27
ルイスを伴ってゾイドが足を踏み入れたのは、国境となっている川沿いの魔の森。王国特有の蝙蝠の重要な繁殖地で、保護区に認定している。
魔力を含んだ森の昆虫を餌にしているこの蝙蝠は、体内の臓器に魔力を溜め込み、火を吐いたりして厄介なのだが、その胆石に魔力を通すと一晩は淡く光り、妖しい魅力で、仮面舞踏会では一番人気のある装飾品だそうだ。
「蝙蝠の胆石を耳からぶら下げた令嬢なんか、ゾッとしねえな。」
ルイスはおどけてみせる。
パキッっと枝を踏みつけながらその鞭のようにしなやかな体を進ませる。この森は魔獣も出てくるので、今日はゾイドの身辺警護を買って出たのだ。
「女性の美しい物に対する執着は恐ろしいな。私もせいぜい蝙蝠のように令嬢に肝を目当てに腹を掻っ捌かれない様に気を付けよう」
ゾイドが腹を押さえておどけて見せた。
魔力持ちの人間の胆石も、この蝙蝠のように魔力を通すと光るらしいという研究発表がこの春あったのだ。それを踏まえた、最近流行りの強い魔力持ちである魔術師達の冗談だ。
「あの夜会の時に婚約したご令嬢にか?あの娘の事、殿下が随分とお気に召していたぞ。」
あちこちから上がってくるレイチェルの身辺報告書は、読むたびにルイスを爆笑させてくれるので、ルイスはすっかりレイチェルの報告書を楽しみにしている。レイチェルがフォート・リーの間諜である疑いは一応晴れているが、監視は解かれていない。報告書は定期的に提出させている。
昨日上がって来た報告書には、レイチェルの10歳の頃に盛大に失敗した術式の組み合わせで、お茶会の最中にドレスから発火しそうになった事故のあらましが上がって来た。ジーン子爵も招待の令嬢も、皆魔術や術式の知識はほぼないので、まさかレイチェルの妙な趣味が原因であるとは気がついていない。
「いや、レイチェル嬢は魔力が無いのでね。私の肝なぞより、よっぽど普通の宝石の方が喜ぶだろう」
「魔力無しであの可愛い寝室の空間の状態を保っているとは恐れ入ったね。よほど丁寧に術式を重ねているか、よほどの数を複合させているか、その両方か。」
ルイスはゾイドの足音が止まった事に気づいた。
「ゾイド、お前あんだけ通い詰めててまだあの寝室見た事ないのか?「影」から反逆の疑いが出たくらいには興味深い状態だったぜ。」
ルイスは気にした様子もなく、さっさと先に進む。途中で小さな魔獣が襲いかかってきたが、ひらりと美しい剣捌きで二つに割る。造作もない。
「・・いつ彼女の寝室に。」
ゾイドはイライラを隠さないで鋭く言い放つ。
(へえ、この赤い氷があの地味な女の子に、ねえ。。。)
ルイスが知る限り、この美貌の魔道士の周りにはいつも花のような美しい女達が男の気を引こうと躍起になって集まっていた。女達は皆身分が高く、最新のモードに身を包み、機知にとんだ話題に溢れて、皆一様に美しい女ばかりだった。ゾイドも気紛れにそんな女に構ってやる事もあったが、それだけ。
ルイスは、無駄に美しい、そして感情の薄いゾイドの、ここ最近の変化がとても興味深いものだった。
「影からの報告が上がってすぐだ。心配するな、彼女の招待はもらっていない。勝手に上がり込ませてもらった。特に窓のカーテンの術式は綺麗だったな。」
今度は蝙蝠から火の玉が飛んでくる。ルイスが半分に叩きつけ、ゾイドが小さな雷を放ち炭にした。魔力を有した胆石が、柔らかい黄緑色を放って燃え残る。
後ろからは、今にも襲いかかってきそうなゾイドの刺さる様な鋭い目線が痛い。
第二王子の命とは理解していながら、婚約者の部屋に、己の預かり知らぬ所で他の男が出入りした事は、この男には受け入れ難いのだ。
ルイスは苦笑して、蝙蝠の淡く光り輝く胆石を拾うと、ゾイドに投げ渡す。
「レイチェル嬢に土産だ。これで口説き落としてなんとかあの部屋に入れてもらえ。」
二人は黙々とその後、深い森を突き進んでゆく。
半刻も無言で進んだ先には国境、ハドソン川のほとりに突き当たった。報告にあった通り、国境に敷き引いた結界の一部が魔術で焼き切られ、何者かの侵入があった後だ。内部で手引きした人間がいる。術式の展開から、非常に魔術の知識に長けた内部の人物からも誘導だ。
この国には裏切り者がいる。
国境の結界を破壊し、人の侵入を許すだけの魔術を展開する魔力を持っている人間はアストリア国内でも限られてくる。おおよそ犯人の目安はついている。
ゾイドは魔術の痕跡を焼き、跡形の残らない様にハドソン川に流した。
(まだだ。)
二人の男は言葉を交わすこともなく、何もなかったかのように踵を返す。
胸に去来する思いはそれぞれの心に終われた。




