17 無理無茶無謀の単騎突撃
右に左に動きながら四郎は戦っていた。
単騎による奇襲。
通常ならば無謀と一笑に付される下策である。
だが今だけは違う。
「せいっ!」
構える。
踏み込む。
刀を振り下ろす。
三連の動作が一挙動に集約されていた。
極めて高い運動能力が不可能を可能にしていた。
動きだけではない。
力も極めて強くなっている。
四郎の一撃は兵士を鎧ごとぶった斬るほどの高威力だ。
「っ、がっは」と呻き声が聞こえた。
また一人ぶっ倒れた。
左肩から右脇腹まで深々と切り裂かれている。
傷はその一つのみ。
四郎の攻撃力はもはや人間の領域を超えていた。
「なんだこいつ、めちゃくちゃに強いぞ……!」
「聞いてねえぞ、こんなのがいるなんて」
「天草四郎ってのはただの一揆の首領じゃねえのか。何でこんな強えんだよ」
四郎の暴れっぷりは兵士達を戦慄させた。
逃げるまではいかない。
けれども恐怖は身をすくませる。
効率的な行動が取れなくなった時点で集団の意味が半減していた。
その隙に更に四郎がつけこんでいく。
「ここまで有効とは思わなかったよ。神霊降臨による身体強化、恐ろしいな」
怖い笑みが四郎の口の端に浮かんでいた。
今の四郎は普通ではない。
特定の儀式によりデウスの力の欠片を授かる神霊降臨。
これこそが四郎の奥の手だった。
運動神経、筋力、反射神経の全てが桁外れに上昇している。
故にたった一人でも幕府軍に一泡吹かせているのだ。
神の子は神の子でも戦神の子と言うべきか。
「今一度問う。松平伊豆守信綱はどこだ?」
四郎は兵士達を睨みつけた。
答えはすぐには返ってこない。
槍ぶすまがじわりとこちらに迫っただけだ。
更に問うた。
「こちらは立花藩の陣地と見た。本隊である伊豆守はもっと後方なのだろう。どちらにいるのかと聞いている」
「……知ってどうする」
答えたのは他より良い鎧を着た兵士であった。
侍大将にあたるのだろう。
震えながらも他の兵士達を鼓舞して指揮を取っている。
「敵ながらやる」と呟いてから四郎は返答する。
「知れたこと。僕一人で老中筆頭のしわ首を挙げる。そうすれば寄せ集めの幕府軍は瓦解するだろうさ」
大言壮語もここに極まれり。
兵士達はあ然とした。
今や幕府軍は十万に近い。
それを抜く気か?
それもたった一人で?
本陣までどれだけあると思っているのか?
「馬鹿な」と侍大将が吐き捨てた。
周囲の兵士達もじりと詰め寄った。
確かに超人的な武芸に驚かされはした。
けれどもここまで侮辱されたのだ。
怒りが恐怖を克服しつつある。
「薄汚いキリシタンの頭目が吠えおって。たった一人で何が出来ようか。大人しく這いつくばれ。命だけは助けてやろう」
「断るね。人は神の下に平等。お前達に着く膝は持ち合わせちゃいないんだ」
言葉の応酬。
交錯する殺気。
詰まる間合い。
数秒後、戦いは再開された。
怒号と指示が戦場を飛び交う。
「念の為本陣に連絡せよ! 伊豆守に万が一のことあれば我ら全員自刃ものだぞ!」
「囲め、囲むのだ! いかに強敵だろうが所詮は一人! 畳み掛けろ!」
号令一下、兵士達が槍を繰り出してきた。
これを四郎は身をかがめてかわす。
一本、二本、三本までは体捌きのみで。
だが四本目は僅かに左腕を掠めた。
舌打ち。
一瞬だけ動きが止まった。
その一瞬が次の攻撃を許してしまう。
五本目の槍が突き出された。
鋭い穂先が四郎の右肩を貫いた。
南蛮服ごと肉と骨を削ぎ取られ。
「えっ」
全員が目を疑った。
四郎以外は。
抉られた箇所が瞬時に復元したのだ。
傷も消えた。
血も止まった。
呆気に取られた兵士が四郎の反撃で倒される。
間髪入れず四郎は包囲網を抜け出した。
「全部回避できるなんて流石に思ってはいないよ」と言いながら。
この即時再生の秘密は四郎の得意とする治療術である。
治療術の対象は他人だけではない。
幼少の頃行ったように自分の傷も治すことが出来る。
治療術の原理は肉体の活性化と復元機能の付与だ。
出陣前に四郎は前もって自分の体に治療術をかけていた。
それも尋常ではない密度でもって。
その結果、四郎の今の体はどんな傷を負っても即時の自動再生を可能としている。
不死身と言ってもいい位だ。
「痛みを感じないわけじゃないけど」
また攻撃を当てられた。
苦痛。
けれども一瞬で再生。
堪えて反撃。
絶叫を無視して次の一人へ攻撃。
踏み込みと同時の突き。
刀は相手の喉を突き破った。
素早く引き抜く。
「僕は止まらない」
駆けた。
力まかせに左肩からぶつかる。
鎧越しに相手の体を無理やり押し潰した。
めきめきという音は相手の骨が折れた音か。
確かめる暇も無く、右手の刀を一閃。
別の敵がかろうじて槍で止めたが構わず押し込む。
めきりと槍をへし折りそのまま首を落とした。
こちらの動きを止めない。
左肩にのしかかる兵の体を盾にして、そのまま突進した。
他の兵士数人を巻き込み突き飛ばした。
間髪入れず別の標的を狙う。
連続する戦闘に神経が擦り切れる。
それでも。
「これが僕の見せられる奇跡だ」
四郎はただ一人、戦場を疾駆する。
† † †
四郎が奮戦している頃、森宗意軒は信者達を集めていた。
原城の中庭に集め、四郎が単騎出撃している事を告げた。
広がる動揺を一喝して抑える。
「四郎殿は言われた。この戦いは自分達の負けである。しかし何も爪痕を残さないままではあまりに無念。故に自分がこれから奇跡を見せると」
門の向こうを指さした。
ここからでも仄白い光が微かに見えた。
夜の闇の果てに淡く輝いていた。
「この隙に城から脱出して命を繋ぐも良し。覚悟を決めて最後を迎えるも良し。けれども四郎殿の戦いを心に焼き付けよ。十万の大軍相手に奮戦しうる力も勇気もデウスのもたらした奇跡である。我らが命を賭けたキリスト教はこれほどのことが出来るのだ!」
宗意軒は敢えて大言壮語を口にした。
飢えて戦意に乏しい一揆勢にどれほど響くかは疑問だった。
だが確かに届いたらしい。
その場にいた人々の顔にゆっくりと力が戻ってきた。
涙を浮かべる者もいる。
「四郎様は己の身を投じてまで儂らのことを案じてくださったのか」
誰かが言った。
その言葉に反応して別の誰かが言う。
「正直もうどうなってもいいと思うておった。だが、そうじゃな。それではいかん。死んだとしてもそんな心意気では天国には行けん」
「うむ。せめて胸を張って死を迎えねばならん。キリシタンとして人生をまっとうしたと言えるようにのう」
その一方で城を出たいという者もある程度いた。
そうした信者達を咎める者はいなかった。
「お主らは生きてキリスト教を後世に繋いでくれ」と快く送り出してくれる。
宗意軒は頷いた。
「裏口より逃げよ。儂が先導いたす。残る者は……達者でなというのもおかしいのう」
少し迷ってそれから笑った。
「まあよいわ。いずれお互い天国で会おうぞ。早いか遅いかの違いしかあるまい」
湿っぽい空気を嫌っての言葉であった。
皆の顔も笑顔になる。
その中である少女は母親の顔を見上げた。
まだ事態が飲み込めていないようだ。
「おっかあ、どうしたの? 皆なんで笑ってるの?」
母親は優しい眼差しを向けた。
その目に微かに光るものがある。
「うん。あのね、四郎様が私達に道を示してくれたんだよ。例え死んでも、キリシタンで良かったって思えたまま死ねるように。皆が天国で会えるようにね」
「そうなんだ! やっぱり四郎様は凄いんだね!」
少女は笑った。
その時、遠くで白い光が瞬いた。




