表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
芙蓉の鯉
4/60

四折

 折姫が桜の壺に入内し、三日が経った。

 若く健康な娘が、三日。

 主上の往来に今か今かと身をかたくしていたのは束の間のこと。朝から晩まで、見事なまでに暇をした。

 お化け屋敷にしようにも、桜の壺に来客がない。脅かす客がいなければ成り立たないことを、二日目の夕暮れ。湯に浸かりながら気づいたものだ。

 そんな譯で、ついに四日目の朝、


 折姫は木登りを始めた。


 それまで言われたことは、きちんとこなしていた。

 出された膳は残さず食べるし、姫様らしく姿勢を崩さない。湯浴みもかかさず、夜に御簾が下りれば寝ている。

 女御の一日というものに、見事なまでに従順だ。

 では私からもひと言物申したいと、思いつくまま我が儘を言ってみるが、それがなかなか通らない。


「今日は、草むしりしたい!」

「お庭はミカド様の結界の一部ですので、叱られます」

「折り紙折りたい!」

「紙は貴重な代物ですので、ミカド様の許可が必要です」

「ではミカド様に」

「ただ今、執務中のお時間ですので、お会いすることは難しいかと」


 会いたいだなんて言っていない。

 許しが欲しいだけなのに。

 折姫はむくれた。

 話し相手はいるにはいるが、見ての通りである。

 人には姿勢を正せと言っておいて、横柄に寝転ぶ舎人がひとり、口をつくのは小言と言い訳。

 お望みとあらば従うのではなかったか。

 そこまで不満を募らせると、折姫は袿を脱いで庭を降りた。


「姫様、女御が袿を脱ぐということは、裸になるのと同じくらい恥ずかしいことなのだと何度も──、んん?」


 シオンが肩に重みを感じ、頭を上げれば、


「え! はしたな──────────い!」


 前記のとおり、庭の桜の木によじ登っていた。

 ナマケモノでもそんなにゆっくり登らないというような速度で、幹にしがみついている。落ちないことが不思議なほどだ。

 折姫は目を輝かせ、言った。


「一生に一度は、やってみたかったの!」

「そうですか」


 シオンは溜め息を一度、己れも庭へ降りた。

 見上げれば、手が届くほどの高さまでしか進んでいない。

 シオンは折姫の脇をかかえると、軽々と飛び上がり、一番高い枝へのせてやった。


「わぁ! シオン忍者みたい! ありがとう!」

「姫様の運動神経が壊滅的なだけです。お願いですから、枝を傷つけないでくださいよ」

「見て、シオン。あそこに人がいる」

「聞いてます?」


 塀の向こうを見やればなるほど、女が二、三連れ立って桜の壺を見上げている。

 

「ほう。牡丹の壺の女房ですね」

「女房?」

「女御様に付き添う、側仕えでございます」

「私も女御では」


 シオンはにっこりと笑った。

 後宮のなかでも辺境のなかの辺境。桜の壺の女御には、舎人ひとりで充分ですよ。

 と、笑みに意味を含ませた。

 そんな含みなど読み取れぬ、無垢な折姫は訊ねた。


「ふつうは、何人くらい居るものなのですか」

「まあ、女御様となると、女房も十人は欲しいですね」

「私は女御では」

「姫様はふつうじゃないですから」

「ふつうじゃない!」

「お静かに。あちらも暇を持て余していらっしゃるようですよ」


 シオンの言ったとおり、女房たちは塀の外から動かない。何を話しているのかと耳をすませば、不思議なことにはっきりと聞きとれた。


「居留守を使ってるのかしら。やぁねえ」

「賢い女房がいるのでしょうよ」

「それでも、三日三晩が過ぎたのだから、挨拶くらいさせてくれてもいいのに」

「やだ、あなたのご挨拶って、なあに?」

「これだけど」


 女房が持っているのは、お仕えの女御の御髪だ。朝晩、髪を梳くときに抜けた髪を、今日のためにまとめておいた。


「湯殿に入れてさしあげようと思って」


 女房たちの高笑いが塀をのぼってくる。


 入内したばかりの女御を虐めるのは、女房たちにとってもはや恒例行事である。

 そのため、ミカドは桜の壺の門を閉めっぱなしにしている。女房どころか蚊の一匹だって入れやしないのだ。


 折姫を傷つけるものは、何ひとつ。


 と、なると塀の外を見せるべきではなかったかと、シオンは折姫を気遣うが。


「ねぇ、シオン。火の玉って作れる?」

「火の玉? この真っ昼間にですか」


 ニタリと笑う主人に従うほかないシオンは、陽の下でも目立つよう、紅く灯した火の玉を飛ばした。

 魔法のようなその灯火に、折姫は顔をほころばせた。


「結界の向こう側に、私の姿を見せることはできる?」

「本来ならば叱られますが。面白いので、是非やりましょう」


 シオンはのった。

 長い黒髪で顔を隠した折姫は、どうみても女御ではない。

 シオンは効果音にと、庭の鳥を脅かした。

 バサバサ羽ばたく鳥たちを見上げれば、自ずと火の玉に目がいく。火の玉が囲うは、



「その髪、私にくださる……?」



 怨霊だ。

 女御たちは気持ちいいほどの悲鳴をあげて、逃げ出していった。




「あー! たのしかった!」


 枝からおろしてもらった折姫は、満足げにぴょんぴょん飛び跳ねた。そんな主人を叱らず、シオンは手を叩いて喜んでいる。

 折姫は気づいた。

 シオンもまた暇を持て余し、刺激が欲しかっただけなのだと。


「来客がなくったって、塀の外に届けばいいのね! この調子で、毎日火の玉をとばしましょう!」

「まぁ、姫様のお望みとあらば、いいでしょう!」


 桜の壺、お化け屋敷化計画の始動である。

 調子にのったシオンはその日の逢魔どき、なんと客を招き入れた。


「ほらほら、夜に小豆を研ぐ音が聞こえたら、結構怖いもんですから」

「そうは言っても、のう。初夜から三日しか経っておらんのに、ワシが入ってよいものか」

「ミカド様には、お許しをいただいておりますよ」


 折姫は、縁で客を待ちながら盗み聞きしていた。

 ミカドの許しは、そんなにすぐもらえるものなのか。なかなか聞き捨てならない台詞である。


「だったら、ミカド様に折り紙を──」


 振り向いた折姫は目を疑った。

 祖父が古臭い小袖に身を包み、殿内を珍しそうに見渡している。


「おじいちゃん……!」

「お、おじいちゃん!? だぁれがおじいちゃんじゃ!」

「え? おじいちゃんは、おじいちゃんでしょう」


 折姫は首を傾げた。

 狼狽する目の前のご老人の、肩までしかない身丈、見下ろす頭頂部のはげ具合。寸分変わらぬ毛量。瓜二つなんてもんじゃない。上下左右、どこからどうみても祖父そのものである。

 異なる点といえば、小豆の入ったザルを持っていることぐらいた。

 シオンは、サラリと言った。

 

「妖怪、小豆洗いですよ」

「ようかい!?」

「小豆を研ぐだけで、害はないので呼び寄せてみました。私の居ない夜の護衛にもなるかと」

「ほほう」


 折姫は納得して、居住まいを正した。

 世界が違うのだから、二重身はあり得る。

 

「改めまして。桜の壺の女御、折姫と申します。先ほどは失礼しました」

「いやはや、とんでもない。姫様の話し相手にでもなれたら、喜ばしいことです」


 小豆洗いが膝を並べるとすぐに夕膳が並んだ。


「ワシも食べてよいのか?」

「はい。食べながら、御助言いただければと」

「助言、とは」


 礼儀正しく「いただきます」をして、箸を持つ。小豆洗いといえど、小豆以外も好き嫌いなく食べるのかと、折姫は感心した。

 すっかり油断していた。


「実は、豊胸によい食材を探しておりまして」

「んが」

「んぐ」


 仲良く同時に、米を喉に詰まらせた。

 折姫はすぐに持ちなおしたが、小豆洗いがなかなか戻ってこれず、しばらく背中をさすらなければならなかった。


「シオン! ご老人になんてことを!」

「妖怪なんですから、ちょっとくらい大丈夫ですよう」

「なにがちょっとくらい!? 死んでも大丈夫ってこと?」


 一瞬、白目をむいて息がとまっていた気がするが。

 心配するなかれ、小豆洗いは一度死んだのか、冷静さと共に戻ってきた。

 何事もなかったかのように箸を持つ。


「ふむ。貺都では肉が稀少じゃからのう。今日の御膳も、たんぱく源は魚と豆腐くらいか」

「そうなんです。圧倒的に足りないのです! どうしたものかと」

「鶏肉が欲しいところじゃが」

「難しいですねぇ。御所には神獣朱雀が居りますから」

「では、卵もダメか」

「たまご……! なるほど! 卵ならば料理の数も増えますね」 ポン、と手を打つ。

「柘榴がいいと聞くが、季節ではないしのう。まあ、今日のところは、ワシの小豆を食べようじゃないか」

「小豆も、豊胸によいので?」

「豆腐と同じ、植物性タンパク質じゃ。火鉢はあるかのう」


 シオンは運んできた火鉢に炭を入れると、満足気に頭を垂れ、消えた。

 夜が始まったのだ。

 折姫と小豆洗いは、縁に足を投げだし、仲良く煎り小豆を食べた。


「おじ……、小豆洗いさんは、シオンとお友達なのですか」

「友達というか、シオンはワシが育てたようなもんじゃからのう」

「ご家族でしたか!」

「先帝の祝言に献上したんじゃが、こうして代々受け継がれていたとは。なんとも感慨深い」

「家族を、献上……」


 折姫は胸が切なくなるのを感じた。

 どうやらシオンも自分と同じように、御所へ売られた存在らしい。

 今も仲良しのようなので、羨ましい限りであるが。


「おっ、誰か通るかの」


 外から提灯の灯りが見えるたび、小豆洗いがザルの小豆でシャカシャカと音をたてる。

 

「……おや、悲鳴が聞こえんのう」

「そうですね。陰陽師様でしょうか」


 折姫が訊ねる。


「そうじゃなぁ。はたまた提灯お化けか、怨霊か」


 小豆洗いは、人間ではあり得ぬ脚力で桜の木によじ登ると、塀の外を見て言った。


「なんじゃ。半魚じゃないか、よう入れたのう」

「鯉が、入れてくれたのさ」

「鯉じゃと? あんまり悪さするでないぞ」


 戻ってきた小豆洗いに、半魚とはと折姫が訊けば、夜の浜辺で人を襲っては啖う、半魚人だと言う。

 そんな悪い妖怪と顔見知りな小豆洗いが、正義感のかたまりのような、宮司の祖父な譯がないなと、改めて思った。そもそも、腰の曲がった祖父は小猿のように木に登れない。

 小豆洗いが、しみじみと言う。


「いやはや、御所のなかとは思えませんのう。昔はもっと平和だった気がするんじゃが。なにか良くないものが、半魚のような妖怪や魑魅魍魎を、寄せ集めているのかもしれませんな」

「……いつか、このなかにも?」

「ご安心を。桜の壺は、ミカド様の結界で護られておりますゆえ」


 とは言ったものの、小豆洗いが消えてしまうと、一気に心細くなる。その気持ちの表れか、縁から内へ戻る際に御簾の裾を、ほんの少し開けたままにしてしまった。

 ミカドに、夜は必ず閉めるようにと言われているのに。


 顔を洗ってすぐに御帳台へ上がるが、今日は暗闇だけでなく灯りが怖い。几帳に外の灯火がチラつくたびに、恐怖がふくらんでいった。眠ってしまえばと、目を瞑っても睡魔の訪れはない。

 折姫は頭のてっぺんまで布団をかぶり、最後の来客を待った。

 

「はやく、はやく来て、クロ」


 黒ネコのクロは、毎夜かかさずやってきては朝まで眠っていく。知らぬ間にもぐりこんだクロの寝顔を朝になってみつけると、つい顔がにやけてしまうものだ。

 刻はまちまちで深夜になることが多いが、今日ばかりははやく来て欲しい。

 

 布団に、明け方のような灯りが差し込む。


 折姫は、胸の内で存分に叫んだ。

 まだ子の刻も過ぎていないのに、あり得ぬことだ。心の臓が、外にバレやしないかと思うほど派手に鳴った。

 布団の隙間から灯りが入る。

 灯りが怖いと思うから、灯りが入ってくるのだ。つまり布団の外にいるのは、恐怖を好む悪しきなにか。

 興味本位で覗けば、きっとなにか悪いことが起きる。

 わかっているのに、手が動く。

 恐怖心が、もう待てないと背中を押すのだ。

 指でわずかに、隙間を広げた。


 そこに片目を埋めれば、同じようにして覗いてくる目玉があった。


 女の目だ。


 女の目は弧を描き、キツネのように笑った。

 次には、呪文のような忙しない声が帳台に轟く。間髪入れず布団の上では、指を這わせるような感触が走った。


「にゃあ」

「クロ? ……クロ!」


 指ではない、クロの細い足だ。

 折姫は思い切って布団を剥いで、飛び起きた。

 女の姿はない。


「クロ! クロなんでしょう?」


 折姫は、布団に巻き込まれ、もぞもぞと顔を出したクロを抱き上げると、


「クロが追い出してくれたんだね、ありがとう……!」


 感謝のしるしに、口づけた。

 クロの毛が逆立つ。


 それから折姫は気が済むまで頬ずりをして、クロを胸に抱きしめたまま眠った。


 折姫が見た女は、桜を好んで御所をさまよう怨霊だ。シオンが開けた結界の穴はわずかであったが、そこから桜が見え、殿内へ忍び込んでいた。女は花に見惚れているだけだったが、夜になると、とり憑けそうな娘がひとり、誘い込むように無防備に御簾を開けている。

 だが女の記憶は、娘と目を合わせるだけで終わった。女は逃げる間もなく、強い力で滅せられたのだった。


 クロが安堵の溜め息を吐く。

 怖い目にあっただろうに、折姫は横になってすぐに、寝息をたて始めた。なかなか肝が据わっている。


 一方、クロは折姫の腕のなかで、なかなか寝つけずにいるのだった。



 余談であるが、翌朝。

 膳にカエルの卵がのり、折姫の可愛くない悲鳴が後宮の端っこで轟いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ