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久しぶりに屋敷で過ごす日々は、予想外に平和な物だった。
稀代の悪女が乗り込んでいるはずなのに、何一つ屋敷に変化はなかったのだ。家具の配置も、温室も、使用人の面子も。何一つ変わらない。
女狐の尻尾をつかんで、正体を引きずり出してやろうと機会を伺っているのだ。正体をつかんでから、伯爵家に有利な交渉してやるつもりなのだ。
息子との子を為してくれれば、悪女でも何も問題はないが、面倒のタネは先に潰しておきたい。
だが例の娘はずっと、部屋にいて、出てこない。
夜会どころかお茶会もせず、ずっと部屋にいるのだ。商人を呼び出して、ちょっとした買い物すらしないらしい。
そして毎日飽きもせずなんだか手芸をしているか、屋敷の蔵書を読んでいるとか。
いや、正確には、用事がある時だけは出てはくるのだ。用事がないのなら、出歩きたくないらしい。
水晶の部屋は落ち着かないと言って、気に入らないとかで、驚いた事に、昔、軍を預かっていた時に利用していた、軍の家政婦の控え小屋を自分用の部屋にした。
より贅を尽くした部屋を希望していると思い込んでいたので、逆に当て付けか、清らかな聖女の演出かと、考えを巡らした物である。
だがこれには理由があって、王宮にいた頃も、防犯上の理由で騎士団の真ん中の使用人部屋で囲われていたらしい。
その家が大層気に入っていたと。納得がいく様な、いかないような話だ。
小さな幌馬車で足りるほどの荷物を、王宮の寮にしていた小さな家から持ってきて、せっせと小さな小屋を自分の好みに変えていた。
正直この屋敷の中のどの部屋でも、こんな小屋よりマシだと思うが。
ゾイドはこの娘のしたい様にさせているらしい。
伯爵家の跡取りともあろう成人した息子が、この小さな使用人の小屋に入り浸って、二人で色々と遊んでいるらしい。
乗馬の帰りに前を通りかかったら、二人して中庭で腹這いになって、アリの巣を覗いていた。
「魔術の実験ですよ」
ゾイドは涼しい顔をして、この不作法を恥じる様子もない。
「女神の力で浄化した砂糖と、地の神の力で浄化した砂糖と、ざっくり一般的な呪いのかかっている砂糖。それから普通の砂糖と。ついでに人間用の媚薬がかかっている砂糖。どれが人気だと思いますか?」
非常にくだらないこの実験のため、この国内最高の魔術士が、娘に付き合って、庭先で腹這いになっているのである。
そして、結果はなんとも面白い物だった。
どれも全く同じ反応だったのだ。
「では、虫除けは今まで通り、火と風を利用するしかないですね。。他に絶対いい方法があると思うのですが。」
聞けば、王宮で娘の部屋を、交代で警備をしてくれていた騎士達の寮に、対昆虫の術式を縫い付けたカーテンを作ってやりたいと、研究しているらしい。
新人騎士達が使う低い階層の寮の部屋は、池が近くにあって、毎夏蚊に悩まされているとか。
小さい範囲の空気中の水分に、少し重さを加え、丁度蚊が地に落ちるだけの重さに調整した魔法陣を貼ってやったらどうだ、と息子に耳打ちしてやると、父上を見直しましたと、ものすごく久しぶりに、息子から褒められた。
他の日には、息子はなんと、大工仕事をしていた。
小屋に、既製品の糸の高さにちょうど合った、糸用の棚が欲しいとねだられたとか。そんなものはルードに手配させればいいと行ったのだが、他人の手には任せられない大切な物だとか。
何もねだらないお人なので、やっと私にねだってくださった棚を、他人に任せる様な愚かな真似はしません、と。
娘は食が細く、よくぞこれだけの食事で生きているなと思う。
息子はあの手この手で食事をその小さな口に入れようとするが、小鳥の食事のように、野菜やパンやスープを少しずつしか食べない。
最近それでもチーズをよく食べるようになってくれた、と嬉しそうな息子は、親鳥のようだ。
何日も娘を観察している。
この娘の纏うドレスは華美で、上品で、大変凝ったものばかりだが、どうもどれもこれも一貫性がない。ゾイドが贈ったものと、フォート・リーから持たされてきたものばかりの、貰い物ばかりだと言っていた。娘自身は、社交の場に出ないので、流行は何も知らないと、恥ずかしそうに言っていた。
どこまでが演技かよくわからなくなってきた。
この娘、ただの、地味で気立ての良い、手芸好きの、子爵家あたりの娘にしか見えないではないか。
聖女と呼ばれているらしいが、聖女らしさもこれっぽっちもない。
娘は割と自分では強欲な方だと思っているらしく、第二王子から図々しくも、最高級品を強請ったと言う編み針が、目下宝物だという。
編み針を入れる、鍵のかかる箱をルードにお願いしていたが、その鍵の方が、編み針より明らかに価値の高い事には気づいていない。
ゾイドの目を盗んで、なにかゾイド様に編んで差し上げてる様子ですよ、と監視に付けたメイドが、微笑ましく報告した。
良い毛糸を欲張って、使いきれないほどたくさん頂いたから、ゾイド様のが終わったら、あなたにも何か編んで差し上げるわ、とおっしゃるのですよ。と。
使用人達にはすこぶる評判がよく、ルードは、子爵家にもう一人娘がいないか、いたら紹介してほしいと冗談半分で言っていた。
やはりどうも、チグハグなのだ。




