落としもの
落としもの
校庭の桜が殆ど散り、葉っぱ達が緑に生え変わる季節。空が清々しいほど綺麗だと思う今日この頃なのだが、俺にはひとつ悩みがある。
高校に入学してから早1ヶ月、前の席の美人さんに1度も声をかけれていないということだ。
一目惚れだった。
中学生の時は超がつく程野球バカだったから女子に興味などこれっぽっちも無かった。だから急に意識してしまって話しかけられないのだ。もとより腰抜けの俺が話しかけられるわけが無い。
しかし先程絶好のチャンスが訪れた。
頬杖をつきながら彼女の美しく輝く黒色のロングヘアーに見惚れていた時、足に何か当たる感触があった。
ふと下を見るとそこには可愛らしい花柄の消しゴムが落ちていたのだ。
俺はその消しゴムに見覚えがあった。彼女のものだ。俺は考えもなしに消しゴムを拾ってしまった。そしてすぐそれを後悔した。
どうやって渡せばいいのか。
肩を叩くか。いやびっくりさせてしまったら悪い。
机の隅目掛けて投げるか。いや俺はそんな神がったエイムを持ち合わせていない。
困ったものだ。
考えて考えて考え抜いた。しかしタイムリミットがあったことを忘れていた。
授業が終わってしまったのだ。
そして終わりを告げる挨拶と共に彼女は立ち上がって、廊下へと歩いて行ってしまった。
渡せなかった。
俺は右手に持った彼女の消しゴムを学ランの右ポケットに突っ込んだ。
決して盗んだ訳では無い。次渡せるタイミングがあったらすぐ渡せるようにだ。そう自分に言い聞かせた。
その日の帰り道、俺はどう渡そうか必死に考えていた。
靴箱に入れておくか。いや気持ち悪いだろ。こっそり筆箱に戻しておくか。いやクラスメイトに見られたらひとたまりもない。
「あの」
後ろからか細い綺麗な声が聞こえた。え、と後ろを振り向くとそこにはあの美人さんがいたのだ。
真正面からじっくり見るのは初めてだった。いつも後ろ姿か、横顔だったから。
綺麗な並行二重、切りそろえた前髪、少し赤い頬。全てが愛おしく思えた。
ちょっと待てよ。俺か。俺なのか。俺に話しかけてきたのか。こんな坊主に美人さんがなんの用なんだ。まさかずっと見てたのバレてたのか。
もしくは俺が消しゴムを持っていることを知っているのか。
「あの、これ」
彼女は俺の目の前で右手を差し出してきた。
彼女の手の中にあったのは、
俺の消しゴムだった。
「え、俺の。なんで」
「別に盗んだとかじゃないんです。3日前に拾って、いつ渡そうか迷っちゃって。ごめんなさい」
俺はその瞬間ときめいた。
いつもお淑やかで、クールな彼女が俺に消しゴムをいつ渡そうか3日も考えていたなんて。なんて健気なんだ。
俺は今感動している。
「あの、もしかして違いましたか」
はっとした。感動して消しゴムを受け取るのを忘れていた。慌てて受け取り学ランの右ポケットに突っ込んだ。
「いえ、俺のです。俺ので間違いないです。ていうか無くしてたことすら気づいてなかったです。授業中ろくにノート取ってないので」
焦った勢いで沢山喋ってしまった。ポンコツなのがバレてしまう。
あ。
学ランの右ポケットに消しゴムが2個ある。
彼女とのほのぼのした会話のせいで大事なことを忘れていた。
渡さねば。このチャンスを逃したら駄目だ。
そして俺は彼女の前に右手を突き出した。
「実は俺も」
彼女は俺の右手の中を見て驚いた顔をしてから少し微笑んだ。
「私も落としてたんですね。いつ渡そうか、そればっかり考えていて気づきませんでした」
あぁ、なんてこった。
美し過ぎる。これはもはや罪なのではないか。
彼女は俺の右手から消しゴムを手に取り、肩に掛けていたバックのポケットにそれを入れた。
何か話題はないか。このままではここで終わってしまう。それだけは駄目だ。
しかし、先に口を開いたのは彼女の方だった。
「あの、先程ノートをろくに取っていないと言っていましたが、私のでよければ写しますか」
俺より頭一個ぶん小さな彼女は俺の顔を覗き込みそう言ってきた。
そんな神がったシチュエーション中々ないぞ。これは断れない。断れるわけが無い。
「写したいです。むしろ写させてください。お願いします」
つい野球部の時の癖で深々と頭を下げてしまった。彼女はそんな大袈裟な、とあたふたしていた。
可愛い。とっても。
「じゃあカフェにでも寄りましょうか」
そして俺と彼女は歩き出した。
いつも後ろから見ているだけだったのに、たわいもない会話をしながら彼女の横を歩いている。凄い。凄いぞ。
俺のために笑っている。あぁ、幸せだなあ。
今の俺の顔は最高に気持ち悪いだろうな。
きっとオレンジ色に染まった空のせいだ。