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針を置いて月を見ていたはずだった。
急に門のあたりが騒がしくなったと思ったら大きな音がして、居間の扉が乱暴に開かれて、何人かの男達がズカズカと入り込んできた。
目の前を銀色の光が覆い、乗り物酔いのような気持ちの悪さが襲って、レイチェルは地面に突っ伏した。
グニャグニャになった視界が戻るのを待ってあたりをそっと見渡すと、レイチェルの前に4人の男が立っていた。
二人の壮年の男、一人の若い男、そしてゾイドだ。
顔の半分に火傷をおった美しい壮年の男がまず、さも愉快そうに声をあげた。
「ようこそ!レイチェル・ジーン子爵令嬢。私の名前はバルト・リッジウッド。これから君には広く、協力して頂きたい。」
(。。。バルト様、、どこかで聞いたことがある名前だけど、、誰だっけ。うう。気持ち悪い。。お水欲しい。。。)
「ええっと、ここはどこでしょうか。確か私は。。」
(居間で縫い取りの練習をしていたはず、ゾイド様が何故ここに?)
バルトと名乗った男が声をおとした。
「予想はついていると思うがね。いいだろう。ここはフォート・リーの王都、ミツワの王宮だ。君にはこの国神殿に仕えてもらう為に、お呼びだてしたのだ。まずは顔を上げてもらおう。」
随分と勝手な言い分だが、どうやら自宅で人攫いにあったらしい。
人攫いをするような連中だ、取りあえず抵抗しない方が長生きするのだろう。
気持ちが悪くて床に這いつくばっていたレイチェルは、少しずつ気分が落ち着いて痛む頭を抱えながら、ゆっくり体を起こしてまとめていない髪の毛で隠れていた顔をあげた。
。。目の前の男達が、長い髪で隠れていたレイチェルの顔を見て、明らかにコレじゃない的な顔をしたのをレイチェルは見逃さなかった!
「。。ピーボ、間違い無くこの娘なんだろうな」
「はい、この娘に間違いありません。ジーク第二王子の腕輪も本物です。何度も確認しました。」
「。。しかし、なんというか。。。」
「予想外に地味、だな。。デビュタントの王都のロマンスの娘で、神殿の乙女と聞いていたから、もっとこう、なんというか、、」
ヒソヒソ話してるが聞こえてる。
人を無理やりこんな所まで連れてきておいて、地味だとかなんだとか、大変失礼な話である。期待外れで悪かったわね。
後ろから、声を殺した嫌な笑い声がしてきた。
「神殿の解呪に成功した「石」だというから、どれだけ優秀な娘かと思えば、簡単にこんな単純な転移魔法にかかるなど、笑わせるな」
ゾイドだ。
いや、ゾイドの形をしていた誰かが笑った。
ゾイドの姿がシュルシュルと音を立てて別の姿に変わる。
同じ赤い目をしていたが、ゾイドとは全く違う、顔色が悪くて、姿勢の悪い、薄気味悪い男だ。ああこいつがピーボだな。
魔術研究所の魔術士で、擬態を専門にしている魔術士がいたのをレイチェルは思い出した。擬態する対象の毛髪が一筋でもあれば擬態ができるといっていた。諜報部の管轄の情報なので、あまり教えてはもらえなかったが、目の前でレイチェルの擬態をしてもらった時は、驚きよりも改めて客観的に見る己の顔の地味さに心底ガッカリしたものである。
(なるほど、ゾイド様に擬態したこの男に引っかかって護衛の方が油断してしまって、家に踏み込まれて、そのあと転移魔法でどっかに飛ばされたのね。。)
前に転移魔法で飛ばされた時と同じ気持ち悪さだな、とレイチェルはぼんやり思う。どうやらフォート・リーに誘拐されたらしいというのに、案外冷静で落ち着いているのが自分でも意外だった。きっとここ数ヶ月びっくり案件ばかりで、もう何があっても驚かない身になっているのかもしれない。
「それで?この地味な娘に一体何の御用です?用がないなら家に返してくださいませ。」
ちょっと腹が立ったので、不貞腐れてトゲ丸出しの言い方だ。
ツカツカと、若いそれは美しい男が近づいて、まだ床に座っているレイチェルを助け起こしながらこういった。
「失礼レディ、手荒い歓迎を謝罪しよう。ただ我々も切羽詰まっているのでね。レディは丁重にもてなす事を約束しよう。今日から貴女は私の客分として王宮に滞在してもらう。」
「名乗りもせず、レディに触れるなど、紳士の風上にもおけませんわ。どこのどなたか存じませんが、これがフォート・リーの殿方がレディを歓迎するやり方ですの?」
馬鹿にしてもらっては困る。きっとこの男はレイチェルを舐めている。
相手が貴族令嬢であれば、例え敵国の娘でも、どんな咎人でも、令嬢として扱うのが最低限の貴族としてのマナーだ。名乗りもせずに女性にふれるなど、言語道断である。
美しい男は参ったな、という顔をした。
確かに、召喚した娘が、予想していた高位貴族令嬢的な華やかな娘では無く、本当に小さい地味な娘だったので、うっかり扱いを軽んじてしまったのだ。
この小さな娘から、ビシ、と紳士にあるまじきと指摘されて、大変バツが悪い。レディの扱いがなっていないなど、貴族の男にとっては大変不名誉な指摘なのだ。
そもそも泣き出すか、我を失うか、気絶するかのどれかだと思ったのに結構しっかりしてるなこの娘。
「ははは!お前の失態だ。下がれ。ジーン子爵令嬢、これはうちの若い者が失礼をした。後でしっかりと無作法を咎めておこう。」
もう一人の、口髭の壮年の男の一人が言った。
「あれは私の上の息子のルーク。私はこのフォート・リー国の宰相、オーギュスト・ド・ブシュウィックと申す。ジーン子爵令嬢、どうぞ我が国の、ひいては女神の力とおなり頂きたい。」
また勝手な事を言っている。
レイチェルは今日ジジが買ってきてくれるはずの珍しいお菓子も、ジーク殿下が約束してくれた、もう発注済みだとローランドが教えてくれたシャムロック社製の編み針と毛糸が、悔しくて悔しくて、もう口も聞きたくないのだ!
(なんって間の悪い誘拐犯なの。。せめて来月あたりにしてくれたら。。!)
何よりも、ゾイド様の麗しい姿を擬態していたのがピーボとかいうゾイド様ににても似つかない男だったのも、色々本当に腹が立つのだ。
レイチェルはあまり怒ることに慣れていないので、もう怒りでワナワナと打ち震えているが、目の前のブシュウィック宰相はまた違った思いでレイチェルを見ていた。
(深窓の神殿の乙女が、この気丈な振る舞い。。恐怖に震えているが、涙も見せず、気を乱したりもせず、大した振る舞いだ。さすがだ。。)
メイド達が呼ばれ、レイチェルはルークの先導で部屋を退出をうながされた。
レイチェルはこのルークとやらとは絶対口聞かない!と怒り心頭である。




