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パシャの到着を、ダリウス1世は心待ちにしていた。
砂漠を超えて、ロッカウェイを超え、フォート・リーを超えたその先にあるアストリア王国など、この砂漠の大国からすれば、どうでも良い小国に過ぎない。
だが、この小国から送られてきたパシャが、この大国の最後の望みなのだ。
砂漠の異常気象が始まったのは、10年ほど前からだろうか。
ゆっくりと、雨の頻度が安定しなくなっていった。原因は不明だ。
雨の頻度が安定しない事は、この国の経済の根幹である、農業に大きな打撃を及ぼす。
オアシスの再開発、灌漑施設の整備など、賢帝、ダリウス1世の施作はある程度の成果をあげ、長い異常気象の間でも、国力は未だ衰えを見せていない。
だが実は、本当に深刻な問題は、それではない。
この不安定な気象が始まってから、竜が、育たなくなったのだ。
これは国の機密事項として慎重に情報は処理されている。
営巣され、中に卵が確認されても、孵化しなくなったのだ。
砂漠の雨は、竜が呼ぶ。
まだ成龍が大勢いるが、子龍が育たなければ、これからのこの国に未来はない。
砂漠と竜は切っても切り離せない。
事態は一刻の猶予も許さない深刻なものだ。
八方手を尽くして大陸中の賢者という賢者に教えを仰いだ。
何一つ効果はなかった。
黄金を餌として、竜に与えてみたこともある。王自ら、祈りの断食を試みたこともある。
何一つ、つゆほどの効果を上げないまま、卵は冷たく、朽ちてゆくばかりだった。
打つ手を模索している中、寵姫の一人が夢をみた。
赤い目の、銀の髪をした男と結ばれ、砂漠に新しいオアシスができる夢だとか。
月食の夢は、砂漠の神からの神託と信じられている。
ロッカウェイ公国の公爵が、ああ、ここから遠いですが、アストリア王国に一人、悪魔のように美しい、赤目の男がおりますよ、と耳打ちしてくれた。
この男は、油断ならないが、面白い情報をたくさん、持っているのだ。
魔力過多による、赤い目をしたアストリアの男は、ガートランドに到着する頃には、使節団から”パシャ”と呼ばれ大変な尊敬を受けていた。
砂漠の使節団の責任者がいうには、この恐ろしく美しい男は、ガートランドの知識水準から鑑みても、最高と思われるほどで、特に魔法の造詣が深く、数学、天文学、哲学、様々な砂漠の賢者と、ここ100年でも滅多にみられないほどの興味深い議論を街々で交わしてきたという。
その美貌は悪魔のごとく、その知識は神の如く。砂漠の詩人達の、異国人のパシャを称える歌声は、アストリア返礼使節団の到着の前に、この王都に響いていた。
パシャの一行を案内した王宮の部屋からは、一切の盗聴の魔術が機能していないと、諜報部から連絡があったのは、王宮に到着したその日の事。
迎賓用の部屋には、どれも盗聴の魔術が施してあるのだが、これがどのくらい看破されるかで、使節団がどの程度の知的成熟度かが測れるので、便利なのだ。
大抵は一つ二つ術式を見逃すのだが、アストリアの使節団はは全て看破したらしく、諜報部が色めき立っていた。
特に、絨毯に織り込んでいる術式を看破されたのはダリウスが王位についてからは、はじめてだ。
この赤い目のパシャなら、何か、孵化しない竜の、解決方法を知るうるかもしれない。
パシャは、随分若い女を伴ってきていた。砂漠の国に女を連れてくるのは、随分と珍しいことだ。
パシャの直属の部下の魔術士だというが、魔力が感じられないらしい。
地味で平凡で、どこにでもいる大人しい娘だと報告にはあった。
この娘についてパシャは色々言っていたが、ヤザーンは、ガートーランドで受け取った寵姫の、アストリアまでの帰路の世話役と認識し、とりあえずハーレムの横の、女性居住地に送ったとのこと。
パシャの用事が済むまでは、そこで大人しくしていれば良い。
あまり気にかける事はないだろう。
ハーレムには200を超える女達がひしめいている。その女がパシャの夜伽用だったとしても、こちらで、好きな女を貸してやれば良い。
この国の未来が、赤い目のパシャにかかっているのだ。




