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「馬鹿娘、何を言って。。。」
ヤザーンはレイチェルに突き倒されて、カンカンに怒っているが、レイチェルの真剣な顔を見て、一旦話を聞く気持ちになったらしい。
そっと自分が転がされた、絨毯の感触を触る。
レイチェルの織った絨毯だ。よく知っているが、触ったのは初めて。
まだ完成とは言えないが、織りの部分は終了している。
見事なものだ。何か魔力が発生している様子。
「ヤザーン様、ねえ!」
ヤザーンは、何かに気づいたらしい。
完全に固まってしまって、
何も言わない。
そして、正気に戻ると、今度は慌てて、 確かめる様に何度も、何度も絨毯を触り、頬を当て、そして、座り込んでしまったのだ。
「。。。砂漠の風だ。」
セスが、心配そうに歩み寄る。
この男は、実に気のいい男なのだ。
ヤザーンは、言葉が出ないらしい。
大きく見開いた目は、虚空を彷徨って、口は何か言おうとしているが、言葉になっていない。
細かく体が震えているのが見える。
「ヤザーン様、大丈夫ですか?」
セスが心配して抱き起こそうとすると、ヤザーンは、ガバリとセスの体にしがみついて、言った。
「お、お願いです。今すぐにユーセフ王子を、今すぐに、ここに!!!」
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ユーセフはその頃、灌漑施設の点検の計画を練るための会議の最中だった。
ケマル ・パシャの働きによって、異常気象の発生の根源は断たれたが、水の安定的な供給には、やはり灌漑施設の管理が必須だ。
(竜さえ、孵化する様になれば。。)
ユーセフは、そのこめかみに痛みを覚える。
心が重くなると、いつも思い出すのは地味な顔のあの娘の大きな笑顔。
まさかパシャの婚約者とは思いもしなかったし、それがあの伝説の「石」であるなどと、想像もつかなかった。
(ただの侍女であったなら。。)
ユーセフは重いため息をつく。
砂漠の秘宝を持ち出して、汚い手を使ってまでその心を手に入れようとした娘。
レイチェルの事を思うと、ユーセフの心は少年の頃の様に軽くなり、明日は良い一日になる様な、そんな気がするのだ。
パシャが帰ってくるまでは、交渉してパシャに譲ってもらおうと、思っていたのだ。
石の乙女だ。
高くはつくだろうが、価値はある。
だが、パシャが帰ってきてからのレイチェルとの蜜月ぶりは、話を聞くこちらが赤面するほどの寵愛ぶりだという。
同じ頃、遠くアストリアに放っていた間者が帰ってきた。
レイチェル・ジーンの身辺報告だ。
(神殿の乙女、石の乙女、下穿きの聖女、、残念令嬢、引きこもり。)
非常に、不思議な報告内容だった。
雲を掴む様に、正体が見えないのだ。
ユーセフの目の前にいた、地味で優しい娘の正体。
(。。また、考えていた。)
ユーセフは、深いため息をつく。
その頃。
外が騒がしい。
「何事だ。」
扉の外には、外国人の若者がいた。
息せきを切って、砂漠風の挨拶をとる。この男、確かパシャの所の使節団の一人だ。
あちこちで砂漠の国の役人がこの男を止めようとしたらしく、後ろから大勢の役人が追いかけている。
「はあ、はあ、ユーセフ王子におかれましては、ご機嫌、はあ、麗しく、はあはあ。」
ようやく追いついた役人たちは、鬼の形相である。
若い男の腕に縄をかけようとした役人たちを一旦止めて、話を聞いた。
「お前はアストリアのパシャの部下だな。この野蛮な振る舞いは一体何事だ!」
ユーセフは苛立ちを隠せない。
「ご無礼をお許しください。卵が、はあ、はあ、卵が孵るかも、はあ、しれないのです。」
若い男は、息切れを起こしながらも、何か大切な事を伝えようとしている。
「はあ、はあ、ヤザーン様、はあ、より。はあ、医務室まで、はあ」
医務室には、パシャがいる。
ヤザーンが何かを見つけたのだ。ヤザーンは非常に教養が高く、そして誰よりも砂漠を愛して止まない。
卵の孵化。
一体なんの話だ。
ユーセフはセスを掴むと、転移魔法を発動させる。
行先は、医務室。




