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「褒美?いや、私大した事してませんので。。」
レイチェルがポカンとする番だ。
レイチェルは本当に、何一つ普段と比べて特別なことはしていないつもりだ。
いつも通り、通常通りの運転だ。
レイチェルはいつも人の気持ちに寄り添って魔術を駆使する。女神とて、同じ事。今回はちょっと手間がかかったが、実は皿洗いのニーニャに作って失敗した術式はもっと手間がかかっている。
神殿で乙女の真似事をさせてもらって、王子の貴賓室で休ませてもらったのだ。もうマーサに持って帰るお土産話どころか、墓場まで持っていけるほどの思い出だ。褒賞をくれると言われてももう十分なのだ。
「君にはそう見えるかもしれないがね。私の気が済まない。頼むから、何か所望してくれ。」
ジークは強く主張する。レイチェルはすっかり困ってしまった。
困っているレイチェルに、ルイスが口を挟む。
「お嬢ちゃん、こんな機会人生でそうないぜ。一番欲しいものを口にしてしまいな。殿下ならきっとかなえてくれるぜ。」
困ってゾイドの方を見ると、ゾイドも頷いている。
どうやら何かお願いしても失礼には当たらないらしい。レイチェルは覚悟を決めた。レイチェルがずっと欲しかった物があるのだ。カタログを毎年取り寄せているが、絶対手に入るあてもない豪華なもの。
「。。。では恐れながら。。」
レイチェルが戸惑いながらも希望を口にするべく頭を垂れる。
「シャムロック社製の最高級編み針セット全サイズを所望いたします。」
鼻息荒くレイチェルは大贅沢品を所望する。贅沢の極みだ。強欲は女神に罰せられると言うが、でも本当に欲しいのだ!
「。。他には?」
ジークは鉱山のひとつや、伯爵の地位くらいなら用意するつもりであった。実際そのくらいの働きをレイチェルは成し遂げたのだ。編み針セットがいくらか知らないが、今日の昼食に空けるワイン一本よりも安価である事は容易に理解できた。
(もっと下さるというの??えっと、本当に言っていいの、、?図々しいにも程が有ると思われるかしら。。全部口にしてもいいのね、知らないわよ、はしたないと殿下に思われても知らないんだから、、、!)
「で、では!緑山羊の毛糸を追加で所望します!50玉、いいえ、。。100玉。。で。」
プルプル震えがくる。緑山羊の毛糸は一玉で小麦の袋一袋分もする高級品だ。
ちょっと欲張りすぎたかしらと思うが、なんでも言えって言ったもの。。
「殿下、レイチェル嬢には他、殿下から追加で差し上げておけば。。」
ジークの耳元でローランドがそっと助言し、ジークはコクコクと王子らしからぬ態度で、承諾した。
ずっと沈黙していたゾイドがスッと前に進み出た。
「ではよろしいですね。私とレイチェルはこの後少し予定がありますので、御前を下がらせて頂きます。」
表情のないまま、ゾイドはレイチェルの肩を抱いて、固まっているジークを後にレイチェルを連れて、さっさと退出してしまった。
残された貴人達は、パタンと閉じられた扉を見守ると、小さくみなため息をつく。
「え~、ではシャムロック社の編み針セットと緑山羊の毛糸100玉、すぐに手配、でよろしいでしょうか。」
ローランドもこんな物を手配するのは初めてだが、レイチェルの物言いから、国内では有名な編み針なのだろう。何やら手帳に書きつけている。
「欲の無いにも程があるな。何を押しつけてやれば良いのか、おいジジお前どう思う?」
自信家のジークが完全に動揺して、困ってしまってうっかり臣下としてではなく、従姉妹のジジに助けを求めてしまった。
欲の張った貴族達や名誉欲の強い学者達の褒賞はいつものことだが、うらわかき、欲の無い地味な令嬢に、与えて喜ぶ物は検討もつかない。
ジジは久しぶりに見る、第二王子としてではなく、ただの従兄弟のジーク兄様の顔に嬉しくなってしまった。
(。。子供の時は、良くこんなお顔を見せてくださったわね。本当にレイチェルってなんて娘なのかしら。)
レイチェルはジークの、完璧な王子の鉄仮面をするりと外して、うっかり、素のジークをひきだしたのだ。
「私でしたら殿下から良い結婚相手を押し付けてやればいい、と言いたい所ですが、ゾイド様があんなガッツリ囲い込んでいるから難しいですね。何か名誉職でも与えてあげたら如何ですか?あ、もう臨時神殿の乙女でしたっけ。。だったら案外本当に編み物の毛糸と針くらいしか、欲しいものないのかもですね!」
ジジはクスクス笑う。
レイチェルは与えられた全てに、基本満足している上、見栄を張るような相手も、そもそも知り合いもいない。何か欲しいという物欲も、名誉欲も非常に薄いのだ。これは厄介な褒賞案件になる。
それにしても。
レイチェルも折角だからたんまりお金でももらっておけば、レイチェルが毎日大切そうに一つだけ食べている安物のチョコレートを、最高級の物に変えて毎日箱ごと食べられるというのに。
でも、レイチェルのそういう所が、ジジは大好きなのだ。
「こうも無欲だと、却ってやりにくいな。ジジ、私の不名誉になるから、編み針の手配が終わるまでに何かレイチェル嬢が喜んで、私の顔が潰れない良いもの考えておけ。」
「えー!兄様面倒臭いからって私に投げないでよ!」
ジジも釣られてて、他人の前だと言うのに、いつかぶりについ従姉妹のジジの口調で話をしてしまった。
「うるさいな、お前はこういう時の為に叔父君に無理を言ってロッカウェイ国からに呼んできたんだ、たまには役にたてよ!」
すっかりいとこ同士に戻って軽口を叩き合うジジとジークをルイスは優しく見守っていた。
ジジがこの国にきた経緯はルイスも良く知っている。強く凛々しく運命に対峙するジジを、ルイスは心から尊敬していた。そしてこの若い娘の厳しい運命を、哀れに思ってもいた。
ジークは一貫して、ジジの能力が必要だから、ロッカウェイ国からアストリア国に引き抜いてきたと言い続ける。
ジジは自分が自国でも、アストリア国でも厄介なお荷物な存在であると考えている。下手に高い身分がある為、どの国でもそれ相応の扱いをしなくてはいけない。
自国の厄介払いをされる様にアストリア国に留学してきたジジを、ジークは事ある事に、こ自分が無理を言ってロッカウェイ国から呼んだのだと言い続けてきた。
ジジはもちろんジークの言葉など真にうけていない。
ただ、そう言い続けてくれるジークの優しさに温められてきた。
年月が重ねられ、ジークは年々第二王子としての責務が重くなり、一介の魔術研究員としてのジジは、たとえ従姉妹であっても、臣下としての立場で接してきた。どんどん背中が遠くなってゆくジークを、もう兄様と呼ぶことはなくなって久しかったのだ。
(お嬢ちゃんの周りはあったかいな。)
軽口を叩き合っている二人の周辺は、氷が緩やかに溶けていく様な、暖かい空気に満ちていた。




