13 全てはこの暗い秘密のためです
「しばらく一人になりたい。誰も入らぬように」
それだけ言い残し四郎は地下室に閉じこもった。
空気は湿りどんよりしている。
それだけではない。
濁った瘴気のようなものが漂っていた。
縦横、十間ほどの空間だ(一間=約1.8メートル)。
地下室なので光も射し込んでこない。
明かりらしきものは壁にかかった松明だけである。
いるだけで気分が塞がってきてもおかしくなかった。
だが四郎の顔は明るい。
「待ちくたびれたよ、そろそろ試してもいいだろう」
そう言って懐から何かを掴み出した。
部屋の中央の床に置く。
松明を反射してそれが一瞬青く光った。
古ぼけたロザリオだった。
ずいぶんと年季の入った物のようである。
結び付けられた小さな十字架も錆びついている。
けれども四郎にとっては大事な物だった。
彼はロザリオを置いた後、部屋の奥へと進む。
一歩ごとに瘴気が濃くなるが気にも止めていないようであった。
「これだけ集めれば十分だろうよ」
四郎は壁を見上げた。
奥の壁だけが他の壁とは違った。
それも悪い意味で違う。
何と人間の顔がぼこぼこと浮き出ているのだ。
いや、顔だけではない。
腕や足も壁から突き出されている。
多数の人間を絡めてまとめて壁に塗り込んだとしか見えなかった。
悪趣味極まりない光景だった。
けれども四郎は満足そうである。
"全てはこの瞬間の為だ"
長崎で会ったあの男は教えてくれた。
南蛮に伝わる黒魔術には死者蘇生の法があると。
もちろん簡単ではない。
一度死んだ者に再度命を吹き込むのだ。
それなりの条件と準備が必要である。
"中々に大変だったよ"
まず蘇生の対象と何かしらの縁のある物が必要である。
通常は遺品ということになる。
これが現世に魂を呼び戻す器となる。
場所も重要だ。
静かで落ち着いた空間を確保する。
こういった場所で無ければ次の条件を満たすのは難しい。
"これが一番大変だったが"
四郎は壁を眺めた。
これでもかと死体が壁に塗り固められている。
ここまで集めるのには苦労した。
だが仕方がない。
死体から生じる瘴気と死者の無念の叫び。
この二つで空間を満たす必要があるのだから。
そして空間の条件において、四郎にとって更に好都合なことがあった。
この原城自体である。
敵味方睨み合い今も戦死者が増えている。
死者の呻きがこの地全体を満たしてくれるだろう。
間接的に自分にとって有利に働くはずだ。
"もちろん僕自身の力量も必要になる"
壁に背を向けた。
部屋の中央に置かれたロザリオに視線を投げる。
あの子の面影を重ねた。
あの日、何も出来ないまま見送ることの出来なかった女の子。
神に祈っても奇跡は起きず、自分は手を差し伸べることさえ出来なかった。
神がいないとは思わない。
けれどもけして万能でも無いらしい。
少なくとも自分の願いを聞いてくれることはなかった。
あの日から天草四郎時貞はずっと煉獄の中にいる。
神を呪った。
幕府を呪った。
他のキリシタン達を呪った。
何より自分自身を呪って呪って呪い続けた。
故に閃いたのだ。
黒魔術の存在を知った時、これこそが自分を満たしてくれるものだと。
キリスト教とは異なる力。
生命の理さえ曲げる力だと。
「りん。君はこんな僕を笑うかもしれないね」
目を閉じる。
りんの笑顔を思い浮かべた。
「キリスト教の教義も調べた。それなりに詳しくなった。いつしか僕は神童と呼ばれるようになった。けれども心は満たされないままだった」
全てが虚しかった。
この虚無を噛み締めて生きてきた。
悩んだ。
憎んだ。
泣いた。
全ての負の感情は一つの願いへ辿り着く。
「りん。君はまた僕に笑ってくれるだろうか。僕は君に会いたい。黒魔術に手を染めてでも、僕は君ともう一度話したいんだ」
四郎の声は部屋の四方に広がっていった。
壁に反響し微妙に歪んで聞こえる。
だが自分の声など気にするはずもない。
四郎が気にかけるのはただ一つの願い。
さっと両手を広げた。
部屋に満ちた死の気配は濃い。
その澱み全てを吸い込むかのように深く息を吸う。
ごくりと少年の白い喉が動いた。
「遥か遠く地に伏せし魂に捧げる。この地は今や現世にあらず。幾多の死者の気配は宙に舞い、現世を冥界へと変える……」
朗々たる調子で四郎は歌う。
死者蘇生の為の呪文を正確に刻んでいった。
集中力が上がる。
両手は握りしめられ、視線はロザリオに一心不乱に注がれていた。
「我は願う。命の理を曲げ時空を越えて、滅した魂を復元せしことを。腐り果てた肉、塵と化した砂、土に染み込んだ血を組成して五体を再度成さんことを」
その声は賛美歌を歌っているようでもあり、奇っ怪な呪詛の念のようでもあった。
詠唱が進むにつれ四郎の体が震え始めた。
空気が微妙に歪む。
松明の炎がぐらりと揺れ、壁の死体が黒い影を踊らせた。
闇の中で四郎は彼のたった一つの願いを叶えようとしていた。




