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レイチェルは、あらましを淡々と説明すると、続けた。
「。。ですので、もしもこの解釈が正しければ、女神は両性偶有神となります。この石碑の建立から数世代後初めて、弟神が歴史に登場しますが、弟神の登場は意図されて作られた、女神の男性性を剥奪する物で、時を同じくする頃から、王の男子継承が始まったのではないかと。。」
それは遺跡が崩壊し、泉に呪いが満ちたとされた時期と、時期を一致する。
レイチェルが次の言葉を継ぐ前に、会場は大混乱だ。今までの歴史の不自然さが、全て説明がつくのだ。
失われた女神の系譜の歴史の鍵が、娼婦の子供の下穿きの刺繍にあったとは。
アストリアの老神殿長には、思い当ることがあった。
神殿長は、捨て子だった。
母の顔も覚えていない。ある冬の日、神殿の前に置き去りにされていた幼児を神官が見つけて保護した。それがいわば、彼の人生の始まりであった。
神官が子供の健康状態を調べた際、魔力が普通の子供より、随分高かったらしい。
それが幸いし、孤児院には送られずに、そのまま神殿預かりとなり、いく十年も年月は流れて、今に到る。
子供にはすぐに神官見習いの白いローブ、そして当時の神官長から、聖人に因んだ新しい名前が与えられた。子供は、自分の名前も言えないほど、幼い子供だったのだ。
この子供に、母のよすがとして残されたのは、置き去りにされた際に履いていた、下穿きだけだった。
その下穿きには、確かに、レイチェルが説明した通りの、三角の刺繍があったのだ。
(女神の愛は、この世で最も不浄で、この世で最も無力な場所にこそ、大きく宿る。)
ルーズベルトの聖地の石碑に刻まれた、預言書の言葉だ。
(。。。では私は、愛されていたのだな。。)
女神の迎えもそう遠くはない老年に差し掛かり、どれほどその才能を認められても、どれほど重んじられても、親に捨てられたという思いは、いまだにこの老年の神職者の心に枷となっていた。
神殿の片隅で孤独と不安で泣いていた、まだほんの幼児だった自分に、この風変わりな神殿の乙女、レイチェルは手を差し伸べて、時を超えて母の愛を伝えてくれた、そんな気がしたのだ。
次から次へと頬を伝う物は、最後に流したのが一体いつだったか思い出せない物だった。
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一方、会場の片隅で、魂が抜けたような顔をして椅子から立てないでいるのは、バルトである。
バルトの女神への狂信的な執着は、確実に男女のそれであった。
盲目的に、女神を我が腕に抱くことだけを、求めてきていた。
バルトの妄想の中の女神は、たおやかで、白く、はかなげな少女のように美しい。
バルトが神聖なその女神を守る王となり騎士となり、唯一の夫となり、慈しみ、二人は永遠の愛の中で生きる、と乙女の恋物語の内容のような、勝手な欲望を抱いていた。
だが、バルトが掻き抱きく事を夢見た、そのたおやかな女神の体の中心には、自分と同じ男の象徴があるという。
しかも、自身のそれは最近尿もれが始まって、すっかり元気をなくし、妻君の不興をかっているというのに、女神のそれは、それはそれは立派なものだと、石の乙女は言った。
魂の抜けた様な様相のバルトは、いつもの不浄な妄想を開始してみる。
触れると壊れてしまうような、たおやかな乙女の姿の女神と、メリルの花畑を共にかけ、女神はバルトに微笑みかける。そしてバルトはその手をとり、蝶の羽のごとく薄い、白い女神の聖衣を剥ぎ取って。。。
(無理だ。。)
バルトは、どうしても妄想が続けられない。
女神を愛している。誰よりも、心から。先の大戦を起こして、今も二つの国を巻き込んででも、女神の愛を求めるほどには、女神を愛している。
だが、女神の足の間にある凶暴な物を空想した時、無理だった。生理的に無理な物は無理なのだ。
(私の女神への愛は、、それ程度の物だったのか。)
バルトは、白い燃え尽きた灰のごとく化してしまった。
己の人生を賭けた、女神への愛は、女神の足の間に自分よりも立派なものがある、ただその事実だけで潰えてしまう様な儚い物だった事が、愚かにもこの男には大きな衝撃だったのだ。
王位も、聖地も、もうどうでもよくなった時、残ったのは、なんだ。
アストリアから一緒に亡命してきた、政略結婚で結ばれた、糟糠の妻だけだ。
息子の妻と仲が悪く、最近では愚痴を聞かされるのがいやで、王宮からあまり帰宅していない。
(ちょっと二人で旅行にでも行ってみようかな。。)
今更ながら自分のあまりの勝手さに、絶望的な思いになる。
最後に残ったこの妻に、花の一つでも買ってやったのはいつだろうか。
魔術士達に囲まれてもみくちゃになっているレイチェルに背を向けると、灰になったバルトは一人で、フラフラと会場を後にした。