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翌朝、惜しまれながらアストリア使節団は、メリルと共にアストリアに発った。メリルが贈られた事は、すでにアストリアでは大きなニュースになっていて、皆首を長くして到着を待っているという。
北の大国で竜騎士の訓練を受けている一隊が呼び戻されて、メリルの世話の担当になるとか。
「ゾイド、レイチェル、こちらだ。」
ユーセフが案内をした先は、アッカの王宮神殿。
王の間の奥に設置された、王族専用の神殿だ。
この神殿は王族以外の立ち入りは禁止されている。ユーセフは、見送りを切望した父の案内を断り、この大切な友人の旅立ちを自らの手で送ることを決めた。
良き友人としての、3人だけの時間が欲しかったのだ。
アッカの神殿の建物を抜けると、小さな庭に、四阿のような建物があり、中にはアッカの神を模した、白いレリーフが飾られていた。
このレリーフに、魔術が仕込まれてあり、行先登録をした、アストリアの女神神殿まで、一息に飛ぶ事ができるという。
「本当に、名残惜しいな。」
ユーセフは、嘆息する。
「ヨル、貴方も遊びに来たらいいのよ。いつだってヨルなら歓迎よ。それに、この指輪、外し方を思い出したら連絡して頂戴ね。」
ユーセフも、ゾイドも、レイチェルの指に輝く赤い石の正体を告げていない。
大して邪魔でもないし、綺麗なのでレイチェルも気にしていないが、この指輪がレイチェルの指から離れる日は決してこない事を、レイチェルは知らないでいる。
なお、ユーセフは、
「指にぴったりする魔術をかけて、外し方を忘れた。大した指輪でないから、もらってよ。」
とだけレイチェルに告げている。ゾイドは腹立たしいので何も言わない。
「。。来るなら、一番いい酒持ってこい。杏の酒は美味かったな。」
「お前が飲んだことのないような酒を持っていってやろう。腰を抜かすなよ。」
ゾイドなりの、いつでもおいで、また一緒に飲もうというメッセージらしい。
昨夜勝手に弟子入りした、ダニエル一兵卒とはしっかり連絡先を交換して、帰国したら文通を始めるらしいのに、この扱いの違い。
ユーセフはクスリ、と微笑んで、王族にのみ許された、呪文を詠唱し、ゲートを開いた。
あとはそのゲートに、ゾイドが魔力を投じるだけだ。
ゾイドがゲートに集中し、魔力を投入する術式の詠唱を始めた。
膨大な魔力が必要となるので、詠唱にも時間がかかる。
赤い氷のような瞳が輝きを放ち、緩やかに銀の矢のような美しい髪が空に浮かぶ。
魔力を解放したゾイドの美しさは、見慣れているはずのレイチェルですら、しばらく動けなくなるほどの悪魔的な美しさだ。
レイチェルがゾイドの背中に見惚れていると、ぽつり、とユーセフは呟いた。
「。。レイチェル、君を騙してごめん。」
ユーセフは、重い口を開いた。
本当は心の優しいこの青年は、大切な友を騙していた事が心残りだったのだ。
レイチェルは、少し悲しそうに、そしてすぐ笑顔になって、言った。
「いいのよ、ヨル。私が心細かった時に、私の側にいてくれてありがとう。」
「。。最初はほんの、出来心だったんだ。ただの庭師になって、異国の娘相手に揶揄っていただけだったんだ。だというのに、そんな私に君はいつでも優しくて、可愛くて、それから精一杯の友情をくれて。婚約者のいる君に私は勝手に恋をして、後宮に入れようとしたり。自分が恥ずかしくなったのは、これが生まれて初めてだ。」
ユーセフは苦しそうに、そう告白する。
「もうよして、ヨル。」
ユーセフは、しっかりとレイチェルの方を向いて、キッパリと言い切った。
「レイチェル、君と過ごした日々は、本当に素晴らしいものだった。ずっと二人でいる事ができたら、と切望したものだ。だが私は君を諦めよう。そして君たち夫婦に心からの祝福を。これが私の君への贖罪で、そして私から友人達への、最高の花向けだ。」
ユーセフは無理に笑顔を作って、泣きそうな顔を笑顔で隠し、そう言った。
「。。。。ヨル。。。」
「。。。。レイチェル。準備が整った。こちらにおいで。」
ゾイドは長い詠唱を終えて、ゲートはゆらゆらと紫色の光を放つ。
アストリアまでの回路が通じたのだ。
「ゾイド、気をつけてな。」
「ああ。生き延びろ。いつでも連絡してこい。」
男達は、ガッチリと握手を交わした。
これからユーセフは、砂漠の大改革という大変な重責を伴う仕事が待っている。
大きな苦難を伴う荊の道だ。命を狙われる事も、今より桁違いに多くなるだろう。
それはゾイドがおそらく、一番理解している事だ。
しばらくは顔を合わせる事はないだろう。ともすれば、命のある間にこの3人が顔を合わすことができる日は、もうこないのかもしれない。
「世話になった。」
ゾイドは短くそれだけ言うと、レイチェルの肩をだく。後は出発の呪文を詠唱したら、砂漠の国に、さようならだ。
「。。ヨル、本当にありがとう。あなたの事は絶対に忘れたりしないわ。」
レイチェルは、ゾイドの腕の中から、涙を堪えながらヨルを見つめる。
ゾイドは出発のための、長い呪文の詠唱に入っている。
(・・愛しい。)
小さなレイチェルが目に涙を溜めて、ヨルを見上げるその可憐な姿は、まだレイチェルへの想いを諦め切れていない、ユーセフには耐えられるものではなかった。
そして・ヨルは結局はユーセフ第一王子であるということを、レイチェルは思い知らされる。
「。。レイチェル、忘れ土産だ。」
そう言うと、ユーセフは今までのしんみりとした態度から打って変わって、堂々とした足つきで、ツカツカとレイチェルの元に歩み寄り、ゾイドの腕の中からぴょっこりと顔を出しているレイチェルのその顎をくい、と上に向けて。
そのレイチェルの小さな唇に、燃える様な情熱的な、口づけを、落とした。
「きゃああああ???』
「ユーセフ!!!!人が詠唱してる間に卑怯な!!」
ユーセフは、悪い大人の顔をして、ニヤリと笑う。
この男、やはり一筋縄ではいかない、砂漠の大国の第一王子なのだ!
「最後の土産に、貰っといたぞ!精々2人とも幸せになれ!」
大騒ぎする2人を尻目に、魔術は発動する。
「ユーセフ!!!この野郎、お前はミンチにして、メリルの餌にしてやる!!」
そんな声を最後に、砂漠の偉大なケマル・パシャと、砂漠の聖女、レイチェルは、転移門に吸い込まれて行った。




