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15 今の僕に出来ることは

 何故だろうと四郎は自問する。

 視線は力無く地面に落ちていた。

 唇は震え、両膝は地に着けたままだ。


「どうして」


 原城の地下室は暗くそして寒い。

 冬の冷気が床や壁から染み込んでくる。

 けれども四郎は気にする余裕さえなかった。

 半ば目は血走っている。

 指を前へ進ませた。

 こつんと触れたのはあのロザリオだ。

 いや、正確には元ロザリオか。

 無残にも青い石は砕け散っていた。

 破片が床に転がっている。


「馬鹿な、まさかこんな馬鹿なことが」


 四郎の言葉が力無く響いた。

 頭は事態を理解している。

 けれども感情がついてこない。

 失敗なのか。

 これが最後の機会と思い、死者蘇生を行った。

 だがまたしても何も起こらなかった。

 そればかりかりんのロザリオは砕けてしまった。

 術の圧力に耐えられなかったのか。

 あるいは単に時の流れによる劣化のせいか。

 分からない。

 分かっているのはただ一つ。

 遺品は喪失した。

 それは死者蘇生の重要要素が欠けたということ。

 失敗したことは明らかだった。

 四郎は呆然としていた。

「何故だ」と呟いた。


 死者の数が足りなかったのか?

 自分の術者としての力量が足りなかったのか?

 遺品のロザリオが古くなり過ぎていたのか?

 駄目だ。

 考えても何も分からない。

 胸に沸くのは悔恨と落胆の念しかない。

 のろのろと動いた。

 砕けたロザリオを拾い集める。

 ロザリオに結び付けられた十字架も手に取った。

 こちらも亀裂が入っていた。

 ぼろぼろの遺品を手の内に収めた時、四郎の両目から涙が溢れた。


「ごめん……ごめん、りん。僕は、僕はここまで来たのに何も出来なかった」


 答えてくれる者は誰もいなかった。


 その晩どうやって寝所に戻ったのか四郎は覚えていない。

 気がつけば朝を迎えていた。

 眠りはごく浅かったらしく、頭が重い。

 体がだるかった。

 けれども動かないわけにはいかない。

「仕方がない」とため息をついて体を無理やり起こした。

 城の中を見て回った。


「四郎様、おはようございます」


「お目覚めになられましたか、四郎様」


 信者達が挨拶してくれる。

 応えながら四郎は改めて彼らを観察した。

 誰もが疲れた顔をしていた。

 長期に渡る籠城の影響である。

 食糧不足のためであろう。

 皆痩せていた。

 中には肌の色がくすんだ者さえいる。

 思わず声が出た。


「皆、後悔はしていないか。この戦、恐らく我らに勝ち目は無い。このままだと間違いなく敗北する。天国(パライソ)に行けるとは思うが、それでよいのか」


 四郎の疑問は後ろめたさの裏返しだった。

 四郎自身は別に良い。

 りんを生き返らせたいという私欲を満たすために行動してきた。

 もちろん彼女を殺した幕府への復讐の念もないではない。

 けれどもそれは二次的なものだった。

 ならば四郎を除いた一般のキリシタン達はどうか。

 この窮地において一度問うてみたかった。

 どんな思いで武器を手にしているのか。

 答えは様々だった。


「おらは満足してます。何もしなけりゃどうせ飢饉で餓死してたんだ。幕府の奴等に一泡吹かせてやれたし、もうどうなってもええ」


「難しいことは分かんねえ。けんどおらはキリシタンになって良かったと思うんだ。働いても働いても侍に持っていかれちまう。そんなおら達でもゼズスの教えは幸せになれるって知って、何だか嬉しかったからなあ」


「正直怖くないっちゃ嘘だあ。でもこの原城に籠城してみて結構楽しかった。誰に遠慮するでもなく賛美歌を歌ってキリスト教のことを話せる。そういうことが今まで出来なかったから」


「四郎様がいなかったらと思うとぞっとするよお。私らがここにいるのは四郎様がいてくれたからさ。四郎様を中心にしてまとまったから一揆なんて大胆なことが出来たんだよ」


 答えを聞くたびに。

 四郎の心が揺さぶられた。

 りんとはもう会えないという絶望感は心を黒く染めたままだ。

 だがその絶望とは別に微かな温もりを感じた。


 "無駄ではなかった……のだろうな"


 あの日からずっとりんのことを胸の片隅に思い続けてきた。

 死者蘇生の術を知ってからは更にその思いは強くなった。

 りんにもう一度会いたいという願いが四郎の原動力だった。

 だから今、四郎は虚脱感に包まれている。

 けれどもその虚脱感から踏み出せる気がしてきた。


 "僕は救世主なんかじゃないし、信者達を利用してきた"


 その自覚はある。

 もちろん信者達も四郎を利用してきた側面はあるのでお互い様とは言える。

 それでも彼らが賭けたものは生活であり命である。

 あまりに重い賭け金のことを四郎は意識的に無視してきた。

 無視しようとすればするほど考えざるを得なかった。

 その重荷が軽くなった。


「四郎様、大丈夫?」


 可愛らしい声が聞こえた。

 気がつき四郎は微笑んだ。

 まだ小さな女児が自分を見上げている。

 眉をぎゅっと寄せていた。

「うん、何ともない。ありがとう」と四郎は答えた。


「良かったあ。四郎様が元気ないと心配になっちゃうよ」


「どうして?」


 腰を屈め視線を合わせた。

 女児は「だって四郎様はあたし達の救世主だもん。おっとうもおっかあも四郎様を信じてついて行こうって言ってた」と笑った。

 屈託の無い笑みが記憶の中の少女と重なった。

 四郎は無言で女児の頭を撫でた。

 心のささくれが収まっていく。


「そうだね。僕は」


 救世主などではない。

 信仰を突き詰める気もなかった。  

 ただ一人の少女の面影を追ってきただけだ。  

 それでも。


「君達にとってはきっと何かになれたのかな」


 上手い言葉が見つからなかった。

 だが、それでもいい。  

 数万のキリシタンが集まり自分を信じてくれている。

 腹を空かせ幕府軍に包囲されても、まだ信仰を捨ててはいない。

 その事実を噛み締めた。

 かつては煩わしいとしか思わなかった。

 今は……誇りに思えた。


 考える。

 こちらは補給線を断たれて久しい。

 反撃の意欲も乏しい。

 対する幕府軍は意気揚々だ。

 原城を完全に取囲み、慎重に構えている。

 動かない分だけ隙が無い。

 状況は絶望的。

 しかも時間が経つだけこちらに不利。

 しかし、だからこそ今ここで自分が為すべきことは何か。

 考えがまとまる。

 覚悟が定まった。


「奇跡を見せてやる」


 例え自分が神の子に相応しくなくても。

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