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おりひめと蠱毒の後宮  作者: 紫 はなな
芙蓉の鯉
3/60

三折

 翌朝、折姫は寒さで目覚めた。

 花冷えしたのだろうか、ふわふわの掛け布団を頭まで被ってもまだ寒い。横に寝返りをうち小さく縮こまると、腹回りが湯たんぽを抱えるようにじんわり温かくなった。


「よかった、無事だったんだ」


 昨夜に行き合った黒ネコだ。

 優しく撫でると手にすり寄り、喉をゴロゴロと鳴らした。ミカドが御簾をすべて下ろして去ったため、部屋から出られなくなったのだろうと思う。

 それにしてもまだ産毛の残る小ささだ。親とはぐれてしまったのなら探してやらねばならない。あまりの愛らしさに胸へ抱き寄せるが、苦しかったのか勢いよく飛び出していってしまった。


 追いかけようと起き上がれば、几帳越しの朝日に目が眩む。几帳をくぐり帳台を下りると、部屋の御簾がすべて上がっていた。寒いわけだ、春風が吹き抜け板間に花びらを運んでいた。

 折姫には見えた。

 回廊の端っこに転がる、瓶子と盃。その色や柄まで、鮮明に。


「夢じゃなかった」


 あれからふたり、互いの酒が底をつくまで花見を愉しんだ。ミカドは酒が進むと、意外にも饒舌で話しが弾んだ。殿舎での一日の過ごし方、星の読み方やシオンの扱い方。ほんとうに、とりとめのない話しまで──。

 真夜中の訪問者。夜桜に、花見酒。異性とのお喋り。それを愉しいと思うこと。折姫にとって、すべてが初めての夜だった。

 目はもう澱んでいない。

 御簾をあげたこの部屋みたいに煌めいてよく見える。

 板間をまだらに汚す垢や、小さな埃も。


「よしっ──、やるぞ!」


 折姫は肌寒さと訣別するように、打掛をバサリと脱いだ。




 *




「いや────────────────!」


 シオンの叫び声に驚き、庭にいた鳥がバサバサと飛んでいく。目をこするが、精霊のシオンに幻覚は見えないので、当然目の前の主人の醜態も消えない。

 

 折姫は器用にたすきをかけ、白装束の裾を帯にはさんで太ももを露わにしていた。長い髪はラプンツェルさながらに三つ編みをほどこし、それもまた帯にはさんでいる。

 そのはしたない格好だけならまだしも四つん這いになり、高価な几帳を一枚ぜいたくに使用し雑巾がけをしていた。


 シオンはどこから手をつけてよいやらわからずアワアワと手を游がせた。


「姫様にこのような俗事をさせたと主上おかみに知れたら、私は火炙りにされてしまいます!」

「あら、火炙りごときで終わるかしら」


 折姫は、したたたた音をさせながら冷ややかに言った。


「こんな汚い局に主人を寝かせておけるなんて、一体どんな舎人なの。埃ごと食事をしていたと思うと吐き気がするわ」

「グサァッ」


 シオンは己れの口から擬音語を吐いた。


「ひ、ひめさま、あやまりますから、どうか止まってください!」

「いやです。ほんとうのことをいうと、自分でキレイにしてみたいの」


 あどけなく笑い、通り過ぎていく折姫を見たシオンの胸は、「キュン」とした。主人の可愛い我が儘は舎人にとってご馳走に値する。舎人の必殺技、《仰せのままに》が発動した。


「ああああああああ可愛いすぎるでしょうがぁああ! 者共よ、姫様を伏侍しろぉおおお!」


 シオンはおもむろに懐へ手を入れると、袂に隠していた白い紙吹雪をひとつかみ舞い上げた。


 (パン)

 拌、拌、拌、拌、拌。


 ヒラヒラと落ちる紙は着地地点で甲高い衝撃音を奏でながら、桜色のネコへと変化した。

 可笑しなことに皆二足歩行でほっかむりを被り、はたき棒やら箒やらを手に持っている。五匹で運ぶ大きな桶には、湯がたっぷりはられ、雑巾が浮かんでいた。


「私も姫様とともに板場の雑巾がけを。半刻で終わらせますよ、いざ……!」


 ネコは喋れないが心を通じているようで、折姫の行く手の埃をはたき、折姫の後ろ手を雑巾で丁寧に二度拭きした。帳台によじ登ったネコは積もった煤を丁寧にかきあつめ、その下のネコは几帳をはたき、むせている。回廊の垢はシオンのひとり雑巾がけレースで取り除かれ、鏡面の輝きを放った。


 半刻いちじかんもすれば、部屋は見違えるほど綺麗になった。磨き上げられた板間には庭桜と、達成感を抱いたネコとシオンの顔が映る。まるで生まれて初めて掃除したみたいだ。つまりはそれだけ役を怠っていたのかと気づくと、シオンをジトと見据えた。


 そんな折姫の視線を犇々と感じ、シオンは手拍子でネコを消した。


「わ、私だって、この役で喚ばれたのは、はじめてでしてね」

「いいわけですか」

「申し訳ございません!」

「うふふ。でも、みんなでお掃除楽しかった。また明日もよろしくね」

「きゅーん」


 シオンはまた擬音語を吐くと、ご機嫌に自身も姿を消した。


 折姫はミカドの言葉を思い出していた。

 シオンは舎人という役に紐づけされた、主人の力を借りているだけの、しがない精霊。役に怠惰なところが欠点だが、煽れば動く単純な性格。

 まったくその通りのシオンに可笑しくなって、ひとり笑っていると、湯をはったタライを持って戻ってきた。


「さあ、頭をお預けください」


 タライの淵に枕を置くが、まさか。


「シオンが私の髪を洗うのですか?」

「髪だけではありませんが」


 湯殿を見据えながら、にやりと笑うので、折姫はぶんぶんと首を振った。冗談だと言うが、頭はしっかりとタライに押さえつけられた。


「美しい髪が埃だらけ。初日はうるさく言いませんでしたが、姫さまには朝夕、この洗髪の後に湯殿で身体を浄めていただきます」

「二度も?」

「後宮の瘴気は濃く、病みやすい。悪霊に憑かれぬためにも、日課になさってください」

「そんなに恐ろしいところなのですか」


 御簾を上げた桜の壺は、聖域と言っても過言ではないほど浄らかな様相を呈している。 


「そりゃあもう。御所は夜こそ結界が貼られ、護られておりますが、昼日中に忍び込んだ妖が顔を出すこともありますよ」

「後出しするには、恐ろしすぎる話しですね」

「ご安心を。日中は私がお護りいたしますゆえ」


 そのための舎人ですと胸を張るが、怠惰と聞いているので、折姫はあまり期待しないことにした。


 湯殿は屋根のない、簡素な露天風呂だった。花びらが水面で波を描きまさに桜の壺。冷え切っていた身体を肩まで浸けると、昨夜ミカドに見せられた地図を思い浮かべた。ミカドは、暦を読む上で方角だけでも頭に入れておくようにと、説明も簡易であったが、憶えているあいだにしっかり書き写しておこうと、折姫は思った。


 貺都の中心、御所の正中部には皇帝──主上おかみが座す正殿、紫宸殿ししんでんが建つ。

 紫宸殿は、ふたつの殿舎と繋がっている。南奥には儀式や政務が行われる紫陽花殿。西奥には皇后や中宮の住居となる白百合殿。

 白百合殿を皮切りに、花の名がつけられた後宮の御殿がさらに奥に連なる。

 そのなかでも一際に賑やかな御殿が、芙蓉殿と薔薇の壺。広い敷地で、主上の御子が育み育てられている。北へ奥に進むにつれ殿舎は小さくなり、主上の手も届きにくい。

 折姫は頭をひねった。

 桜の壺は、御所の最北東端。地図では隣接する殿舎があるように見えたが、記憶違いだろうか。

庭がこう鬱蒼としていては、隣の部屋を覗こうにも難しい。草むしりは暇になったら、と心にとどめた。


 湯浴みを終えると案の定、煤汚れた白装束は回収されていた。戸の隙間から顔を出し不愉快をあらわにすると、肌着となる単衣一枚を渡され、それ以上の着付けをシオンが譲らなかった。大人しく着替えを待つとなるほど、ただ羽織る打掛ではなく、白と桜色の二単の唐衣裳であった。

 最後に扇子を帯へ差すと、仕上げた本人が興奮して言った。


「姫様、この扇はどうされました」


 折姫は頬を染めながら「昨夜、ミカド様に」と小さく呟いた。


 シオンは渋い顔で首肯する。


「この衣裳もまた、私に預けられたもの。他にもお化粧道具が調えられています。お食事の後にお持ちしましょう」


 待たずして運ばれた膳を、折姫は米ひと粒残さず平らげた。その箸の運びは後宮女人に遜色ない美しさであり、貺都の食を胃に馴染ませるように丁寧だった。褒めようものなら、「明日からはたんぱく質五割増で」と催促をする。

 夜の帳と共に役を終えるシオンは、さては昨夜なにかあったなと、悟った。


「しかしまだ手入らずのようですね。──ああ、なるほど。それでは豊胸に良い食材を探しましょう」

「そ、そのためだけではありません! もう少し、大人っぽくなりたい。それだけです」

「姫様は充分、可愛らしいのに」


 たしかにちいさな顔に血の気がないが、今日の調子で食べ続ければ三日経たずして、色良くなる。なにより恋をした娘は、恐ろしい速さで美しくなるのを、シオンは後宮で幾度となく見てきた。

 

 さて、ではその美しさに拍車をかけるように、桜の壺の正体の種明かしをするかと、口にしかけたその時だった。


 折姫が突拍子もないことを言い出した。


「そんなわけで、この桜の壺をお化け屋敷にしようかと思うの」

「どんな譯ですか姫さま」

「だって陰陽師と言えば、妖怪退治ではないですか。桜の壺でものの怪が出ると噂が流れれば、きっと退治しに現れてくださいます」


 折姫は目を光らせた。

 お化け屋敷には、主上も寄り付かないだろうと思う。まさに一石二鳥!

 

「十把ひとからげに陰陽師と申しましてもねぇ。まあ、姫様の望みとあらば、従うまでですが」

「ありがとう、シオン」


 後宮に売られたというのなら、いつかは主上に召し上げられる日が来る。その定められた運命をまっとうする代わりに、密かな想いを育てていきたいと、折姫は思う。

 特別な夜は去った。


「ミカド様にもうひと目会いたい。声を聞くだけでもいいの」

「いや、ひと目って。これからいやってほど──」


 煌々と瞳を輝かせ、折姫は明後日に想いを馳せる。

 シオンはまた黙した。


 これだからミカドという男は。

 生き人形のようだった娘の心を、たった一夜で奪ってしまうとは女たらしにもほどがある。


「なあに、シオン」


 無垢な瞳はきらきらどころではない。痛々しいほどハートが浮かんでいる。

 今ここで、折姫にミカドの素性を明かせば、歓喜のあまりに卒倒してしまいそうだし、


 単純に面白くない。

 シオンは花が咲いたように笑った。


「いいえ姫様。陰陽師様とやらにお会いできるといいですねぇ」

「はい!」


 かくして折姫は、名と共に心を奪われた。

 ミカドが撒いた種は恋と呼ぶには幼過ぎる芽を、芽吹かせたのだった。


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