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レイチェル初の絨毯が完成した日は、地味な侍女達の居住区はお祭り騒ぎだった。
レイチェルの完成させたのは、紺の地の、白い花の模様の入った、小さいサイズの絨毯。
初めてにしてはよくできたと、侍女達は手放しで喜んでくれる。
地味な建物のあちこちに小さな提灯を下げて、楽器の得意な侍女は何やら砂漠の歌を奏でる。
その曲に合わせて躍ったり、歌ったり。
大陸語の子供達もアンリ先生も、そして驚くべきことになんと、ヤザーンまでレイチェルの元にやってきて、おめでとうと、告げて、揚げ菓子をくれた。
この砂漠では、女の子の初めての絨毯の完成は、非常におめでたい事らしい。
それが砂漠語のできない娘が完成させたとしたら、名誉はその絨毯の織り方を教えた侍女達にあるらしく、どの侍女も非常に誇りに思っている様子。
侍女達は、お祝いの時にしか炊かない、デーツの入った、鮮やかな色のコメをたいて、喜んでくれた。
夜中まで、お祭り騒ぎは続く。
ハーレムから第一王子の妃達まで遊びにやってきて、レイチェル初の絨毯織の完成を喜んだ。
手に手に甘いお菓子を持ってくるので、侍女達も子供達も大騒ぎに取り合う。どんちゃん騒ぎだ。
砂漠の娯楽は少ないのだ!
レイチェルは心の底から、とても感動していた。
どんな難しい刺繍を完成させたとしても、編み物の大作を仕上げても、今の今まで、誰もお祭り騒ぎなど、してくれない。
せいぜい、よかったね、とか。その程度の反応が得られたら良いくらい。
でも、ここは、レイチェルの絨毯の完成に、これだけ皆が、喜んでくれる。
レイチェルは、提灯のオレンジ色の明かりをぼうっと見つめていた。この砂漠の国が、大好きになっていた。
引きこもって、毎日絨毯を織っていたらいい。
絨毯が織られたら、お祭り騒ぎで、みんなで甘いものを食べる。
社交もいらない、コルセットのあるドレスもいらない。
レイチェルは、とても幸せだった。
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ヨルがレイチェルをおとずれたのは、夜半もすぎてから。
「おめでとう、レイチェル。」
そう言って、どこから手に入れたのだろう。お祝いと言って、大きなバスケットいっぱいに、色とりどりの珍しい果物を持ってきてくれた。
「ありがとう、ヨル!」
侍女達も妃たちももう部屋に帰り、誰もいなくなった部屋に、ヨルを案内する。
今日はとても、月が綺麗だ。
レイチェルに促されて、ヨルは、レイチェルの初絨毯を手にした。
とても上手にできている。小さな白い花は地味で、可憐でレイチェルの様だった。
市場に並んでも、いい値段がつくだろう。
女性の作る、初めての絨毯は、とても縁起が良いと言われていて、市場ではそこそこ高値がつく。
砂漠の娘達は、初めての絨毯が完成すると、そこでようやく一人前の女と認められる。
そして初めて織った絨毯を売って、結婚の際の、持参金とするのだ。
「。。ヨル、この絨毯を、あなたにあげるわ。」
レイチェルは、侍女達からのお菓子を勧めながら、ポツリと言った。
ヨルは口にしていた、水分の少ないお菓子を喉につまらせ、咳き込んでしまった。
そんな大切な絨毯を、何を言っているのだ。
「レイチェル、何を言ってるんだ?君の大切な初めての絨毯じゃないか。記念にアストリアに持って帰っても、良い思い出になる」
何を考えてそんな事を言い出したのか。
レイチェルは笑って言った。
「いいのよヨル、どこかの市場で売って、お金に変えて頂戴。あなた、この次の満月の長いお休みも、家に帰れないのでしょう?病気の妹さんが、いるのでしょう?」
ヨルは思い出した。
レイチェルは、ヨルの作った仮想の病気の妹の話に、いまだに心を痛めていたのだ。
薬代が嵩むので、実家には滅多に帰らない設定だった。正直、ヨルは忘れかけていたのに。
レイチェルは、ぼんやりと光るオレンジ色の提灯の向こうで、曖昧に笑うと、しっかりとヨルの目をみて言った。
「ヨル、私の母様は、前にアストリアで流行った病で、亡くなったのよ。病気になって、一月もしなかったわ。私あまり母様の病室に行かなかった事、とても後悔しているのよ。ヨル、この絨毯を売れば、少ないけれど、旅費くらいにはなるわ。お願い、妹さんの元に帰ってあげて。」
ユーセフは、泣きそうになっていた。
こんな純情で、母を病気で失った心優しい娘をおもちゃにしていたという、罪悪感だ。
自分の事を、最低だと思ったのは、おそらく初めての事だ。
それからよく正体がわからない感情が、胸の奥からふつふつと、次から次から湧いてでて、胸がえぐられるような、締め付けられるような、そんな思いに支配されていた。
レイチェルが与えようとしているものは、金に変えれば、端金だ。
だが、ユーセフは知っている。どれだけの努力が、どれだけの時間が、その絨毯一枚に、レイチェルが込めているか。
レイチェルは、心血注いだ初めて織ったその絨毯を、ヨルに与えてくれると言うのだ。売れば、病気の妹が、兄に会えるだけの旅費が出るだろうから。
今まで、寵姫達にはそれは多くの金や、権力、宝石を与えてきた。与えてばかりいた気がする。
それは多くを持つものの義務であり、楽しみであり、そして甲斐性だと、思っていた。
そんな私に、この砂漠語もできない非力な娘は、精一杯の全てを与えようとしているのだ。
レイチェルは、そっと静かに笑った。
「。。いいのよ、ヨル。この外国で、一人寂しくしていた私に、これだけ親切にしてくださった貴方だもの。せめて、私にできるのは、これくらい。」
ユーセフは、もう心を決めていた。
この娘、パシャから引き取ろう。妻にする。
贅沢の限りを尽きさせてやろう。大切に、大切に慈しんでやろう。
婚約者がいる、と言っていたが、こんな砂漠まで女を送るような男だ。あまり良い扱いをされているようには見えない。
砂漠の男は、大事な妻達は大切に、宝物のように、館の奥に住まわしておくのだ。
婚約者を遠く外国に送って、挙句の果て仕事をさせるなど、女への侮辱だ。
それに。
アストリアの侍女にすぎない娘が、砂漠の大国の第一王子の妻に召し立てられたら、小国、アストリア側にしたら、名誉でしか、ないはず。
母国に栄誉を与えられ、レイチェルも誇りに思うだろう。
「。。ありがとうレイチェル。私は君に、どう報いたらいいのだろう。」
ユーセフは心の底からの感謝を込めて、聞いた。
間違いなく、この絨毯が、砂漠の大国の第一王子として生を受けたユーセフが、人生で受け取った中で、最も価値ある贈り物なのだ。
レイチェルはにっこり笑って、おねだりにもならない願いを口にする。
「砂漠の星が見たいの。いつか、ここの庭でなくて、よく星が見える所まで案内してくださる?次の絨毯の柄は、星にしたいの。」




