既に島原では一揆が勃発。伝令によれば数千人が立ち上がっているとのこと。ここが好機でござる」
「同時に天草で立ち上がり、島原を後押しする……ですか」
四郎も覚悟は決めていた。
何年か続いた飢饉の為、農民たちの不平不満は限界に達していた。
そこにキリシタン弾圧が上乗せされている。
一揆の火種はばらまかれただけではなく、静かにパチパチと爆ぜていたのだ。
「僕が引き受けても引き受けなくても自然と暴発するでしょう。ならばやった方がいい」
「ふふ。本心から乗り気である……というわけでは無さそうですな」
「流血は避けられませんからね」
四郎はうんざりとした表情になった。
一揆と言えばいわば幕府相手の戦争だ。
死人も少なからず出る。
四郎の心は重い。
心の片隅に別の理由でざわめくものがあったとしても、人の死を悼む程度には良識はある。
「なるべく穏便に済ませられるよう努力は致します」
「デウスのご加護があらんことを」
宗意軒は頭を重々しく下げた。
四郎の声が彼をねぎらうように響いた。
† † †
ねえ、四郎。
四郎は賢いからきっと知ってるよね。
デウス様にお祈りすれば天国に行けるって。
パライソってどんなところなのかな。
誰か教えてくれればいいのにね――
僕は今も思い出す。
君の声を。
君の姿を。
もう二度と触れることの無い君の手を。
だけど。
もしこの機会を上手く利用すれば。
僕は君にまた会えるかもしれない。
例えその手段が非道と罵られたとしても、僕はやってみせる。
やると決めたのだ、あの日から。