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アストリア国。
外は嵐だ。雷が赤く光り霧が出ている。
美しい銀髪の、赤い目をした男が、己の隼と何かを話していた。
「お帰り、今日は何を教えてくれるのかな。」
隼に小さな茶色いお菓子をやり、足に結ばれた緑のリボンを解く。
男は緑のリボンに視線を走らせると、遠い雷を見た。
愛しいあの人は川の向こうに。
レイチェルは丁寧に扱われている様子で、「影」からの情報も、宰相預かりになっているとか。フォート・リーの遺跡の調査にレイチェルは駆り出されるらしいが、レイチェルならうまくやるだろう。
ここ最近のフォート・リーの動きは目が離せない。
バルトは開戦を望んでいる様子だがフォート・リーは聖地さえモノになればそれでよい様子。聖地をモノにするにはバルトの協力が必要で、バルトの協力を求めるのであれば、バルトは王位の奪還を要求するであろう。アストリアは先の大戦から日が浅い。再び戦争など、誰も望んでいない。
緑のリボンには、いつもの通り短いメッセージが縫い取られてある。
ゾイドには読み取れる、愛しい娘の魔術だ。
(小鳥の鳴き声。。。)
小さな小さな魔術。光をかざすと小鳥の鳴き声が聞こえるようになっている可愛い陣だ。
王都に入ってくる輸入ブルーベリーの箱の一番上に、リボンの結ばれているのを見つけたのはアーロン。レイチェルの義兄だ。リボンには妙な縫い取りがあった。聡いこの男はすぐに、変わり者の義妹を思い、その婚約者に、ブルーベリーごと献上した。
その日からほとんど毎日、フェルナンデス商会の輸入ブルーベリーに、妙な縫い取りのあるリボンがかけられているのが見つけられた。
ゾイドは惜しげもなく、己の隼を送ってはそのリボンを回収していた。
ある日は歌の一節を歌うだけの魔術、ある日は夜に光るようになる術式、ある日は小さな花火が上がるだけ。
どの術式もとても簡素で、そしてどの関所で発見されても高級贈答品にかけるリボンへの仕込みとして問題のない作りだ。
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レイチェルが拐われてより数ヶ月、ジークは相当数の「影」をフォート・リーに放っており、レイチェルの状況は逐一報告があるが、王宮内部の事。情報は少ない。
この困った男はこの数ヶ月相当乱暴な方法で、フォート・リーの要人を、王宮に「ご招待」してきた。
ルーズベルトの聖地での年明けの女神の神殿での儀式の際に、フォート・リー、アストリア両国から巡礼者が殺到する。儀式の週にレイチェルと、この要人らを人質交換する算段なのだ。
交換する人質の価値は、高い方が良い。
ゾイドの暴走につぐ暴走で、王宮に「ご招待」された要人の中には、フォート・リー王の実母が含まれる。
国境近くの若い愛人宅で、レイチェルが誘拐された方法とほぼ変わらない強引さでお連れした。
フォート・リー前王、現王の実母だ。20歳も年の若い愛人に入れ込んで、国境近くの愛人の館に入り浸っている事は、フォート・リー国民には知らされていない。ゾイドの「ご招待」を可能としたのはそういう裏の事情がある。
最も、フォート・リーよりも都会で洗練されているアストリア国の王宮での暮らしも、都会的なアストリアの騎士達もお気に召したらしく、毎日楽しくお過ごしとの事だ。
誰の許可も取らずに、両国開戦の火種になるような要人を勝手にアストリアに連れ帰るゾイドは、まさに気のふれた鬼神のごとくであったという。
ジークはゾイドを静止できかねた件で、王よりきついお叱りを受けたというが、誘拐されたレイチェルがゾイドの婚約者である事、また誘拐してきた顔ぶれが、実に交渉に有利に働くフォート・リーの貴人ばかりであった事が鑑みられ、ゾイド自身には謹慎が数日命令されたのみだ。
ただし、リンデンバーグ魔法伯家に王直々に、挨拶があったらしい。
ゾイド自身は研究室の奥の、私室に謹慎中だ。アストリア王も含め、今後絶対にこの男に楯突くような考えを起こす人間は、少なくともアストリア国にはいないだろう。
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「それで、そのリボンはレイチェル嬢の手によるもので間違いないんだな?」
ルイスは危うくテーブルにきちんと並べられているリボンに手をふれそうになって、ゾイドの氷の魔術が飛んできた。ゾイドの謹慎中の私室にルイスは様子を見にきているのであるが、ゾイドは手負いの獣のように、レイチェルに関連する全ての物を誰にも触れさせない。
テーブルの上に丁寧に並べられた美しい緑のリボンは、30本にはなるだろうか。
「汚い手で触るな愚か者。」
「オッと!危ねえな。。わかった、悪かった。」
少し氷を浴びたらしい左手を庇いながら、ルイスはそれでも謝罪する。この男にとってのレイチェルが、どのような物であるのかよく知っているからだ。この男の暴走は、感情の読めない、この男の痛々しい心の露見だ。
物の何もなかったゾイドの私室には、ガラクタにしか見えないものがあちこちに飾られている。
レイチェルの手芸用品、どこにでも売っていそうなスプーン、小さな書きつけ、糸。
ゾイドのベッドサイドのテーブルには小さな、ものすごく堅牢な魔法陣が貼られてあり、その中にはレイチェルの練習中のものだろう、刺繍枠があった。
リンデンバーク伯爵家の家紋の縫い取りの練習と、そして小さな縫い取り。
レイチェルの、伝える事ができなかった愛の言葉。
ルイスは、真っ直ぐにその縫い取りを見据える事はできない。
(ちくしょう、レイチェル嬢、早く帰ってこい。。)
年明けに人質を交換するべく水面下では交渉が進んでいるが、フォート・リーもレイチェルほどの人材を易々と手放すわけはない。
もしもルイスがフォート・リーの施政者であれば。
(フォート・リーの有力者に降嫁させて、子供を数人は産んでもらう、だな。。。)
自らの頭の中に浮かんだ可能性に恐ろしくなる。
同時に、目の前の聡い男がこの可能性について何を思うのか、遠い気持ちになる。
ルイスは無理やりおどけていった。
「で、レイチェル嬢何言ってきてるんだ。オレにはさっぱりわからないけど、リボンに暗号でも入れてんのか?だとしたら大変な「影」としての働きだな!今度はジーク殿下から、編み針どころか、毛糸の産地を下賜していただけるぜ!」
ゾイドは一瞬氷のような赤い目をルイスにむけて、そしてそれは柔らかな、溶ける様な目をリボンに向けて言った。
「私への、ただの挨拶だよ。それ以上でも以下でもない。かの人は、そういうお人なのだよ。」