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「そんなに聞いて欲しいなら聞いて差し上げますわよ、ヤザーン様。」
だるそうに、絨毯に向かう手を止めないで、レイチェルは、ヤザーンにブツブツ返事をする。
どうやらこの娘、手芸に入り込んでいる時は、無理やり食事を食べさせないと食べないと理解したヤザーンは、なんだかんだで毎日一度は、ヤザーンが食事を運んでやる様になったのだ。
アストリア語には、かろうじて反応するのだ。
若い娘だというのに、なんと、前に訪れた日、レイチェルが3日(おそらくそれ以上だ。)も入浴してすらいないと気がついて・・人としての義務を正しく認識し、レイチェルの服をひっぺがして、風呂に投げ入れてくれたのもこの宦官。ヤザーンが来なかったら、どんな状態だったかと思うと震える。
(ユーセフ様は、一体どういう風の吹き回しで、この風呂も入らん娘にかまっているのか。。)
最初は、庭師のヨルを装って、レイチェルに近づくユーセフ王子に、そうヤザーンも思っていたのだが、あまりに突拍子もないこの娘が面白いのだろう。
最近はどんな事で驚かせてくれるのか、ちょっと楽しみにしている。
この娘、心に表も裏もないし、手芸と魔術以外に何も興味はない様子。(何せ若い貴族の娘が、手芸に没頭して風呂すら入らないのだ!)
ヤザーンが宦官だろうと、王子だろうと、猫だろうと、心の底からあまり関係はないらしい。ヤザーンは、ヤザーン。この娘の側は、楽なのだ。
そうなると、ねちっこくて鬱陶しいヤザーンの本性がレイチェルの前でもだんだん出てくる。
あまり侍女達にヤザーンが好かれていないのは、こういうしつこい所だ。
「本当に、本当に何か聞きたい事はないのか?少しはあるだろう。」
ヤザーンがしつこく絡んでくるのは、宦官という己の状態に、何か質問して欲しいから。
絶対に宦官という存在に対して、何か質問が、誰でもあるはずなのだ。
レイチェルにも質問して欲しい。
毎日毎日、何か知りたい事はないのかと聞いてきてうるさい。
結局の所、ヤザーンは自分が宦官である事に、少なからず自身の特別性と、それからねじくれていながらも、自己を見出してしまっているのだろう。
人とは、実に難しい生き物である。
鬱陶しいったらありゃしないが、最近はヨルにもらったカードすら、ヤザーンに毎日開けてもらって、(せっかくの宝物は辛うじて自分で取りに行っているが、髪も解かさないで庭に出るので、呆れた侍女達が交代で髪を結いにやってくるほどだ。)読んでもらっているほどお世話になっているので、うざったいが、付き合って相手にしてやる。
この手芸狂い、魔術狂いの娘、すっかり孤独で寂しかった事など何一つ覚えちゃいない。
早く、絨毯を仕上げて、術式がどの様に発動するのかこの目で見たいのだ!
残念令嬢の本領は、ここに真骨頂の発揮である。
実家の侍女・マーサは実に立派だったのだ。
「男性の物を切り取るのでしょう?ヤザーン様、今は痛みませんの?夜になったら、昔の傷が傷んだり、しません?よく戦争帰りのお方は、古傷が痛むとかおっしゃってたわ。」
レイチェルは、毛糸が擦れてできた、擦り傷だらけの絨毯の手を止めて、ヤザーンの目を見て聞いた。
針ダコもあるし、こんな手をした若い娘など、貴族令嬢どころか、ちょっと裕福な庶民の娘でもいやしない。
侍女達が、心痛めて、折角手に塗る様に置いて行ってくれた油薬を、レイチェルは蓋も開けてやしないらしい。
レイチェルは実は少しだけ、この鬱陶しい男の事、心配していたのだ。
あの幽霊の様な歩き方だ。ひょっとして、今も足の間が痛いからかしら、と密かに気にしていたのだ。
やっと聞いてもらえて、結構嬉しいヤザーンはウキウキ答える。
「グフ。ええ、痛いですよ。普段は痛くないのですが、夜が冷える日は、奥歯の奥がキンキンする様な気分です。こればかりは本当にいやですね。」
ああ、やっぱりだ。気の毒に。レイチェルが庭ですっころんで、膝のお皿を割ったよりも、痛そうだ。
レイチェルは少し考えてから、言った。
「。。。ヤザーン様、貴方に、アストリアの雷の呪いをかけさせて。」
ヤザーンは嬉しくてたまらない。
きた!!本当に、いきなり突拍子もない事を言い出すのだこの娘!!
「。。ええと、それはどういう意味合いで。。」
済まし顔をしてはいるものの、ウキウキしながら、レイチェルの次の言葉を待つ。
砂漠に娯楽は少ないのだ!
「私ね、一応神殿の乙女なのですが、祝福よりも、呪いの扱いが得意なの。傷の程度を教えて下さったら、傷がいい具合に痺れる呪いをかけた下穿き、作って差し上げますわ。私、どういう訳だか、あちこちから下穿きの聖女と呼ばれてますのよ。」




