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14 風向きが怪しくなってきました

 死者蘇生が簡単に出来るとは思っていなかった。

 確かに必要な要素は満たした。

 呪文の詠唱も間違えず最後まで唱えきった。

 それでも事が事である。

 大掛かりな黒魔術ほど成功率は低い。

 一度や二度の失敗があることは四郎も覚悟していた。


「とはいえいざ失敗を目にすると」


 ぜえ、と荒い息をつく。


「落胆するのも仕方ないか」


 四郎の細い顎からぽたりと汗が垂れた。

 手で拭い前方に目をこらす。

 まったく何も変わっていない。

 ロザリオは相変わらずくすんだままだ。

 壁の遺体にも変化は無い。

 唯一の変化点は燃えた時間だけ松明が短くなったことである。

 四郎が地下室にこもって二刻が経過している(一刻=約二時間)。

 極限の集中により四郎は消耗しきっていた。

 だが手に入れたものは無かった。

「一旦引き上げるか」と呟いた。

 ロザリオを拾い懐に収めた。


 地下室を出る。

 入念に鍵をかけた。

 一歩ごとにカビ臭い空気が遠ざかる。

 地上の新鮮な空気に触れるとほっとした。

 もう深夜であった。

 原城の敷地内には篝火が焚かれている。

 信者達が手分けして哨戒にあたっていた。

 四郎を見かけると頭を下げる。


「まだおやすみではなかったのですか、四郎様」


「眠れなくてね。夜中の見張りありがとう」


「滅相もない。これが我らの仕事ですから」


 信者達はそう答えるとすぐに任務に戻った。

 彼らは心の底から四郎のことを信じているのだろう。

 この一揆が幕府を覆しキリシタンの国を作るきっかけになると思っているのだ。

 そう考えると四郎は胸に鈍い痛みを覚えた。


 "僕は彼らを利用しているのだろうか"


 ある意味そうだと思う。

 大規模な戦闘が無ければ死者の数は増えない。

 黒魔術の実行条件を整えるためにはこの一揆は必要だった。

 その点は認めざるを得なかった。

 だが同時に思う。

 信者達も四郎を利用しているのだと。


 "僕が神童だとかゼズスの生まれ変わりだとか好き勝手に言ってくれて"


 四郎を一揆の中心人物とすることで信者達はまとまった。

 四郎がいなければキリシタン弾圧と重税への不満はあっても、一揆という具体的な行動にはなっていなかったのではないか。

 その意味で信者達にとって四郎の存在は大きかった。

 四郎もその事を理解している。

 だからさほど後ろめたくはない。


 "だから許せよ。僕の勝手を"


 人には言えない行動を誰にも言えない気持ちで行っていることを。

 冬の夜の片隅を四郎は歩いていく。


† † †


「キリシタンとは中々に厄介じゃのう。まさか数万単位でまとまるとはの」


 松平伊豆守信綱は唸った。

 筆頭老中の貫禄がその厳しい目つきから滲み出ている。

 根っからの武人ではない。

 どちらかといえば権謀術数と政策勘案に長けた智謀の男である。

 けれども戦場の恐ろしさは熟知していた。

「ふむ」と唸り煙管をくわえる。

 じろりと家臣達を見やった。


「あの城、確か原城と言ったか。籠城して何日になる?」


「はっ、既に一ヶ月になります。その間、板倉重昌様が指揮を取られておりました」


「そして無策で攻めた結果、板倉は死んだ。何とも言えんな」


 信綱はため息をついた。

 恐らく功を焦って城攻めを敢行したのだろう。

 板倉の気持ちも分からなくはなかったが無謀と言わざるを得ない。

 これ以上の失敗は許されない。

 信綱は手堅い戦術を取ることにした。


「無理に城を攻めたてる必要は無い。城内の食糧が無くなれば自滅する。ただし一人たりとも逃すな」


 信綱は一揆勢の弱点を見抜いていた。

 補給の当てがないのである。

 原城に籠もるキリシタンは数万人に及ぶ。

 真っ向から叩けばその数は脅威である。

 けれども数が増えれば増えるほど、必要な食糧も増加する。

 ならば補給を断てば良い。

 包囲戦に必要な兵も預かってきた。

 なにより筆頭老中の権限は大きい。

 陣中の緊張感はいやでも高まった。


「細川藩に伝えよ。あらん限りの軍船を出せ。海から大砲を撃ちこみ原城を脅かせとな」


 自滅待ちとはいえ牽制は必要である。

 大砲による威嚇は城内の一揆勢の神経を削ぐ。

 信綱はじりじりと追い立てた。


「城を包囲してこちらの旗指し物を大いに立てよ。折を見て投降を促せ。中には熱心ではないキリシタンもおるであろう」


 信綱は事態を正確に見抜いていた。

 人数が数万にも及べば全員が信仰心が厚いとは限らない。

 元々は飢饉への危機感も強い動機の一つである。

 そうした戦意に乏しい者が食糧危機に直面すれば投降したくもなる。


「そう簡単に徳川幕府は覆らぬわ。キリシタン共、残念であったな」


 信綱はパチンと扇を閉じた。

 勝ちへの道筋は明らかであった。

 それ即ち、原城のキリシタン達の敗北。

 一日くらいでは何も変わらない。

 だが数日あるいは十日が経過すると形勢は明らかになってきた。

 一揆勢は徐々に追い詰められ始めた。


「食糧の残りを考えるとあと一か月も保たぬか」


 森宗意軒が渋い顔になった。

 こうなると戦闘以前の問題だ。

 一食の量を切り詰め何とか生き延びようとする。

 しかしそれも限界がある。

 あまりに切り詰めれば行動に支障をきたす。

 男も女も老人も子供も飢えていた。

「ゼズスはきっとお見捨てにならない。こういう時こそ祈るのじゃ」と誰かが言う。

 けれどもその声にも力が無い。

 更に脱走者も目立ち始めた。

 夜陰に紛れ持ち場を捨てて逃亡するのだ。

 二日前は一人。

 昨日は二人。

 今日は三人。

 逃亡者が増えれば増えるほど士気は落ちていった。


「耐えよ、皆の者。死を恐れてはならない。信仰に殉じた死は天国(パライソ)に通じている」


 城内を巡回しながら四郎は皆を励ましていた。

 彼自身深い疲労に蝕まれている。

 未だに死者蘇生の術は成功していない。

 その焦りが長期籠城の疲れを増している。


「次が最後になるか」


 天を仰いだ。

 冬の曇天が重くのしかかってきた。

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