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またゾイドの悪い癖が出ている。
執務室を出た後、レイチェルの肩を抱いたまま、何も言わずにスタスタと進んでいく。こうなったら手がつけられないのはレイチェルは学習すみだ。
王宮の人々の生暖かい視線がものすごく心地悪い。
(あああ、あとであのおばちゃん達にからかわれちゃうな。。)
ゾイドは何も言わないまま王宮の庭を横切り、正面玄関を突っ切ると、留めていた魔法伯家の家紋が入った美麗な馬車にレイチェルを連れて乗り込んだ。
どうやらどこかに外出するらしい。やっとゾイドと話らしい話が出来そうだ。
「ゾイド様、ええっと。。どこにお連れになるか、教えて下さるんですか。」
レイチェルはおずおずと、遠慮がちに聞いてみる。どこに行くにしても、今制服のローブのままなんですけど、、
(それよりも、とりあえず肩!から!手!を離してくださらないと、恥ずかしくて悶絶死しそう。。。なんかこうも密着してるとゾイド様の体温とか、香りとか、ええと。。変な気持ちになる。。)
外気を纏ったゾイドのローブからは、秋の澄んだ空気の匂いと、ジャコウの様な深くて気怠い香りがした。ゾイドの研究室の仮眠室も、同じ香りがした気がする。
クラクラしながらもなんとか平静を装っているが、レイチェルはまだ天幕の夜のゾイドの告白も、その後の情熱的な手紙も感情的に消化できていないのだ。
立て続けにアストリア国の政治的な大事が続いた為、レイチェルの人生の大事件に、まだ心を向ける勇気がない。思考停止中、もといとりあえず心にしっかり鍵をかけて、この事件について心を向ける事をまだ行っていない。
ゾイドはようやく、ああ、と気がついた様子で、レイチェルにそれはそれは甘い眼差しを投げると、つん、と長い指でレイチェルの鼻先をつついてにっこりと笑ってこう言った。
「レイチェル、今日は貴女と二人で一日を街で過ごす為、仕事を早くに片付けてました。」
(き、キラキラのこんな綺麗なお顔で微笑まれたら、なんでも良くなってきちゃうけど、相変わらずなんか会話が噛み合わないというか、何を考えているかわからないというか。。)
ゾイドが何を考えているのか良くわからないのも、いい加減慣れてきた。
レイチェルは、賢明にもこの男を理解しようなどと世の娘達の考える様な愚かな間違いはしない。
わからない物は放っておくに限る場合もある。
でも今日は、その前にどうしても伝えておかないといけない事があるのだ。
「えっと、その前に、ゾイド様、、、」
レイチェルは俯いて、顔を真っ赤にして、きゅっとスカートを握り締めて小さく呟いた。
「お帰りなさいませ。。。」
ゾイドの残して行った情熱的な手紙の最後の一文にあったのだ。
『。。私が次に貴女と会ったときに、「お帰りなさい」と言って欲しい。愛しい人にその言葉で迎えられる男は、この世で最も幸せな男でしょう。』
次の瞬間レイチェルの目の前は真っ暗になった。
「貴女という人は。。。あああ可愛い。。。」
呻く様な声が頭上から聞こえてくる。
どうやら、ゾイドの胸に力任せに抱かれているらしい。
「ゾゾゾゾゾイド様!ちょっとお待ちになって!」
ジタバタとその胸を逃れようとレイチェルは大騒ぎするが、ゾイドは聞いちゃいない。
結局目的地に着くまで、レイチェルはゾイドの胸の中で、可愛いだの愛しいだの、私の小さな天使だの、この赤い氷と呼ばれる男の口からでるにはあまりに熱っぽい言葉が降り続く。