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11 過去編 想いが歪んだあの日

 その日死んだキリシタンの数は二十五人。

 男も女も無く大人も子供も無い苛烈な弾圧だった。

 棄教すれば命だけは助かったかもしれない。

 だが誰一人として棄教はしなかった。

 自らの信じるキリスト教に殉じたのだ。

 りんもその一人だった。


 "君は後悔はしていないだろうけど"


 四郎は処刑場に佇んでいた。

 亡骸は既に片付けられていた。

 番兵達も見守っていたキリシタン達も立ち去った後である。

 生き物の気配の無い場所に四郎だけがいる。

 その目には力が無い。

 両膝は地に着けたままだ。

 小石が膝に食い込むが気にする様子も無い。

 思考は散漫なまま取り止めが無い。


 "僕はどうすればいい?"


 答えの無い自問が胸を満たす。

 風がひゅるひゅると舞い、またひゅるひゅると去っていく。


 "ごめん、りん。何にも出来なかったよ。君を助けたかったのに、ただ見送るだけだった"


 頭の中では分かっていた。

 一度捕まってしまうと大多数のキリシタンは死ぬ運命にある。

 棄教しない限り逃げられない。

 信心深い者ほど早死するのだ。

 そのことは四郎も知っていた。

 だが目の前で見た光景はそんな知識を超越していた。

 りんの最後に見せた顔が強烈に脳裏に焼き付いている。

「何でこんなことが」と四郎は呟く。

 その一言が呼び水となった。

 次々と言葉が吐き出されていった。


「どうしてりんが死ななきゃならない。どうして僕は助けられなかった。どうしてゼズスはりんを助けなかった。どうしてデウスはりんを助けなかった。嘘だ、こんなことがあっていいはずがない。全部……全部間違っている!」


 血を吐くように言葉を連ねた。

 拳が振るわれ地面を叩いた。

 やり場の無い怒りが四郎の体を突き動かした。

 悲しみで染まった心がぞわぞわと別の何かを加えていく。

 四郎の目に力が戻った。

 だがそれは黒く濁った力であった。


「確かめてやる」


 信仰とは。

 命とは。

 世の中とは。

 強者とは。

 弱者とは。

 幾多の要素が絡み合った結果、りんは死ななければならなかったのだ。

 ならばいずれは自分が彼女と同じ天国(パライソ)に行くとしても。


「何も知らないまま死んでたまるものか」


 自分の無知を自覚した。

 ぎりぎりと唇を噛む。

 唇が破れ血が滲んだ。

 その痛みで強張った体を無理やり動かした。

 のろのろと立ち上がった。

 顔を上げ前へ進む。

 きらりと光る物が地面に転がっていた。

 青い石を連ねたロザリオだった。

 小さな十字架が付いている。

 りんが使っていたものだった。

 腰を屈めて拾った。

 涙は出なかった。


「りん、一緒に行こう。君が見ることが出来なかった世界を共に見に行こう」


 背を向け処刑場を後にした。

 既に日は傾いていた。

 落日の光が雲仙岳を赤く染めている。

 血のようだなと四郎は思った。

 すぐに陳腐な発想だと自嘲した。

 山を下った。


† † †


 それから間もなく四郎は長崎へ向かった。

 甚兵衛の知り合いに長崎で剣術道場を開いている者がいた。

 その道場に世話になる形で長期滞留したのである。

 四郎にとっては家を離れる初めての機会であった。

 目にする全ての物が目新しかった。

「これが長崎」と目を見張った。


 長崎は南蛮貿易により栄えた町である。

 元々は漁業しかない寒村に過ぎなかった。

 きっかけは天文十九(1550)年、平戸にポルトガル船の入港であった。

 長崎領主の大村純忠はポルトガルと南蛮貿易を開始した。

 のみならずキリシタンの洗礼を受けている。

 宣教師との関係も深まり、長崎はキリシタンの一大拠点となっていった。

 教会が次々に建てられ、イエズス会の修士が移り住んだ。

 異国文化が広まる中、南蛮人だけではなく唐人も屋敷を立てるようになった。

 いわば長崎はこの時代の日本の世界の最先端との唯一の接点だった。


「家族から離れ不自由なこともあろう。困ったことがあれば相談に乗るぞ」


「ありがとうございます」


 道場主は四郎に親切にしてくれた。

 好意は有り難く受け取った。

 長崎は初めてであり知らぬことばかりの場所だ。

 案内を受けながら四郎は色々な場所に出向いた。

 全てが新鮮であった。

 青い目に紅い髪の毛の南蛮人も多かった。

 店の中には異国の商品を並べている店もある。


「このような場所が日本にあるのか」


 驚くことばかりであった。

 同時に胸に痛みを覚える。

 もしりんがここにいたなら何と言ったであろう。

 四郎の驚きに同意してくれたに違いない。


「僕は元気にしているよ」


 ぽそりと呟く。

 心の片隅が疼き続けていた。

 その疼きを抱えながら四郎はあらゆる事を吸収していった。

 主な学び舎は教会であった。

 イエズス会の修士達は四郎を暖かく出迎えてくれた。

 キリスト教についての深い考察を聞く。

 聞いた上で自分でその意味を吟味する。

 胸の片隅では未だ疑問があったからだ。

 何故あの時りんが助からなかったのかと。

 その疑問に対する答えを探し続けていた。


「シロウ、世界は広い。様々な知識が世界を支えている。学びなさい。ゼズスの教えの下に」


 ある修道士はそう言ってキリスト教以外の学問も教えてくれた。

 内容は多岐に渡った。

 語学、数学、天文学、地学、薬学。

 こうした上品な学問だけではない。

 信者に対しての効果的な説話の方法。

 説得したい相手の心の隙を突く心理学。

 ある意味実利的な学問まで。


「教徒を増やすためにはこうした工夫も必要なのです」


 修道士は微笑んだ。

 やや納得いかなかったが、四郎はこれらも学んだ。

 役に立ちそうな物は何でも吸収していった。

 この四郎の知識欲は更に広がっていった。


 "長崎ならば、この異国の文化が広まっている場所ならば"


 暇を見つけ町を歩く。

 異国人が必ずしも正道を歩む人だけとは限らない。

 路地裏の暗がりで人の弱みにつけこむような人間もいる。

 犯罪者の巣窟のような酒場まであった。

 そうした場所にも慎重に、だが少しずつ大胆に四郎は近づいた。

 社会的に正しいことだけでは補えないことがあると……そう感じていたから。

 その努力はある日実を結んだ。


「今何と言ったんですか」


 四郎は詰め寄った。

 薄暗い店内で一人の男と向かい合っていた。

 蝋燭のか細い光が揺れる。

 黒い頭巾を被った男は低く笑った。

 骨ばった人差し指がつー、と机の上を這う。


「もう一度言うぞ、小僧。死者蘇生の法がある。黒魔術の秘中の秘にはな」


「死者、蘇生」


 カッと何か真っ赤な物が。

 四郎の脳裏で弾けた。

 三年に渡る長崎滞在の中、最大の収穫だった。

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