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「愛しい人。君の瞳に写る栄誉を私に許してはくれないかい?」
扉の向こうから、甘い、甘い声。
レイチェルはため息だ。これが最近ゾイドの中での流行。
「ゾイド様ったら!もう、どうして普通にノックして入ってくださらないの!」
レイチェルは真っ赤になってガチャリと研究室の扉を開けた。
真っ赤になって出てくるレイチェルの可愛い顔が見たくて、最近はいつもこうして、入室の許可を得るのだ。
レイチェルは、テオを卒倒させるほどの大事件を起こした事も露知らず、淡々と塔の研究室に戻って、いつも通りに静かに刺繍をしていた。
竜騎士は、皆竜の専門家ではあるが、レイチェルがしでかした出来事が、一体何であったのか、初見で理解できるほどの知識を持つ人間は、あの場ではテオただ一人だった。
リウから、卒倒したテオを引き取ったゾイドは、事の次第を聞いて、すぐに何が起こったのか理解に及ぶことができたが、それはレイチェルが、魔力を持たない石の乙女である事、そして今までにどんな突拍子もない出来事を起こしてきたか知っているゾイドであったためだ。
皆、テオはメリルに振り回されて気分が悪くなっただけだ、と信じている。
まさかレイチェルが、そんな大事を起こして涼しい顔をしているなどとは、天地が遡っても思いもつかない。
レイチェルの視界の片隅に、隣室のご老体が、ニヤニヤしながら自室に入ってゆくのが見える。(若いって良いのお)と言いたげだ。
日に日にエスカレートしてゆくゾイドのレイチェルへの溺愛っぷりに、塔の魔術師達はもう慣れたものだが、レイチェル一人、毎回悶絶している。
扉を開けたら今度は息ができないほど抱きしめられて、ああここは天国だろうか、天使を我が腕に捕まえてしまった、などこれまた地味令嬢がそれこそ昇天してしまう様な振る舞いで、レイチェルはこの人外に美しい男の腕で、毎度毎度心臓が止まりそうになる。
(本当に、そのうち慣れる日が来るのかしら、これ。。)
ゾイドの、タガが外れた溺れる様な愛情に、レイチェルは息も絶え絶えだ。
「。。レイチェル、このまま貴女の唇を許していただきたい所なのですが、客人を連れてきましたよ。」
ゾイドの言葉に、半分天国に行きかけていたレイチェルも、気を取り直す。
気まずそうにゾイドの後ろに、大きなメガネのクシャクシャ頭の、問題児が立っていた。
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「テオ、言いたいことがあるんだろう。」
ゾイドは、テオの背中をぽんぽんと叩いて、優しい目をして困った弟に話を向ける。テオは話したいことがある様子だが、言葉がうまく紡げない様子だ。
「。。。。」
(やっぱり、このお方、お話が苦手なのね。)
レイチェルは薄々と、テオのことがわかってきていた頃合いだ。
きちんと礼は言えるし、どうやら悪い人ではないらしい。
自分の興味がある事以外は何も関心がなく、だいぶ極端な性格で、それから思い込みが激しく、女性がどうも苦手らしいというのは、竜騎士達からやんわりと教えてもらった。
(なんだか、ゾイド様みたいね。)
レイチェルは、静かにテオが落ち着くのを待ってやる。
ちょうど紅茶を飲みたいと思っていた所、いつものオレンジの香りのする紅茶を、コポコポ淹れてやることにした。
レイチェルもあまり話は得意でない。
こういう時に、圧をかけられたりされると余計に話にくくなるのはよく知っている。
レイチェルは、何も言わずに、ただじっと待ってやる。
ゾイドは、そんなレイチェルを愛おしそうに、静かに見つめていた。
レイチェルは、いつも人の心にそっと静かに寄り添う。
ゾイドの困った弟の心の側にも。
静かな、決して心地の悪くない沈黙が続いた。
「れれれレイチェル、どうやった?」
二杯目の紅茶が冷たくなった頃、突拍子もなく、急にテオは口を開いた。
「何を?」
レイチェルはちょっとびっくりして、それでも真っ直ぐテオの目を見て、真っ直ぐに聞き返す。
「め、メリルから、魔力を。」
「。。どうやって引き出したか、ということが聞きたいんだな、テオ?」
そっと、ゾイドがレイチェルにわかる様に、言葉を足してやる。
ようやくテオの口から言葉になった言葉は、かなりの大音量だ。
レイチェルはちょっとたじろいだが、すぐに普通に答えてやる。
「ええっと。。。どうやって?ってそんなのわからないわ。余ってた魔力だったから、借りてきただけよ。普通にこうやって、陣の真ん中にメリルを入れて、メリルを媒介にしただけよ。」
レイチェルは、ちょいちょい、と手元の紙に今日使った術式を書き留めて、見せてやった。
確かに真ん中に魔石でも入れたら、簡単に出力する様な非常に簡素な術式を中心に、色々出力に関係しない無駄な祈祷やらが入っている。
「そそそそんなばか、な。ケケケ計算は??出力は?ままま魔力に対する出力量のちょ、調整は??ふ、風速と地圧との、ケケケ計算式は?」
レイチェルはあははは、と令嬢らしからぬ大きな笑いをすると、
「適当よ適当!そんな難しいことレイチェルにわかりっこないわ!大体で良いのよ、メリルがお昼寝に気持ち良ければそれで良いのよ!」
テオ様、私、魔力がない上に、学校に通ったことなんてなくってよ。そんなテオ様のおっしゃる難しい計算なんて、わからないわ!とカラカラと笑う。
「さすがですね、レイチェル。少しだけ暖かくなる様に組み込んだのですね。さぞメリルは気持ちよかったでしょう。所でこれは砂漠語ですね。アッカの神の祝福ですか?」
ゾイドは神殿以来、こういう事は慣れているので、レイチェルの気まぐれな術式の意図もすぐ理解できる。
「ゾイド様、実はよくわからないんですよ。砂漠語、これなら書けるので、書いてみたんですの・多分何らかの祝福が元だと思いますけど、実際はおはようと、おやすみなさい、の挨拶ですわよ」
適当だ。
適当すぎてテオはまためまいを起こす。無駄だらけの術式だ。
(多分ってなんだ。)
テオが術式を組み立てる時は、完全に物理対象の情報を把握して、ありとあらゆる角度からの完璧な計算式を組み立てて、その上で発動する様に、それは精緻な物を作り出す。
こんな思いつきで、適当に作った術式で、竜の魔力を直接転用するなど、信じられない。大事故の元だ。そもそもなんで発動した。
テオは、しばらく茫然とレイチェルを眺めて、適当すぎる術式を眺めて、そして考えに浸っていたが、今度はゆっくりと、頭を掻き毟って、そしてその大きなメガネを外した。
メガネの奥に隠れていた、黄金の瞳で、真っ直ぐレイチェルを目を見て、そして全く淀むことなく、こう聞いたのだ。
「。。レイチェル、答えて欲しい。君は何者だ。なぜこの様な術式で、竜の魔力が引き出せるんだ。竜には、魔力と引き換えに、何を与えたんだ。」
(おや。。)
ゾイドが眉を動かした。
テオが言葉に詰まることなく、淀みなく話をする時は、完全に興味の対象と、話の対象が一致した時だけだ。
そして、テオは、人の目を見ることも、顔を見られる事も非常に苦手だ。
メガネをつけているのも、直接人の目を見なくて済むためと、無駄にその美貌で人の目を引かない様に、だ。
それを自分から外して、ゾイドと非常によく似た、魔物の様に美しい顔をレイチェルに晒して、この地味な娘を直接我が目で見据えようとしている。
完全にテオの興味をひいたのだ。
(面白いことになったな。。)
レイチェルは、メガネの向こうに隠されていた美貌に少し驚いたが、急にまともに話をしだしたテオに臆することなく、真っ直ぐその目を見つめて、真っ直ぐに言葉を返す。
「私の名前はレイチェル・ジーン。魔力が引き出せたのは、メリルが良いって言ったからよ。メリルには、お礼にりんごをあげたわ。」




