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「。。お前の気持ちも分かるが、バルト様はこの国では救世主の扱いなんだ。」
ポツポツと、ルークは話をしてくれた。
レイチェルとルークが乗っているこの砂漠の国から連れてきたという大層美しいこの馬は、非常に早くかけるが、歩みはゆっくりだ。白い背中に揺られながら、ルークは馬のあゆみのように、ゆっくり言葉をつなぐ。
青い満月が美しい。
「他国に遅れをとっていた魔術の分野で大変この国に大きくご尽力されて、魔術研究の機関を設立されたのはバルト様の功績だし、長くニューアークの沼で発生していた魔障による伝染病も、原因を突き止めて街ごと救ったのもかの方のお陰だ。」
レイチェルも初めて聞く話だ。
前王との戦いに敗れてフォート・リーに去った、という所まで、レイチェルは歴史の授業で学んだが、どうやら物語には続きがあったらしい。
俺が言っても信用できないだろうが、と前置きをしてルークは続ける。
「あの方は本当に高潔なお人で、誰よりも魔力が高く、何人よりも魔術を愛し、何より女神を心から信仰されているんだ。だから自分が女神の愛を得られなかった事がどうしても受け入れられないのさ。だからあの火傷も、そのままに。」
神殿で女神の怒りを受けた際の傷だという。治癒魔法も使わずに、そのままなのだ。
だからと言って戦争を起こしたり、無辜のレイチェルを誘拐しても良いという話ではないと思うが、大抵の争いは、お互いの正義の定義が異なる事に起因する物だ。
「。。。ルーク様、前アストリア王は、バルト様との戦いに勝利した後、すぐに王位を投げたんです。バルト様とは元々とても仲が良かったご兄弟であられたとか。」
ルークは何も言わずにレイチェルの言葉を待つ。
「。。先の大戦の原因は王位の正当性を争うものだった。長子相続よりも、神託の巫女の預言に重きを置かれたから。。。今回神殿の乙女の私が、遺跡から持って帰る、長子相続の絶対とする揺るぎない証拠が有れば、神託の乙女の預言を絶対とする派閥と、フォートリーの庇護を受けたゾイド様の長子相続の正当王位を復活させる派閥の間で、アストリアに戦争が起こる。違いますか。」
そして、バルトを援護した見返りに、バルトからフォート・リーにルーズベルトの聖地が与えられる。
フォート・リーの王位も血濡れた物なのだ。二つの国をめぐる思惑と利害が重なり、レイチェルは今、この暗い森で白い馬の背に揺られているのだ。
静かな夜の森で、聞こえるのは馬の足音と、そしてレイチェルの小さな声だけ。
「ねえ、ルーク様、私、怖い。私がこれから見つけてしまう物で、誰かを傷つけてしまうのが怖いの。」
レイチェルが怖い、と口にしたのはこれがフォートリーに誘拐されて初めての事だった。レイチェル自身も、誘拐されて、軟禁されて、我が身の明日が怖くなかったはずがないだろうに。
レイチェルのこれから遺跡で発見するであろう物は、バルトの王位継承権が正当である事を揺るぎなく示す物であるのだろう事はレイチェルにも予想ができた。
バルトがわざわざレイチェルを誘拐してまで証明したかった事。
ルークは、この自分のを顧みない娘に、辛い思いをさせているのが、自らを含む身勝手な両国の男達の、国の正義である事に、初めて怒りを覚えた。レイチェルはただ、皆に幸せであって欲しいだけなのだ。
「。。レイチェル、俺が誓うよ。どんな事があっても絶対にお前を守ってやる。お前を傷つけるものからも、お前が傷つけてしまう物からも。」
「。。ねえ、それから海に連れて行ってくださる?私クラゲと泳ぎたいの。」
レイチェルの声は震えていた。キュッとルークのマントにキツくしがみつく。暗い森ではお互いの顔は見えない。
「。。クラゲは刺すからダメだ。浜でカニと遊んでろ。俺が沖からクラゲを取ってきてやるよ。。」
「。。ルーク様は意地悪ね。でも私、カニともあそんでみたいの。それから星の形をした生き物も見たいわ。ねえ、本当に連れて行ってくださる?」
フォート・リーに連れられてから、人に尽くすばかりで何も望まないレイチェルの、やっとのおねだりは、余りにもささやかで、ルークは胸が締め付けられた。
「ああ、お前が望むなら、砂漠でも海でもどこへでも連れて行ってやるさ。だからレイチェル、泣くな。」
ルークの胸元が、じんわり温かい物で湿気を帯びた事に、ルークは気が付いていた。
ルークは震えるレイチェルの肩を抱きしめて、ゆっくりと馬の歩みを進めていった。




