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月がその姿を見せ始めて、いい加減お腹が空いていた頃だ。
ゾイドが高貴な方々を連れて部屋に戻ったのは。
「お待たせして申し訳ありませんでした。淑女を退屈させてしまうなど、あってはならない事です」
非礼を詫びるが、謝るところはそこではないだろう。とレイチェルは思う。
(まあいいわ)
ジークにスカートの裾をつまみ淑女の礼をとると、
「ジーク殿下におかれましてはご機嫌麗しく。」
と挨拶し、こう続けた。
「難しくてあまり内容は分からなかったのですけど、いくつか本を読ませて頂いていましたので退屈ではありませんでしたわ。それにローランド様とお話させて頂いて、今度一緒に孤児院のお祭りに行く約束をしたのですよ。同じ孤児院に寄付していたのです。今から楽しみですわ。」
気立ての良い娘さんだな。
ルイスは感心した。
実際ゾイドの振る舞いは紳士としてのマナー上婚約者の御令嬢を蔑ろにした扱いと思われても文句は言えない。これ幸いに宝石や観劇やドレスやらを強請ってしかるべき場面だ。
次はルイスが腰を折り、レイチェルに挨拶をする。
「ジーン嬢、はじめてお目にかかります。私の事はルイスとお呼びください。ジーク殿下の護衛を。。」
ルイスの挨拶の終わらないうちに、レイチェルは思わず声が小さく出ていたらしい。
「あー!蝙蝠の臓物男だ!」
今回の騒動の一端を担っているらしい男の名前だ。忘れてはいない。
聞こえたらしい。
ルイスは御前だというのに弾けたような爆笑だ。
黒い稲妻だの、殿下の懐刀だの、令嬢泣かせだのまあ恥ずかしい呼び名で呼ばれた事はあるが、蝙蝠の臓物男は新しい。
ヒーヒー言いながら、
「あー、そう、オレだよ。参ったなこのお嬢さん。オレ達で取ってきた、出どころのしっかりしてる蝙蝠石の反応がおかしいって、お宅の婚約者様が大変なご懸念でね。」
すっかり紳士の仮面を放り出して、素のルイスに戻って少年のように片目をつぶった。
元よりレイチェルの事は徹底的に調査済みで、今年一番笑わせてくれた娘だ。取りつくろう気持ちもあまり持ち合わせてはいなかった。
(不思議な娘だな。。)
ジークは思う。
(感情の見えないゾイドはもうこの娘に夢中になっているし、人が苦手なローランドも心を許している様子。ルイスまで、素の顔だ。)
ルイスは人の懐に入り込むのが非常に得意だ。だが、その分警戒心が強く、素の状態で接する人間は非常に限られている。
「さあ、レイチェル嬢、積もる話があるが、ともかく検査が先だ。ローランド、準備を。」
ジークの合図でローランドは防音、対魔法、侵入回避の大型の陣を展開した。
「ゾイド、報告の内容を再現しろ。事が本当であれば、国家事案だ。」