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ヤザーンは、レイチェルに歩調を合わせる事もなく、さっさと先に先に進んでゆく。
白くて裾の長い服を着ている、背の高いヤザーンは音のない歩き方をする。
後ろからヤザーンを追うと、ちょっと幽霊を追いかけているようだ。
あまり他国の女なんぞと仲良くしたくないと言う波長が、ヤザーンの幽霊のような背中からありありと感じる。
厄介が増えたとでも、思っているのだろう。
それでも、一応”パシャ”の連れとの事で、丁寧には説明してくれた。
これから向かうところは、王宮の東館で、そこの一角の侍女の居住区に案内してくれると言う。
王宮の本殿内部にあるハーレムは、ダリウス1世のハーレムで、王宮の東館の奥が、第一王子、ユーセフのハーレムだとか。レイチェルはそこに部屋をもらえるとか。
他にも、第二王子だの第三王子だののハーレムがあったり、一口にハーレムと言っても色々あるらしい。
美麗な青と金でできたタイルの洪水のような壮麗な王宮本殿から、今度は各種、様々な花の香の香りと、白いタイル作りの一角となる。
ここが東館なのだろう。
本館の喧騒はすっかりなりを潜め、砂漠の白い日の光と、小鳥のさえずりだけが響き渡る。
すれ違う女性達は皆美しく、そして大変扇情的な装いをしていた。
ヤザーンは、迷いもなく渡り廊下から、これまた幽霊のようにするりと庭に降りて、庭を真っ直ぐ横切る。
慌ててレイチェルも付き従う。
庭には薔薇の原種だろうか。小さな可憐な、しかしトゲのある花が強い香りを放ち、あちこちで満開を迎えていた。
東館は王宮本殿の重厚な、圧倒するような豪勢さとは少し異なり、絨毯の柄一つにしても、とても繊細な感性な空間だ。東館の主だと言う、ヨーセフ王子の人となりが、感じられる。
しばらく歩みを進めると、地味な白くて屋根の緑の、3階建ての建物が見えた。
どうやらここが目的地らしい。
庭のはずれにあった、東館の奥のその地味な建物は、侍女の住う一角だということもあるが、洗濯物がたなびき、可愛い子供の声があちこちに響いており、レイチェルの考えていたハーレムの侍女の居住区と言うよりも、どちらかというと下町の雰囲気の方が近しい。
子供の可愛い声に混じり、何やらギコギコ、心地よい、木と木が触れ合う音や、糸のすれ合う作業音があちこちから聞こえてくる。
それぞれの窓の奥では、女達が、織物をしていたのだ。
(こ、ここで。。じゅ、絨毯が織られているのね。。。!!)
ヤザーンは、レイチェルの様子がおかしくなっていることに、気がつかない。
「くれぐれも、男性を伴わずに城下町を歩いたりはしないでください。そして、男性に若い女性であるあなたから、声をかけたりしないでください。全てパシャの名誉に関わることです。」
ヤザーンは歩きながら、独り言のようにこのハーレムに住むにあたって、レイチェルに注意として様々面倒な注文をつけている。
抑揚のない話かたをするので、レイチェルに話をしているのか独り言を話しているのか分かりづらい。
レイチェルは、窓まどの中に広がる、絨毯を織る女達の色とりどりな手捌きに、もうヤザーンの存在も忘れてしまうほど心奪われているのだ。
「図書館には裏に女性用の図書館入り口がありますので、そこから入って、中で男性の案内を受けるのであれば、一向にご利用になっても構いません。正面は男性専用です。最も、一族の男性の案内が必要ですので、あなたの場合はアストリアの男性の迎えがあるまでは、入れません。」
ヤザーンはレイチェルに振り向きもせず続ける。
「王宮本館には、私の案内がない限り近づかないでください。アストリア側に連絡したい場合は、私がことつぎますが、私も多忙ですので。」
この国、女性の行動の自由は随分少ないようだ。
だがレイチェルにとってヤザーンのブツブツ言っている事はあまり重要な事ではない。重要なのは、他。
「ヤザーン様、ご案内ありがとう。では私はここで、ゾイド様の御用が終わるまで、規則を守ってさえいれば、好きに過ごして良いということですね?」
レイチェルの声が少し震えている事に、ヤザーンは気づいていたが、どうせ面倒な外国の女が、このような扱いなど耐えらるわけがない!的な不満をあとで聞かされるのだろうと、放っておく。
先月の西からの使者の中にも、女性の閣僚がいたのだ。本館のハーレムで随分問題を起こしたらしい。
「規則さえ守っていただけたら、何をしていただいても結構です。ですがここの侍女達はアストリア語ができないので、何か御用がある時は、大陸の公用語ができる侍女長か、もしくは私に伝達ください。」
冷たい、取り付く島もない言い方だ。
だが、レイチェルはもう嬉しくて心臓がバクバクしながら部屋への案内を待つ。
ヤザーンは角の部屋の前に立ち止まり、すまして言った。
「ここがあなたの部屋になります。あとで侍女長を呼んでまいりますので、好きにお過ごしください。」
そう、これで義務は終わったと言わんばかりに、安作りの軽い、鍵のかかっていない扉を開けた。
扉は軽い音を立てて、部屋には真っ白な砂漠の光が差し込んでくる。
レイチェルは、卒倒しそうになった。
(うそ。。嘘でしょう。。ここは、天国かしら。。!!!!)
レイチェルは、与えられた部屋をみると、思わず、隣ですましているヤザーンの首に抱きついて、ブンブンその細い首を振り回してしまった。
「ヤザーン様!!本当にこのお部屋を私にくださるの!ああ、なんてご親切、私嬉しいわ!」
「ひい!は、離しなさい!」
隣室から音を聞きつけて、女達が何事だとわらわら集まってきて、部屋はちょっとした騒ぎになってきた。背こそ高いがヒョロヒョロのヤザーンは、側から見たらレイチェルに無体を働かれているよう。
ようやくレイチェルをひっぺがしたヤザーンは、ゼイゼイといいながら、高くて細い声で叫ぶ。
「ななな、なんですか!一体!」
「嬉しくって!!」
レイチェルは、部屋の奥を指差して、はちきれんがばかりの笑顔でそう言った。
レイチェルの部屋とされたのは、一般的なガートランドの侍女の部屋。
ガートランドの女達は、外に滅多に出ない。
家に籠もって、絨毯をおり、それを売って小遣いにする。
いわばどの普通の家にもある、それ。
レイチェルに与えた部屋の角には、大きめの、一般的な絨毯織りの織り機と、糸繰り機が、鎮座していたのだ。




