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ジークはその空色の瞳をゾイドからの報告書に落として、しばらく沈黙していた。
王宮の執務室は、無駄に大きい。執務室に配置された磨き上げられた美しい古いオークの家具には、王国の歴史を記す、様々な王族の紋が掘り込まれており、寄木細工のデスクには、太古の魔術のポーションが模様として嵌め込まれてある。どれも即美術館の目玉になりそうな、一級の美術品だ。
ルイスやローランドはいつもジークの副官として執務室に常駐しているが、ゾイドは基本的に魔術院所属なので、あまり出入りがない。今日は報告書の提出にやってきたのだ。表情は固まっているが、赤い瞳は楽しくて仕方がないという様相。
あまり見慣れないゾイドの様子に、ジークは少したじろぎながら、報告書に目を通す。
「・・・ほう。」
ジークの眉が動く。
「なかなか面白い事になっている様子だな、お前の婚約者殿は。」
「ジーン嬢です。殿下。」
ゾイドが被せる。この男の口から令嬢の名前が出てくる事がそもそも珍しい。
ルイスがジークから報告書を受け取り、こちらは表情豊かな男の事、最初はつまらなそうに、そして食い入るように、そして最後は爆笑した。
「ははははは!こりゃいいや!」
御前であるにも関わらず、足をバタバタさせて悶絶する。
そして報告書を心配そうに上役を見守っていたローランドに手渡すと、こちらは物静かな男だが、これもルイスと全く同じく、机に突っ伏して悶絶している。
「こんな面白い令嬢が王都にいたとはな!星の並びの正しい知識から、古今東西の古代魔術の歴史、紋様化されているものならほぼ学者並の知識か。しかも魔導院では把握していない新しい術式展開の強化や相殺の方法を独学で編み出して??それで一人で遊んでるのか!でも本人には魔力はほぼない?」
報告書最後のページに至ったら、もうルイスは爆笑で息ができない。
「ギャハハハ!屋敷の鍋敷に展開されてたレース編みとあの夜会のドレスの首元一緒なのか!道理で火の術式なわけだ。デビュタントの夜会に鍋敷をきてきたのか!」
上位貴族の娘たちの装いをこれでもかと見せつけられていたルイスは、どれだけ娘たちが細心の注意を払って、そしてとんでもない金額を掛けてデビュタントの夜会の装いを作り上げてきたのかよく知っている。レイチェルは他の令嬢と同じ情熱を持って、とんでもない方向で彼女なりの最高に装ったのだ。
ヒーヒーお腹を抱えているルイスとローランドを他所に、
「その術式が発動しない程度の強度で、二重に別の国の水の術式を掛けて、その上芸がないからと言って歪ませてましたよ。全くとんでもない計算と技術と知識の上にあの夜のドレスが作りあげられていました」
淡々と情報を紡ぐ。
地味な娘なものか。魔術を少しでもかじっている者であれば、この娘の大掛かりで繊細な、そして大胆な、派手な術式にもう目が離せなくなる。ただ惜しいかな、王都のデビュタントの夜会の参加者に、そもそもレイチェルの作り上げた術式に何かを感じ取ることができる高い魔力を持つものなど、王子とその側近くらいしかいないのだ。
「次に会いに行った日に纏っていたドレスも、その次の日も似たように色々畳みかけてくるような怒涛の魔術展開の装いで、気がついたら一週間も通い詰めていました」
しれっとゾイドは告白するが、事情を知らない外野には物凄い熱烈な求愛にしか見えないだろう。社交界ではもう大変な噂となっている。
「令嬢に大分入れあげているという噂は耳にしていたが、そんな面白い娘なら、毎日どんな装いをしてくるかを見るだけでも会いに行きたくなってしまうな!」
ジークは心底羨ましくなって、心から呟いてしまった。何せ、毎日毎日のお茶会は本当につまらないのだ。同じような装い、同じ化粧、同じ話題。一週間も通い詰めてでも話をしてみたいなど、生まれてこのかたどのご令嬢にも感じた事はないのだ。
「ローランド、お前ちょっと資料館に返却する資料があったろ、ちょっと返却するついでに令嬢の様子をみてきてくれ。この娘に本当に興味が湧いてきた。」