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数刻後。
天幕の部屋はルイスの大爆笑に包まれていた。
術式のかかった部分の天幕の布を外したレイチェルは、その足で天幕の周りを走る、聖水で満ちた水路に。。。ドボンと布を放り込み、洗濯を始めたのだった!
(聖水の中で、ゴシゴシ洗ったら布だし半分くらい術式も取れるでしょ。)
色々とありえないレイチェルの行動に、神殿長は腰を抜かし、ルイスはのけぞって大爆笑をし、ローランドは肩を震わせ、ジークは今生で一番、度肝を抜かれた。
ゾイドは、表情が見えない。
乱暴すぎるその主婦じみたやり方は、実際非常に効果的だった。
展開されていたのは火の繊細な術式。実際の水の中でゴシゴシと術式そのものに物理的な損傷を与えたら、繊細な複合術式はたまったモノではない。
レイチェルには魔力が全く無いので、接触による発動の心配など気にする事はない。
レイチェルは手芸歴が長い。
布に魔術を展開するのは針と糸に限る。それも知らないなんて、この術者は手芸を舐めてるな。と言うかお洗濯の力を知らないな。
レイチェルが普段しみぬきに使っている、お徳用の重曹もバスケットに入れてきた。普段はケチケチ使っているが、他ならぬ女神様の為だ。大サービスでどんどん使う。
天幕に利用されている布は、清められた麻。結構丈夫にできているのでワシワシ洗っても大丈夫だ。
一般の貴族にはありえないことなのだが、ジーン子爵家では、レイチェルもライラもお洗濯も皿洗いも普通にしてきた。
レイチェルだけでなく、ヘラルドも洗濯は得意だ。
できる事は自分でする、質実剛健が教えのジーン家の娘にとって、洗濯などなんと言うこともない。国で一番上等の麻のお洗濯なんて、楽しい。自然といつものお洗濯時に歌う鼻歌まで混じってきた。
この緊迫した状況下、王国で最も神聖な部屋の、天まで届く高い天井にこだまするのは最近下町で流行りの恋の歌の、調子ハズレのレイチェルの鼻歌。
男達は笑っていいのか泣いていいのか、おろおろしていいのか、怒っていいのか、成り行きを見守るしかなかった。
この国で最も高貴な男達が集まるこの場で、一番力を持っているのは、地味子爵令嬢・レイチェルだと言うのはなんともおかしな話だ。
あらかた物理的に貼られた術式を壊したあと、聖水から天幕を引き揚げた。
やはり貼られた魔術は、聖水で洗っただけで解呪される様なやわな作りではなく、壊された術式の後は、大きな魔力の渦が、禍々しく行き場を求めていた。乾く前に処理した方がいい。
レイチェルは手芸用品の入ったバスケットを再び開けると、針と糸を手にする。
魔力を持たないレイチェルは、自分で魔力を出せない分、タダで使える魔力は、徹底的に利用してきた。
その結果が、ゾイドの目に留まってしまったレイチェルが編み出した妙な複合術式であったりするのだが、こんな大きな魔力が布の上で、行き場を求めて蠢いているのなんて、レイチェルにとってはただのご褒美だ。
壊した術式をいくつか確認する。
(じゃあ、遠慮なく。)
行きつけだった手芸用品店で、在庫処分セールで購入した大きな糸玉を取り出す。
アストリア国最高の麻の布地でできた天幕の天井は、スイスイと針が通って、とても縫いやすい。
気がつけば、月はとっくに姿を潜め、朝日が上り昼がきて、また夜がきて、そしてその次の朝日がやってきていた。
レイチェルはその後寝食を忘れて、とっぷりと魔術と手芸の海に、まる三日もたゆたっていたのだ。




