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「秘密基地ですか。」
とても意外な、そしてとても素敵な言葉に、疲れ切っていたレイチェルの瞳はパッと輝く。
子供の頃、男の子達が、よく作っていた。どんなに頼んでも、女の子は絶対入れてもらえない、男の子達だけの、甘美な秘密の場所だ。
「ええ、そうです。この屋敷は、広すぎる割りに、常に人の目に晒されている部分があるのでね。子供の頃に、一人になる事のできる場所を作ったんですよ。」
あまり会いたくない客人が来た時によく、逃げ込んでいたんです。
そうやって、片目をつぶって見せるゾイドに、レイチェルは顔中が熱くなる。
何もかもが人外のこのお方にも、市井の子供の様に、秘密基地に逃げ込んでしまう様な子供の時代があった事が、なんだか不思議だ。
「ゾイド様でも、秘密基地を作ったりされるんですね。」
「もちろんですよ。この屋敷にも、それから領地の屋敷にもありました。弟のテオが一度騒ぎを起こしたので、領地のはもう無くなってしまいましたが。」
まだお会いしていない弟君の事を、ちょっと困ったように話すゾイドは、ヤンチャな弟に手を焼いている、兄の顔だ。こんなお顔もなさるなんて。
「父上も母上も、ここの秘密基地に入った事はないんですよ。入った事があるのは、ルードと、テオだけです。ここに好きな女の子を連れてこられる日がくるとはね。」
ゾイド様もご立派になった事ですね、とゾイドとルードは楽しそうに笑った。
レイチェルは、好きな女の子、と言われてしまって、ものすごく恥ずかしくなってしまった。まるで、少年のゾイドが、まだ少女のレイチェルに恋をしている見たいに聞こえる。男の子達の秘密基地に招待される、名誉ある女の子は、その少年の、恋した女の子だけだ。
ゾイドはルードに何かを言いつけて、大きな毛布とシーツを持って来させた。
そうしてゾイドはレイチェルの手を繋ぐと、暗い廊下に歩み出て、どこに隠れてあったのか、物見に繋がる細い細い階段を上がって行った。
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本殿の廊下は魔石で細工された照明が散りばめられてあり、常に足下は明るいのですが、何せ広い屋敷です。細かい場所はその限りでは無いので。
そう言われてレイチェルはルードに持たされたランプを手に、ゾイドは夜具を抱えて、二人は手を繋いで無言で真っ暗な螺旋階段を、たった二人、夜に取り残された子供のように歩いていた。
黙々と二人で上に向かって歩いてゆく。二人の足音が響く。こんな夜の沈黙は、暖かい。
もうすぐですよ、そうレイチェルに告げたゾイドの赤い瞳が、夜の暗闇の中で浮かび上がって見える。
ゾイドは階段の途中の踊り場の、で止まった。あともう少しのところで物見の台に到着する壁の、剥き出しになったレンガの部分をいくつか押した。
壁に稚拙な作りの魔法陣が浮かび上がり、ゾイドはクスリ、と笑った。
「これは、私が8歳の頃に編成した魔法陣なんです。」
8歳の子供にしては上手にできているの思いませんか、と珍しく自分を褒めていて、とても可愛い。
ちなみに、8歳で魔法陣を貼れる子供など、話にすら聞いたことは無い。
そしてゾイドは、少し綻んだ幼稚な魔法陣に魔力を送り、隠し扉を召喚すると、そっとその扉を開けた。
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ゾイドは中に入ると、魔法を使って部屋に明かりを灯した。
「わあ、、!」
レイチェルは嬉しくなって、駆け出してしまいそうだ。
この氷の塔のような美しい、豪奢で、上品で、完璧なお屋敷に、こんな愛らしい部屋があるなんて。
そこはとてもホコリっぽかった。
元々は武具でも隠していた隠し部屋なのだろう。レンガの剥き出しの壁の、高い天井の広い空間だ。
ゾイドに促されて、歩みを進める。いくつもの大きな机と、何やら大型の魔道具が目立つ。部屋の真ん中には大きなソファもあった。なんだか、ゾイドの研究室を思わせる。
大きな古めかしい机の上には、色とりどりの魔石、魔獣の骨、蝶の標本や何かしら古い地図。押し花にされた奇妙な植物の下には、幼いが、几帳面な文字で採取場所が書かれてあった。
壊れた魔道具をなんとか修理しようとして、諦めたのだろう。部屋の端には真鍮の魔道具の分解されたものがある。竜の住むという城の模型も、ゾイドが作ったのだろう。放り出したままの分度器に時代が感じられる。
「卵まで。。」
レイチェルは、乱雑に置かれた、妙な柄のある、卵の山に目をやった。
「ああ、それは全部、火を吐く魔獣の卵の殻です。昔、人工繁殖に挑戦してみたんです。」
「殻?中身はそれで、どうなさったの?」
少年のように、ポリポリと頭をかくと、恥ずかしそうにゾイドは言った。
「ええ、卵の孵化に成功したまでは良いのですが、ね。。」
卵から孵った瞬間から、魔獣は火を吐き出して、大変だったらしい。
次から次に火を吐いて孵化する卵を抱えて、右往左往するゾイド少年を思い浮かべて、レイチェルは笑いが止まらなくなる。
間違いなくここは、魔術を愛する少年だったゾイドの、秘密基地だった。
あそこからも、ここからも可愛らしい少年姿のゾイド様のお声が、聞こえそうな気がする。
ゾイドは部屋の真ん中にある大きなソファにばさり、と先ほどのシーツを被せて、今日はここで一緒に寝ましょう、と微笑んだ。そしてゴロリと横になると、いいものをお見せしますよ、と部屋の明かりを消して、天井に魔力を送り込む。
すると、天井に魔石のかけらをつけていたのだろう。天井いっぱいに、夏の星空を模したキラキラとした夜空が出来上がった。
「うわあ、なんて綺麗。。!」
「この石を薄く切って、天井に貼ったのですが、この石が案外硬くて。」
ゴロゴロそこらに転がっている黒い溶岩のような石は、魔石の原石らしい。魔術で切ろうとしたのだろうか、ノミで打ったような切り込み後が幾つもあった。
「代わりを探していて、柔かい魔石を父の研究室から黙って持ってきたのはいいのですが、その石は呪いがかかっていて、大変な目に会いました。」
二人は声を合わせて大笑いする。
「大変な目、って、どんな目に遭われましたの?」
「夜な夜な天井から恨めしそうな男の顔が。どれだけ言い聞かせても立ち去らないものですから、諦めて放って置いたら、そのうち消えました。」
レイチェルは涙を流して大笑いだ。可哀想な幽霊、ゾイドの所に化けて出るなんて。
レイチェルは、少しずつ、ゾイドが何を言わんとしているのかが分かってきた。
この屋敷は、今はこんなに他人行儀に美しく見えるけれど。ゾイドが、その少年時代を過ごした屋敷。
この小さな宝物の部屋のように、あちこちに、愛しい人の思い出が、たくさん詰まっているのだ。
ゾイドは、その愛しい思い出も、レイチェルに愛して欲しいと、そう願っているのだ。
きっと愛せるわ。少しずつ。少しずつ。
レイチェルは、埃っぽいソファの、ゾイドの隣に潜り込み、そっとその胸元に頭を寄せる。
いつもの気怠い、ジャコウの香り。ゾイドはそっとレイチェルに腕をまわして、そのつむじに口づけを落とした。
心地よい沈黙が二人を包んだ。
やがて魔石の光がゆっくりとしずみ、二人は闇の世界に落ちてゆく。
(。。ゾイド様?)
レイチェルを包み込んでいたはずのゾイドは、いつの間にか、レイチェルの上に覆いかぶさっていた。
赤い、レイチェルを見下ろすゾイドのゆらりと光る瞳に、宿った熱の名前をレイチェルは知らないほど、子供ではない。
「。。ゾイド様。」
ゾイドの迷いのない手つきに、レイチェルは少し、慄いた。
レイチェルの、首元のリボンがスルリと、解かれる音がする。
「。。なんですかレイチェル。」
赤い瞳はレイチェルを捉えて離さない。その奥のギラギラした熱を孕んだ狂気は、まるで獲物を前にした捕食獣のようだった。
「。。ゾイド様ったら、ダメです。」
「。。。聞こえない。」
ゾイドはもどかしそうに着ていたシャツのボタンを外す。
もう待てないし、待たない。そう言い放つと、ゾイドはレイチェルのボタンに手をかける。
「ダメですって、まだ神殿のお許しが。」
「。。聞こえない、レイチェル。何も聞こえない。」
そしていつもの包み込むような優しいな口づけではなく、レイチェルの知らない、荒々しい、性急な、深い口づけが落とされた。
ゾイドの銀の美しい髪は、レイチェルの顔の左右に落ち、レイチェルは銀の檻に囚われたような、そんな気がした。
もう、逃げられない。
不思議と、怖くはなかった。
「ゾイド様、あの。」
「聞こえないよ。レイチェル。何にも聞こえない。」
常に冷静で、紳士で、悪魔のように美しいこの貴人のどこに、こんな情熱の渇望が隠れていたのだろう。
「。。。レイチェル。愛してる。愛してるんだ。」
熱にうなされたうわ言のように、ゾイドは何度も、何度も吐き出すようにささやく。
(ゾイド様ったら。。)
甘やかな、ゾイドの暴走。こうなってしまったら、もう誰も止められないんだもの。
そんな言い訳を自分に与えて。
その埃っぽい、ゾイドの秘密の部屋で。
その夜。二人はお互いの、体温を、知った。




