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今日髪飾りを受け取る娘は、さる貴婦人の侍女をしている若い娘だ。
侍女仲間に髪飾りを見せてもらって、どうしても欲しくなったとの事。
もちろんレイチェルは喜んで、この娘の願いを聞き入れてやった。
この娘の髪の毛は、絶望的なほど細かいカールで覆われている。
いつもより熱量を多くして、風の向きを工夫しながらも、細い髪が痛まない様に冷却も掛けた、かなりの大作の術式の髪飾りを作ってやった。
レイチェル渾身の作だ。
先ほどルークは出張だと言って、出発してしまった。
今日はルークの代わりに、扉の裏に、宰相家に仕える人の良さそうな青年が、護衛で控えている。
御令嬢の深夜の訪問は、ルークに黙認してもらっているが、ルーナに命令をして、会話の内容などは厳しく制限されているらしい。
それとなく娘達に王都の様子などを聞いてみても、娘達はいつも困った様な顔をして言葉を濁すのだ。
この青年はどうやらルーナの好みらしく、ルークにはいつも適当な扱いなのに、この青年にはあれこれ御茶菓子など出したりして、忙しそうだ。
レイチェルは娘の髪に髪飾りを当てて、最終的な調整をしてやっている。
真っ直ぐすぎるのではなく、毛先にだけカールを少し残してみたのが、娘の好みだったらしい。何度も礼を言って、それからレイチェルとのお茶を楽しんだ。
「それで、休みの日にはくるみの入ったクッキーを焼くんですの。弟が3人もいるので焼いても焼いてもすぐになくなってしまって。」
娘との会話は、実家の弟達がいかに大変かとの、可愛い家族の話。
娘は住み込みではなく、行儀見習いとして貴婦人の館に通っているが、休みの日は、弟たちの為にクッキーだのパンだのを焼きためると言う。
3人もいると焼いた先から消えてゆくクッキーは、まるで魔法の様だわ、と、楽しそうに話す娘は、とても微笑ましい。
扉の向こうに控えている宰相家からの青年も、会話の内容が平和な話であることから、聞き耳をそば立てるのも、途中で集中するのをやめてしまったらしい。
珍しく色っぽい声でルーナが話掛けているのにまんざらでもなさそうに、相手をしている様子だ。
娘は扉の向こうからルーナと青年の笑い声が聞こえてくるのをちらりと目をやると、急に真剣な顔になってレイチェルに向き直って、す、とハンカチを手渡して、とても小さな声でいった。
「レイチェル様、お気をしっかり。お迎えはすぐです。」
それだけ言うと、すぐに声を大きくして、実家の弟ふたりが、同じ日に、同じ女の子に告白したと言う笑い話に変えた。結果両方ふられたのよ、と大笑いしていたが、娘の目は笑っていなかった。
レイチェルは娘に合わせて笑い声を上げたが、手に握らされたハンカチを見て、涙がこぼれてしまった。笑って、笑って一生懸命それを誤魔化していた。
扉の向こうの青年は、レイチェルが面白い話を聞いて、笑いすぎて涙が出てしまったと思うだろう。
(ゾイド様、フォート・リーにいるのね。ゾイド様。。!)
レイチェルの手に握られていたのは、簡単な術式が組み込まれたハンカチだ。
世にも美しい、疲れやすい赤い目を、冷やしたり、温めたりできる様に、レイチェルが術式を刺繍した、ハンカチだった。
ハンカチは大切にされていたのだろう。丁寧に小さく折り畳まれており、何度も刺繍の後をなぞったのだろうか、芯を入れて膨らませていた箇所は、布に沈んでいた。
そして。
(ゾイド様の香りがする。。。!)
ハンカチで涙を拭った際に、レイチェルの鼻腔に、ジャコウの様な、甘い様な、気怠い様な、濃厚な香りが掠めた。
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娘は、大役を終えて一安心だ。
今日の役目は、ミツワの娘達皆の願いだったのだ。
たまたまレイチェルの監視が弱くなる今日、髪飾りを受け取る番だったのがこの娘だったのだ。娘はもちろん、この大役を喜んで受けた。
娘はレイチェルの部屋を退出すると、すぐに他の大勢の娘達に囲まれて、首尾をたずねられた。皆それぞれ、レイチェルに髪飾りを作ってもらった娘達だ。
「どうだった?護衛のお方に気づかれずにお渡しできた?」
「それは問題なかったわ。レイチェル様は涙をお見せになって、かのお方がおいでになったことはよく、伝わったわ。」
娘達はほっと安堵で胸を撫で下ろす。
無力な娘達にできることは、このくらい。だが、それでも相当の危険を犯してたった一枚のハンカチを哀れな娘に届けてやったのだ。
「でもね。。」
「でも?何か気になる事があるの?」
「。。レイチェル様の首に、ガートルード様のサファイアが。」
娘達は次の言葉が告げなかった。
ルークが「聖女」に懸想している噂は、おもしろおかしく娘達の間で広がってはいた。だが、まさかガートルードのサファイアを渡すとは。
娘達の皆が、先日のルークの演舞を観覧していた。
その日の会場の熱気も、ルークの素晴らしいその演舞も、その後のガートルードの褒賞も、社交界で大変な話題となっていたのだ。
貴族社会は名誉を最も重んじる。
王族から褒賞として下賜された宝石は、その家の宝となる。
余程の事がない限りは売りにも出されず、その家の主人、そして女主人を名誉と共に代々飾り続ける。
レイチェルの首に、ガートルードからの褒賞である、そのサファイアが。
ルークは本気でこの娘を愛しているのだ。
この娘を、宰相家に。いや、ルークの隣に立つ妻に、と望んでいるのだ。
ハンカチを受け取った時の、レイチェルの瞳を見てしまった娘は、深いため息をついた。