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「ななな、なるほど。。どこかでみた事がある様な、ま、魔力の展開でだ。これはどちらかと言うと、み、水の魔力の展開に近いけれど、ももももう少し硬質と言うか。」
「ああ、組み合わせる陣によっては、展開の仕方が変わってきそうだな。ところでレイチェル、このハンカチは、誰に刺しているんだ?」
「ええ、それにしてもこんなに綺麗にキラキラ光るとなると、ちょっと大量生産できないのが残念ね。。ねえ、レイチェル、この糸使って一つ私にアミュレットでも編んでよ!」
・・うるさい。
なんでこんな事になったのか、とレイチェルはため息だ。
頭上でやいやいと騒いでレイチェルを監視しているのは、いつものテオだけではない。テオの付き纏いの上、ゾイドが付き纏う。その上に、ジジまで興味深そうにレイチェルの手元を見つめている。
あまりのこの兄弟の鬱陶しさに、まだ療養中のジジの、公国の大使館の中にある、ジジの部屋まで馬車を飛ばして、避難していたのだ。
だと言うのに。
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公女・ジジの魔力の問題が解決し、公国の継承権が第一位に正式に認証されてより、ジジの住まいは、王宮から、公国の管理下に移された。
ジジはもう、次代の公国の大公として、今までの様に王宮内を適当な格好で、ウロウロできない不便な身分となってしまったのだ。
折角下品なドレスを山ほど仕立てたと言うのに、やんごとなき身分のその頂上の様な今のジジに、妙齢の貴公子が面会するには、大使館を通しての、非常に面倒な手続きがいる。
つまり、レイチェルにとって、鬱陶しい貴公子の兄弟の監視を振り切るには、ジジの部屋はちょうど良い避難先だと思われたのだ。
だと言うのに。
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「あらジジ、また大きくなったんじゃない?今度私のはけなくなった靴を持ってきてあげようか?」
レイチェルは、薔薇の木でできた家具ばかりに囲まれた、可愛らしいが、格式の高いジジの部屋に面した、これまた薔薇の生垣で囲まれた四阿で、二人で午後のお茶を楽しんでいる。
薔薇は、公国では非常に大切にされ、大公家の紋章にも使われているのだ。高い天井のその天井画にも、空に届くかのごとく薔薇の生垣が描かれている。
ジジの成長は順調で、まだ小柄ではあるが、少しレイチェルより背が足らないくらいの身長までの成長を成し遂げた。小柄な成人女性としては、全く不自然ではない。
恐れを知らないレイチェルは、本当に、親切心で、一国の公女に自分のお下がりをあげようか、など言って、ジジを笑わせる。
「貰ってもいいけどさ、あんたの履き古しなんて、どうせ変な術式がかかってる刺繍でも施してるんでしょ、いい男の前で変な踊りでも始めちゃったら困るから、お断りよ。」
「あら、私、靴には刺繍は一つしかしない主義なのよ!失礼ね!」
二人は、軽口を言い合って、けたけたと笑う。
急に国家の代表としての責任が双肩にのしかかってきたジジにとっては、この絶対に何も変わらない、得難い友人とのひと時は、本当に至福の時なのだ。
ジジは成長痛もだいぶ緩和されて、成長した体にもようやく慣れてきたらしい。
成長してようやく明らかになった、妖精のごときにはかなげな、しかし圧倒的に凄みのある美貌は、一国の次期公国の主人にふさわしいもの。
今や大陸中の貴公子という貴公子の見合いの釣書書や、恋文、芸術家たちの捧げてくる歌劇やら彫刻、貴婦人のサロンへのご招待やらなんやらで、ジジは辟易としているのだ。
あれだけ欲した成長した貴婦人としての人生も、決して甘くはない。
こんな事なら子供の姿のままの方が楽だった様な、とぼんやりと考えてしまう。
「あんたのお下がりの靴はいいからさ、今日はゆっくり刺繍していきなさいって。あのバカ兄弟に付き纏われて、本当にゆっくり刺繍もできなくて、たまったもんじゃないわよね。」
ジジは、美しい薔薇の刺繍のある真紅のドレスを翻して、優雅にお茶を嗜む。ゾイドはもとより、ジジはテオとも面識がある。
ジジのグシャグシャだった金の巻き毛は、今や豪華な、金の波打つ海辺の様だと、先日恋文を寄越したどこかの公爵が形容した。
美しい貴婦人になったジジも、子供の姿のジジも、レイチェルはあまり違いに気にならない様子で、相変わらずのジジの扱いが乱暴なレイチェルのことを、掛け替えのない存在だと、思うのだ。
(おそらく、遊びに行ってパイでも振る舞われたら、皿を洗わされるだろう。この乱暴さが、心地いいのだ。)
レイチェルはジジの言葉に甘えて、薔薇の香りのするジジのお気に入りの紅茶をいただきながら、ここのところちっとも進まなかった、刺繍に没頭する。
ジジも、レース編みに着手する。薔薇の紋様が入ったレース編みは、公国の名の下で功績をあげた功労者に、下賜されるものだ。何枚あっても足りない。
二人の若い娘はまるで、一般的な貴族の令嬢が過ごす、理想的な午後の様なひとときを、過ごしていた、はずだった。
「。。レイチェル、あんた、またなんてとんでもないものを、刺してるの、、」
ジジは、レイチェルが刺しているハンカチをチラリと見て、手に持っていた繊細な、卵の殻でできたかの様な茶器を、すんでの所で、落とすところだった。
「ん?ただの薔薇の伝統文様よ?術式すらまだ入れてないわよ。」
レイチェルは、ジジの方も見ず、ようやく集中してハンカチに刺繍できる事に安心して、突貫で仕上げにかかっている。
何せ、テオが質問してきたり、リウが呼びにやってきたり、ゾイドがかまって欲しいと拗ねたり、レイチェルが手芸に集中しようとすると、邪魔ばかり入るのだ。
この機会を逃すと、刺繍の完成はいつになるのか、わかったものではない。
次期ロッカウェイ公国大公・ジジは、レイチェルの刺繍を見るとその場で素早く早馬を呼んで、アストリア国の竜研究の筆頭研究(・・残念ながらこの場合は、テオになるのだが・・)と、己の上司、魔術研究所の責任者を、緊急召喚した。
要するに、レイチェルが逃げていた二人。リンデンバーグ兄弟である。




