魔弾の射出
私は空を見上げた。秋は空が近くなるんだっけ? 遠くなるんだっけ? 忘れてしまった。まぁ、三十階建てのタワーマンションじゃぁ、地上にいるよりも空が近いのは間違い無いだろう。
それにしても、それにしてもだ。寒い。地上は秋でもタワマンの屋上は冬でござんすなぁ。
私は愛用の毛布にくるまり、水筒にいれたココアを一口飲む。あったけぇ。生き返る。悪魔的だぁ!!
すっかり底冷えしてしまった。視認さえできれば問題ないのに、なんで私がこんなひどい目に遭わなくちゃいけないんだ。不公平だ。裁判を要求する。
心の中で文句を一通り叫んでみるが、私が酷い目に遭っているという現実は変わらない。だが、大人の私は泣き言を口にはしない。口にしたって何も変わらないことくらいわかる程度に女なのです。
あーさむさむ。お手洗いに行きたい。あれ? お手洗いに行ってる途中にターゲット来たらどうする? 漏らすの? マジで? ココアなんて飲むんじゃなかった。
くそ、忌々しい。
私はトイレに行きたくならないように、ポケットからタバコを取り出す。銘柄はチェリー。生産停止になって久しい逸品だ。裏ではまだ作られているが、頭にガツンとくる甘さがたまらない。タバコと一緒にライターも取り出す。寒くて指がいうことをきかない。ふざけんなよ。マジで。
ガタガタ震える指でライターの火打石シュッシュと擦る。風が強くてなかなか火がつかない。最高級の忌々しさだ。なんだ、世界は私を敵に回す機会? いい度胸じゃ、勝負だ地球!
「杉浦さん。杉浦さん。ターゲットきました」
私が心の中で全世界に宣戦布告したのと同時くらいに、灯が私を呼ぶ。
視線を灯へ向けた。モコモコの暖かそうなコートをセーラー服の冬着の上に着込んでいる。手にはボンボンのついた白い手袋までつけている。
準備が良いことですね、と小馬鹿にした三十分前の私に蹴りを入れたい。水筒の温かいココアも灯のものだ。
「ようやく来やがったか。忌々しいなぁもう!」
私はポツリと呟いて、タバコとクソライターを地面に投げつけ、スコープを覗く。うん? ちょっとぼやけとる。スコープに付いているダイヤルを回して微調整をする。
よしよし。一キロ先の蟻ちゃんの鼻の頭でも吹っ飛ばせるぞ。
スコープを覗くのをやめて、体を包んでいた毛布を寒いコンクリートの地面に敷き直し、その上にうつ伏せに寝転がる。
風が吹いた。ひょー寒いー! と一瞬思うが頭のスイッチを切り替える。脳内麻薬の分泌を確認。物凄い集中力に飲まれていく。
「セガワールドの横を曲がりました。今、ラーメン屋の前です。おそらく……ラブホテルへ向かっているものと思われます」
灯が静かに告げる。ということは、ラブホテルの入り口に照準をセットすればいいわけだ。私は芋虫のようにモゾモゾと動き、照準の位置を調整する。
集中力も最終フェーズに入る。一秒が十秒のように長く感じる。隣にいるはずの灯の声も遠くなる。世界は闇に包まれ、ぬるいお湯の中に入ったような多幸感に襲われてる。
忙しなく私の血液を身体中に送っていた心臓の鼓動が、しだいに、ゆっくりになる。とくん、とくん……。
限りなく、私は死に近づいている。
「ターゲットは左の……ん?」
灯がすっとんきょんな声を上げた。私の集中力は乱されない。
「あれ? 両方共……男性だ」
「……灯、依頼内容はなんだっけ?」
「愛人の女が居たら殺してほしい、です」
「あれは愛人か?」
「男性どうしのように見えます」
どうしよう? ヤルか?
迷っているとターゲットと愛人(?)を照準に捕らえる。顔は見た。
私はスコープから顔を離し、灯に命令をする。
「依頼主へ電話だ。愛人が男だけどどうしますか、って聞け」
灯は可愛らしく返事をする。急速に集中力が切れていくのがわかる。急激に寒さが押し寄せてくる。
寒い寒い寒い寒い寒い寒い寒ーい! 叫びたい。クソ忌々しい。なんでこんなに晴れているのに寒いんだよ。死ねよ地球。
私は先ほど投げ捨てたタバコを拾い、火をつける。煙を口いっぱいに吸い込む。甘ったるい煙に脳が殴られるような感覚。
たみゃりゃん。あひー。キモティー。
これ、覚醒剤とか混ざってる? ヒロポン?
「あ、杉浦さん。タバコ吸わないでください」
「うるせー。タバコくらい自由に吸わせろ! タバコの文化をまもりませう」
「タバコは悪い文明です」
「うるせー。私が集中するための儀式だよ儀式。本当は猿のお面をつけて松明を持って踊り狂うという儀式なのを、タバコで我慢してんだ! 禁煙? 死ね! 分煙? 破滅しろ」
私はタバコを吸う。あひー。
灯は電話が繋がったようで、昭和のサラリーマンのように何度もお辞儀をして、クソ丁寧な口調で現場説明を始めた。
ホウレンソウってやつだ。ホウレンソウは大切。私は嫌いだけど。あの昭和の親父が考えた言い回しが気にくわない。ちょっと良いこと言いましたよって風な調子が気に入らない。
食べるホウレンソウも嫌い。えぐみ成分のホウレンキナーゼがマジ最悪。ホウレンキナーゼって知ってる? え、私が今考えた嘘なのに知ってるの?
すーごーい!
「杉浦さん。相手が男性でもターゲットを殺してほしいそうです」
「まことにー? なんで?」
「宗教上の理由だそうです」
「あのKから始まる宗教か?」
「キリスト教は『C』から始まります」
「まことに?」
キリスト教って、Kから始まるんじゃないの? ち……チリスト教? 私、エゲレス語はわっかりませーん」
「まぁ、いいや。顔は見たからすぐ殺せるよ。掃除屋は?」
「手配済みです」
「灯ちゃん有能。マジ抱いてー。私の初めて奪ってー」
「え、杉浦さん……処女なんですか? ふーん」
「あ……灯さん……経験あるの?」
「十人からは数えていませんね」
「…………え?」
「冗談です。純度100%の処女ですよ」
ニヤニヤと笑いながら灯は答えた。絶対嘘だ。もう誰も信じられない。魔女裁判はあとで開くとして今は、目の前の雑事をこなして行こう。落ち着いていこうぜ! 私。
ふー。と息を吐き、先ほど焼き付けたターゲットの顔を思い浮かべる。
君は知らないだろうが、縁は結ばれた。さようならだ!
引き金に指をかけ、引き絞る。パシュっというくぐもった音がする。
私の魔弾は、絶対に当たる。人を撃ち殺したという結果だけが先にある。太陽が東から上がり西へ沈むように、私が放った魔弾は人を殺す。これが自然のことわりだ。