23
本当に憂鬱ではあったが、王妃の庭はさすがの美しさだ。
庭園は今が盛りとばかり、紫の大輪の薔薇が咲き誇る。残念令嬢・もといレイチェルですら、目を輝かせて大喜びだ。
「今日は紫ですが、先週は黄色と緑でしたね。紫を作るには赤と青の複合の錬成が必要になるので、上級魔術師の仕業でしょう。そうなると大体犯人の目星はついてきます。」
何やら宮廷魔術師の間では、誰が複雑な色を出せるかの遊びが流行っているらしく、ゾイドも色が二色の薔薇を作り出して、王妃からお褒めの言葉を賜ったとか。
「それは錬成の際に強度を変えて二重重ねにしたのですね?」
上位魔術師ですら仕組みがわかりかねたゾイドの種明かしを、この地味な令嬢は瞬時に見破り、こう畳みかけてくる。
「三重にして、真ん中を一番水の要素を弱くするとぼかしになって綺麗ですよ。」
きゃらきゃらと、レイチェルは笑って爆弾を落とす。自覚はまったくない。
「レイチェル嬢、本当に貴女にはまいりました。貴女といると私の存在の矮小さを心から感じます。」
くっく、と分かりづらい表情で笑いを噛み殺しているが、ゾイドは本当に、レイチェルの事が存外に気に入っているのだ。この娘とであれば、かなり退屈しない結婚生活が送れるであろう。
案外妙な地位や財産狙いの令嬢と政略結婚するよりも良かったのかもしれない。突拍子もない魔術へのアプローチと偏愛であるが、割とかわいらしいし、家庭的でつつましやかな娘だ。普通に良い夫を見つけていれば、市井で良い妻、そして母にもなったであろう。
だが。
この娘の異様なまでの魔術の知識は、驚異にもなるだろう。ジーン子爵も、レイチェルもそんな事は露とも気づいてはいない。
己の上司からの命令に思いをやる。
今日の第二王子との非公式な面談要請は、やはりフォート・リー国絡みの探り入れか。夜会の夜より、第二王子はまだ子爵家に疑惑の目をむけている。まだ公にはされていないが、この2、3週間の間にも、きな臭い動きが王城には漂っている。下働きの侍女が2人、王城を秘密裏に去った。馬番の一人が放逐された。全て、アストリア王に危害を為そうとしたフォート・リー絡みの事件だ。おおやけとすれば、開戦のひきがねとなるであろう。
レイチェルはそんな事、知りもしない。呑気に出されたお菓子に大喜びしている。子爵家ではひっくり返っても出てこないような、宝石のようなお菓子だ。
ゾイドは、今日がレイチェルと会う事のできる最後の日になるかもしれない事は十分に理解している。自分でも冷たい男だとおもう。が、それがゾイドに課せられた責務だ。
ー赤い氷、私はそれでいいー
先触れがきた。ジーク王子がやってくる。
ゾイドはチクリと胸が痛んだ気がした。この数週間、レイチェルと過ごした日々はとても楽しかった。魔術院の魔術師と話をするときのように、腹のさぐり合いやお互いの研究の進捗の話ではない。ただただ、魔術愛を語り合える、稀有な同士。不思議な方法で独自のやり方で様々な魔術という知識の海をたゆたって、遊んできた、魔力も持たない娘。ゾイドは今更レイチェルが心から惜しくなった。愛とは言えないし、恋とも言えないが、執着している事は確かだ。
ああ、そうか。レイチェル嬢が欲しいのか。
ゾイドは冷静に自身の心の揺らぎを分析して、愕然とする。
振り返るまもなく、ドアが開いた音がした。第二王子だ。