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18 僕は何かを成し遂げられたか

 額を汗が伝う。

 白乃御盾(ビアンコスクデット)を全力で使った反動だった。

 正面からの集中砲火は防いだが代償は大きい。


「見よ、相手も疲れておるぞ。一斉にかかれば討ち取れよう」


 敵の侍大将が叫んだ。

 その声に勇気づけられたのだろう。

 兵士達が四郎を取り囲む。

 まだ距離はある。

 後方に逃げればどうにかなりそうではあった。

 けれども四郎はそうしなかった。

 左手を前にかざす。

 集中力を高めた。

 己の中の呪力を燃やした。


黒乃獄炎(ネッラフィアンマ)


 ボッ、と炎が左手の周りに現れた。

 直径二尺弱の球形の炎である(一尺=約30センチ)。

 驚くべきことに炎の色は赤ではない。

 ほぼ真っ黒い炎だ。

 僅かに赤や橙が混じっている。

 この異形の炎の球が六個、四郎の周囲を浮遊する。

 取り囲む兵士達の足が止まった。


「何だありゃあ」


「南蛮の妖術か? 面妖な炎だな」


 警戒するのは当然だった。

 だが四郎への殺意が上回った。

 たった一人にしてやられているという屈辱が兵士達を前に進ませる。

 雄叫びが上がる。

「逃げればいいものを」と四郎は低く呟いた。

 左手を横に払う。

 その動きに合わせ、六個の炎が射出された。

 狙いは正確。

 突進してくる兵士達に炸裂した。

「っ、ぎゃああ!」と悲鳴を上げられたのはまだましな方だ。

 直撃を喰らった兵士は一瞬で消し炭となっていた。


「だけど数が多いな……!」


 四郎の顔にはまったく余裕がない。

 隊列を崩した兵士達へと斬りかかる。

 これまでに何人倒しただろうか。

 数百は優に超えているだろう。

 たったそれだけか。

 相手は十万もいるのに。

 自分を笑う。

 この程度では奇跡とは呼べないだろう。

 暴れながら原城の方をちらりと見た。

 今頃何人かは脱出してくれただろうか。

 残った者は自分の戦いを見ているだろうか。


 "僕は何かを残せただろうか"


 正面の相手の肩口から斬り込んだ。

 赤い血がまき散らされて地面に落ちた。

 妙に鮮やかに見える。

 ああ、そうか。

 夜が明けかけているのか。

 道理で地面がはっきり見えるわけだ。


 "何一つ叶わなかったなあ"


 信仰とは何かも追求出来なかった。

 デウスやゼズスが何なのかも知らないままだ。

 りんを失ってから僕は何をしてきたのか。

 あの子にもう一度会いたいと。

 ただそれだけを願って生きてきた。

 でもその願いも叶わなかった。

 信者達にも本当のことは言えないままだ。

 不意に虚しさが襲ってきた。

 同時に怒りがこみ上げてきた。

 感情に突き動かされる。

 四郎は目の前の敵に思い切り刀を叩きつけた。


 "だからもういい"


 衝撃に耐えられなかったのだろう。

 刀は真っ二つに折れた。

 当然か。

 この戦闘の間に斬った数を思えば。


 素手になった四郎を敵が見逃してくれるわけがない。

 刀に脇腹を抉られる。

 槍が背中を貫き通した。

 衝撃にたまらず転倒した。

 そこを滅多打ちにされた。

 打撲に打撲が重なる。

 裂傷に裂傷が重なる。

 骨折に骨折が重なる。

 けれども四郎は死なない。

 治療術の集中使用による超速再生はまだ有効だった。

 どれだけ傷を負っても流血してもあっという間に治っていく。

 血みどろの笑みが四郎の端正な顔に浮かんだ。

 跳ね起き、手近な兵を殴りつけた。

 その衝撃で右手は骨折。

 だがそれすらも超速再生で元に戻す。


 "まだ、まだ戦える。だけど長くはない"


 四郎の息は荒い。

 ぜぇぜぇと肩で息をついていた。

 限界を超えた長時間戦闘。

 戦闘用黒魔術の複数回使用。

 それに加えて体が悲鳴をあげていた。

 超速再生であっても痛みは残る。

 肉体と精神の双方が削りきられそうだった。

 もしここで超速再生が限界時間を迎えれば。

 そこが自分の終着点だ。

 だからその前に一人でも。


血晶武器(サングイノーゾアルマ)


 右手の裂傷をわざと完治させなかった。

 流れる血を呪力でまとめる。

 形成されたのは血の刃。

 右手の手首から先を覆うように赤黒い刀身が伸びている。

 出血多量の危険を最小限に抑えた上での判断だった。

 武器なしでは戦えない。

 残った体力と精神力を総動員する。

 大地に朝陽が射してきた。

 白々と夜が明けていく。

 今日は晴れのようだ。

 微かに青空が見えた。

 四郎の気分も同じように晴れた気がした。


「参る」


 一言だけ言い放った。

 もはや策は無い。

 ただ真っ直ぐに突進する。

 乱戦状態に持ち込めたのは幸いだ。

 敵は鉄砲が使えない。

 血の刃を縦横無尽に払う。

 ある程度間合いも可変式のため逃げようとした敵も追撃出来る。

 一振りごとに死体が積み重なっていった。

 四郎は吠えた。


「どうだ、幕府の犬! たった一人にいいようにされる気分は!?」


 煽るだけ煽る。  

 帰るあてもない特攻だ。

 一動作ごとに命が削られるのが分かる。

 敵の攻撃が当たってももう即時再生も出来ない。

 再生速度が落ちていた。

 両手両足に裂傷。

 再生より先にさらに追加攻撃される。

 後退しかけた体を意地で立て直した。

 目の前の敵を葬り去る。


 "りんには笑われるだろうか"


 もっと賢い生き方が。

 あったかもしれない。

 もっと価値ある行き方を。

 選べたのかもしれない。

 選ぶべきだったのかもしれない。

 だけど、これが精一杯だ。

 亡くなった大切な人の面影を追って、追って、追い続けた。

 その結果が現在だから。

 悔いは無い。


「あと何人いるんだ……」


 連戦を続けてきた四郎の動きが止まった。

 膝ががくがく震えてきた。

 着ていた服もぼろぼろだった。

 回らない頭を働かせた。

 敵の陣地をいくつか抜いたのは覚えている。

 だが本陣までは届かないようだ。

 松平信綱の家紋、三つ扇の旗印は遥か遠くに霞んでいる。

 十万の大軍は伊達ではないようだ。

「はは」と四郎は苦い笑みを漏らした。

 その瞬間、一発の銃弾が四郎の腹部を貫いた。

 吹っ飛ぶ。

 意識も飛ばされた。

 激痛。

 けれども体の再生はまだ出来る。

 呻きながら四郎は立ち上がった。


 "腹の傷……まだ治せる"


 押し寄せる敵に血の刃を振り回す。

 鋭さを欠いた斬撃でも牽制にはなる。

 受け止められた。

 瞬時に刃を引いた。

 身を翻す。

 逆方向の敵へと斬撃を見舞った。

 追い詰められているのは明らかだった。

 だが他に出来ることはない。


 "足掻いて足掻いて足掻き回る"


 残った自己再生力を最大限に回す。

 近づいてきた兵士に左拳をぶち込んだ。

 ひしゃげた左手を何とか再生させた。

 まだ行ける。

 右手の刃を目一杯振るった。

 神霊降臨の効果もほぼ切れてきた。

 見上げた空の青さに救われたような気分になる。

 四郎は「朝を迎えられた」と呟いた。

 夜中からどれだけ戦ってきただろうか。

 自分一人だけでどれだけの時間を稼げただろうか。

 何人かのキリシタンは逃げ出せたか。

 何人かのキリシタンは自分の戦いを目に焼き付けたか。

 こんなものが奇跡で申し訳ないと思った。

 だがこれが四郎の精一杯だった。


 "天国(パライソ)には行けそうもないな"


 血の刃が折れた。

 右脇腹に槍を叩き込まれた。

 再生速度は遅い。  

 ごぼ、と喉から血が溢れた。

 臓腑まで傷つけられた。

 回復……間に合わないか。


 "あの世でりんに会えるわけも無し"


 視界が霞む。

 冬の朝の肌寒い風が妙に気になった。

 まとわりつくように兵士達が正面に立つ。

 邪魔だ。

「どけ」と四郎は言い放った。

 腰を右に捻る。

 右手も自然に後ろに。

 左手を前に出して照準代わりにした。

 残った全ての力を右拳に溜めて。

 全力で叩き込んだ。

 鎧ごと目の前の兵士をぶち抜く。

 右腕が血に濡れた。

 自分の血と敵の血両方で。


「……ここまでだな」


 腕を引き抜いたところで限界を迎えた。

 動きが止まった。

 棒立ちになりそのまま崩れ落ちた。

 天草四郎時貞の記憶はそこで途絶えた。


† † †


 島原の乱の終結を紐解くと寛永十五年の二月二十八日と記されている。

 幕府軍の戦死者は約八千人。

 対する一揆勢は終結時に籠城していた三万七千人全て。

 首謀者の天草四郎時貞の戦死を悼み殉教したと今日伝えられている。

 ただしこの直前に逃亡せしめた者達がどこに逃げたのかは明らかになっていない。

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