210
翌日、夫人の宣言通り、レイチェルは夫人ご自慢の温室に案内されていた。
ちなみに二人の息子は、結界に阻まれて、温室を覗くこともできない。
結界を冒すと、鋭利な刃物が発動するという。
大変物騒な結界が、このゆるふわ夫人の手によって張られているらしいが、温室自体はレイチェルの乙女心をくすぐる、とても可愛らしいものだった。
(こ、これが、魔法伯家の、ご自慢の温室。。。)
まるで人形の家のごとく可愛らしい、小さなガラスでできた、丸い天井のその建物は、伯爵からの結婚の記念だという。
外見こそは小さなその建物の扉を開くと、複雑な魔術が発動して、足を踏み入れた瞬間、そこは大変広い花畑になる。
そこには、大陸のありとあらゆる場所から集めてきた、様々な紫色の花々が、季節も場所も忘れて咲き乱れていた。
温度や湿度、光の加減など、全て魔術で管理しているため、このような不思議な光景が可能になるという、魔法伯爵家ならではの、大変豪華な作りだ。
「「まあ、なんて可愛らしいの!!」」
温室の中に建てられた、ブランコが作り付けられている可愛らしい四阿で、二人は向かい合ってブランコに揺られながら、お茶を楽しんでいる。
思わず二人とも同じ感嘆を漏らしたが、セリーヌ夫人は、レイチェルの手土産。レイチェルは、メイド達が次々と魔術で見せる、テオとゾイドの子供時代の姿絵に、それぞれ感嘆しているのだ。
「レイチェルちゃんは手芸が上手なのね!なんて精緻な刺繍なのかしら。早速次の辺境伯夫人とのお茶会に着て行くわ!」
セリーヌ夫人は、ほう、とため息をついた。
レイチェルが、夫人に持ってきた手土産は、大層可愛らしいもの好きのセリーヌ夫人のお眼鏡に叶ったらしい。
紫色が好きな夫人のために、レイチェルが刺繍したのは、紫色のスカーフに、ぎっしりと同色の、小さなリンデンバーグの花々、そしてその周りをぎっしりと妖精達の意匠を白い透ける糸で組み込んだ、レイチェルの渾身の作。
妖精の意匠は、ほんのささやかな幸運を運んでくるという、子供達の服によく使われる非常に可愛らしい意匠だが、フワフワした雰囲気のセリーヌ夫人には、大変よく似合う。
中央にはリンデンバーグの家紋を紋様化したものに、ぐるりと女神の祝福。
砂漠から帰還以来、ずっとレイチェルが取り組んでいた大作だ。
セリーヌ夫人は心から感心したらしい。胸に抱いている、相変わらずレイチェルを威嚇し続けるネコをあやしながら、目はスカーフから話せないでいる。
「まあ、なんて可愛らしいの、この妖精がフワフワ舞っているように見える魔術を組んだのね。なるほど、難しい術式でないけれど、纏った本人が妖精の女王に見えるのね。。こんなスカーフ、みたことも聞いたこともなくってよ。レイチェルちゃん、見直したわ。貴女ただの可愛いだけの女の子でなかったのね。」
目をパチクリと、真剣な顔をして、セリーヌ夫人はレイチェルの刺繍の糸捌きを確認した。
刺繍を嗜む淑女の一人として、そして魔法伯夫人として、レイチェルの魔術も刺繍仕事も、見事なものだ。そしてものすごく、ものすごく可愛い出来。セリーヌの中で、一気にレイチェルは、「できる子」に格上げだ。
「よ、よかったです、お気に召されて。。」
レイチェルはレイチェルで、テオとゾイドの姿絵に夢中だ。
この美貌の兄弟は、やはり大変美しい幼少時代だった様子。
どの姿絵も、フリフリとしたお揃いのドレスを着せられいて、ただゾイドの鋭い瞳だけはどこかちぐはぐな印象だが、どこからどう見ても、王都で1番の美少女姉妹にしか、見えない。
「うふ、可愛いでしょう?二人とも六歳くらいまでは、ドレスをきてくれたのだけれどね、やっぱり自我が出ると、ダメね、お母様のお遊びに付き合ってくれなくなっちゃったわ。」
そう言ってふわりとレイチェルの贈ったスカーフを羽織る。パタパタと、妖精の刺繍が発動して、セリーヌ夫人をあまたの半透明の妖精が舞い、夫人を彩る。
「ほら、ゾイドちゃんは目つきが悪いでしょう?テオちゃんの方が可愛らしくてね、こんなにかわいいものだから、一度誘拐されかけたことがあるのよ。」
うふ、と発動した妖精に飛びかかろうとシャー!と威嚇するネコをあやしながら、この夫人とんでもない事を言い出した。
「ゆ、ゆゆゆ誘拐???」
「そうなのよー、乳母と魔女の森のあたりまで、3人で散歩に行っていた時だったわ。犯人は侯爵家のご婦人でね、どうしてもテオちゃんを養子にしたいって。でも一緒にいたゾイドちゃんがその場で公爵夫人を氷にしたから、テオちゃんは本当は男の子なんですよ、って教えてあげられなかったわ。」
「ご、ごごごご無事で何よりでしたけど、、、今、その、ご婦人は、、」
レイチェルはゾッとする。テオが無事で何よりだが、子供とはいえ、ゾイドが本気で攻撃したら、無事ではすまないだろう。
セリーヌ夫人はクスクスと笑って、
「今?まだ凍ってるけれど、後二百年くらいしたら溶けるらしいの。何せゾイドちゃんったら、手加減できないんだもの。」
そう笑って、魔女の森を指差した。どうやらまだ、氷の柱はそこにあるらしい。侯爵家を持ってしても、魔女の森から氷の柱を引きとることは、どうやら難しいらしい。
本当に困った子よねー、とレイチェルに相槌を求めるが、レイチェルは、はあ、、と生返事しかできないでいた。
「そういう訳で、そのあたりから始まって、すっかりテオちゃん、今ではすっかり女の人が苦手なのよ。あんまり可愛く生まれるのも考えものね。だから、レイチェルちゃんを連れて帰ってきてくれて、本当に嬉しいのよ。」
「。。あの、セリーヌ様、私、テオ様ではなくて、ゾイド様とお付き合いを、させていただいているので。。」
レイチェルは本日何度目かの訂正するが、セリーヌ夫人は何も聞いていない様子。
「うふふ。ほら、ゾイドちゃんなら何も心配ないのよ。あの子はたくさん綺麗な女友達がいるみたいじゃない、問題はテオちゃん。テオちゃんが話をして平気な女の子がいるなんて、それがレイチェルちゃんみたいに素敵な女の子だなんて、本当によかったわ!」
綺麗な女友達がたくさん、という所に、大分引っ掛かりを覚えるが、それよりも、セリーヌ夫人は、ハナから話を聞く気がないのが、問題だ。
(だめだわ。。このお人、ゾイド様のお母様だけあって、話を聞かないのね。。)
そのうち、セリーヌ夫人の胸で妖精を威嚇していたネコが、シャー!!と夫人の胸から飛び出て、走り回って妖精の幻を追いかけ始めた。
「あーらダメよマーガレットちゃん、お母様の妖精ちゃんに意地悪しないで頂戴な。」
フー、フーとこのネコ、美麗ではあるが非常に凶暴だ。
(はは。。)
レイチェルは、この件を訂正する事はとりあえず延期にして、話題を変えてみた。
「マーガレットちゃんっていうのですね、か、可愛いネコちゃんですね。。」
野生丸出しで獲物を追うこのネコ、凶暴だが、確かに美しいネコではある。白い小さなネコだが、体に比べ耳がピンと大変大きく、耳の先から黒いしなやかな長い毛が流れており、青い瞳は、南の海のような明るい青だ。
そこで意外な事を夫人はいう。
「あら、レイチェルちゃん、マーガレットちゃんはネコちゃんじゃないのよ~~。」
うふ、とフワフワ夫人は微笑むと、またネコを、よしよし、と腕に抱くと、
「マーガレットちゃんはねえ、魔獣よ。噛まれたら死んじゃうかもしれないから、レイチェルちゃん気をつけてね~~」
レイチェルは、背中に走る冷たい汗が、止まらない。
(や、やっぱり、魔法伯爵家って。。怖い。。)




