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王都は収穫祭の準備でどの家も大変多忙な時期だ。
今年は厳戒態勢の中での収穫祭となるので、警備の担当は非常に神経をすり減らしている。
特に最終日の仮面舞踏会の警備については、不審者の侵入を易くすることから、開催が最後まで危ぶまれていたが、ようやく議会の承認が降りた。
相変わらずゾイドは多忙を極めていた。
レイチェルと町歩きをしたその翌日にはまた緊迫した状況にある聖地の偵察に行き、その後は内外に発見されるアストリア国への魔法攻撃の痕跡を確認、分析して相応の対処を行う。
レイチェルとの城下町でのひとときは、多忙なゾイドの心を温め続けていた。
ロバの引く、ワラを載せた荷台の後ろにガタゴト運ばれて、レイチェルに教えてもらった歌を一緒に歌いながら王宮の入り口までの道で食べたリンゴの美味かった事。レイチェルの新居の小さな窓を飾るメリルの誇らしかった事。色づき始めた空を一緒に眺めて見つけた月の、美しかった事。
おそらく、間違いなく、ゾイドの人生で一番幸せな日だったと言い切れた。
「で、メリルの鉢を贈って終わりって、お前男として見られてないんじゃないのか?」
レチェルの外出許可を毟り取る際にルイスにかなりの協力を依頼したのだ。ルイスはぶつぶついいながらも、町歩きの詳細を報告する事を条件に承諾して協力してくれた。
執務室で報告を受けていたルイスは呆れて言った。
ゾイドは多幸感でうっとりしているが、話をよく聞けば二人の仲は何一つ進展していない。どこの子供の相引きかと、呆れて物が言えない。この男は確か王都で一番のモテ男だったはずだ。
「ルイス、真実の愛を知った者には、くだらない小手先の駆け引きなど愚かしい事は必要ないのですよ。」
淡々とアホらしい惚気を表情も変えずに放つが、どうもレイチェルの思いとゾイドの思いの熱量が一致していない様な気がする。が、まあ放っておこう。
「「石」の乙女の存在はバレているが、やっこさんはまだどの娘がそれになるのか、探りを入れている状態だそうだ。レイチェル嬢はそもそも引きこもりみたいな生活してたし、身分はほとんど平民だから、正体がバレるまでかなり時間稼ぎになるな。」
「腹だたしいですが、騎士団の駐屯所にレイチェルを居住させているのは、防犯上最高の決断ですね。」
ゾイドが舌打ちしながらそう言った。
本当ならレイチェルを自身の館に招いて、一緒にまたあの変な歌を歌って、暖炉の前でレイチェルの好物だというチョコレートをつまんで、というのがしたかったのだ。
ローランドが口を挟む。
「姉の所にまで探りが入りました。もう降嫁している神殿の乙女のところまで来ているという事は、連中も相当焦っていますね。この分では私の母の元にも探りが入るかもしれませんね。」
ローランドの家は、母も姉も神殿の乙女を努めていた名門一族である。
ローランドの魔力の高さは母譲りだとローランドの父は自慢だった。当時名高い神殿の乙女であったローランドの母の降嫁を王に願い、塔に登って年明けの鐘を3日も鳴らし続けた可愛い逸話があるローランドの父は、妻譲りの美貌と魔力の子供達が大変な誇りだった。
「レイチェル嬢といえば、収穫祭の外出許可はでるのでしょうか?毎年城下町の孤児院の子供達の収穫祭の晴れ着は、レイチェル嬢が担当していると聞いていますが。」
ゾイドが止まる。
レイチェルがそんな事をしているなどと、聞いた事もない。
たった1日を城下町で過ごしただけでレイチェルの全てを知った気になっていたゾイドはギクリとする。
「貴族令嬢が孤児院に慰問やら寄付をする事はよくある事だけど、実際20人近くもいる子供の晴れ着を一人で担当するとなると、ちょっとやそっとの労力じゃないよな。」
ルイスもローランドも知っている話らしい。
ローランドもニコニコそうですね、何年も偉いですよねと相槌を打っている。
「流石に収穫祭に参加するのは難しいけど、レイチェル嬢は子供達の晴れ着はもう仕上げて送っていて、最近新しく入ってきた子のだけ、今取り組み中だとか。明日俺の部下が届けてやるって言ったな。」
ゾイドは何も聞いていない。他の貴婦人達であればこぞって心お優しい令嬢の演出に、会話の端々に孤児院の慰問話を導入するだろう。
あの地味な娘は、追いかけても追いかけても腕の中からすり抜けていく様だ。ゾイドは今日何回目かのため息をついた。
ルイスとローランドの話が聞こえて来る。
「ともかく王宮からは出さない方がいい。今年はレイチェル嬢は可哀想だが、実家にも帰らせてやれないな。」
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「本当にジジって下手くそね!ポーション作りと基本あんま変わんないわよ。きっちりまっすぐ縫う!そこはみ出てる!やり直し!」
偉そうにレイチェルがジジに刺繍を教えているのだ。
ジジはレイチェルが一軒家に引越してより、これ幸いに入り浸っているのだが、レイチェルもジジをコキ使って、この筋金入りの令嬢に皿を洗わせたり、こうやって手芸を手伝わせたり、なかなかしっかりしている。
「あー、こういうのは向き不向きがあるのよ!てか、ええっと「ジョンのこの先の人生幸多かれ」、、誰?ジョンって?」
流石のジジは、レイチェルが作りあげたアストリア国建国以前の古語で書かれた陣を最も簡単に読み取る。
これは祝福の陣。星まで続くツタの葉の紋に祝辞を載せて、優しい守護をかけている。でもこの高度な魔術をほどこしているのは、安物の緑の子供用のパンツのポケット。ジジは一番簡単な古語の部分の縫い取りを手伝わさせられているのだ。
「ジョンはね、最近孤児院入りした男の子なの。まだあった事ないのだけど、馬車の事故でご両親が女神の元に旅だったんだって。」
レイチェルは鍋つかみをしてオーブンに手を突っ込み、パイの焼き加減を確認しながらジジの方を見ずに答える。
虎を形どった鍋つかみは、ゾイドと町歩きした際に選んでもらった物だ。手を開いたら虎の口がパックリ開いている様に見えて可愛い。
戸惑いながらも一生懸命レイチェルの庶民的なお買い物に真摯に付き合ってくれたゾイドの事を思い出す。
きっと鍋つかみが虎の形だろうが、ワニの形だろうが、ゾイドに取っては心底どうでも良かったはずだ。
でも、ああでもないこうでもないと、一緒に選んだ鍋つかみは、レイチェルの大切な宝物になった。
「これから元気で暮らして行けるように、ご両親に代わって女神様にお願いしてるのよ、あ、いい感じに焼けてる!キリのいい所で食べましょう!ジジがいると太らなくって助かっちゃう!」
ジジは手元を見直した。
(ご両親に代わって、女神にお願いか。。)
レイチェルは辛辣にダメ出しをするけれど、ジジも公爵令嬢だ。手芸は下手ではない。
レイチェルに舌を出すと、この安い布に心を込めて縫い取りをはじめた。
「ジョンの、この先の人生幸多かれ。」