第一話
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「貴方は特別な存在ではありません。これから向かう世界で、それを忘れぬようご注意ください」
気が付くと男の目の前には女性が浮かんでおり、そのような事を口にした。
男はその言葉には応えず、自らの体を色々と見まわし、そして最後に首を傾げた。
「ええと、あの……」
「私は死んだと思ったのだが?」
「あ、はい。貴方は亡くなられました」
男の言葉に、声を弾ませて答える女性。
それが、反応して貰えて嬉しかったせいだと言うなら、少々哀れだ。
「ふむ。これから向かう世界、という事は輪廻転生であろうか。地獄か極楽か、いや間違いなく私は地獄に落ちると思っていたが、そのような選択肢ではなく、人の世界に転生という事は、所謂六道思想で……」
「ああ、ええと、貴方の宗教観を否定するつもりはないのですが、現世で教えられている宗教は基本的に神や死後の世界を正確に描いておりません」
「ふむ。尊大でありながら慈しむようなその物言い。そうだとは思っていたが、やはり其方が神仏の類か」
「あ、はい私は女神リューカと申しまして、貴方の輪廻転生を担当させていただいております」
「人一人に一柱の神仏がついているのか?」
「あ、はい。厳密には一人ひとりという訳ではないですが、大体神一柱につき数百人から数千人を担当しております」
「随分と幅広いのだな」
「神の力によりますから」
「なるほど」
言いながら男は顎を撫でた。
「本来であれば、貴方の言うところの六道思想に近い形で、元の世界の様々な生物へ転生させるのですが、貴方はその姿のまま、別の世界へと行っていただきます」
「うん? 先ほど特別な存在ではないと聞いたが?」
「はい。特別扱いではあるのですが、別に貴方に限った事ではありません。数百人に一人くらいの割合で、このような措置が取られます。理由はまぁ、さまざまですね」
目を逸らして言葉を濁す女神を見て、男は彼女が理由を口にしなかったのが、決してその言葉通りではないのだと推察する。
あまり人に聞かせたくないような理由なのだろう。
それを聞いてしまえば、神に対する尊敬や憧憬が消えてしまうような。
そんなろくでもない理由なのだと考えた。
「ではなにをもって特別ではないと?」
「はい。特別な力や魔法、スキルと言った、所謂チートを所持しておりません」
満面の笑みを浮かべて語る女神。
彼女からすれば、このように言えば多くの人間は派手にリアクションを取り、彼女の自尊心を満たしてくれるはずだった。
「チートとはなんだ?」
しかし、目の前の男は女神の期待する反応を返してくれなかった。
「え?」
「スキル、というのもよくわからんな。魔法……ふむ。ようは超常の人ならざる力といった意味だろうか? そのようなものを私が持っていないのは、私自身がよくわかっている。それ故に、私は三十という若さで死ぬこととなったのだからな」
「え? あれ? 今の人たちの間でそういうのが流行ってるんじゃ……?」
「? よくわからんな。私は確かに現世では特別な存在だったかもしれぬ。だが、それは生まれが特別であっただけで、私自身に何かあったわけではない。ふむ。そう考えるならが、剣の腕をあれほど磨いたのは、その劣等感の裏返しだったのかもしれんな」
「……ま、まぁいいです。とにかく、貴方は向こうの世界で何か特別な存在ではなく、ただのちっぽけな一人の人間にすぎません。元の世界でできなかった事は向こうの世界でもできません。元の世界の知識も、おそらくは殆ど通用しないでしょう」
改めて女神はそのように忠告するが、男はやはり彼女の望む反応を示さない。
「あいわかった。どのみちこの身は現世で失敗した身。その知識を用いたとて、多少マシになる程度の違いでしかなかろう」
「剣の腕を磨いたって言ってたし、それがこの落ち着きようの理由なのかしら……」
「うん?」
今までにない反応に、女神は怪訝そうな表情を浮かべて男を見る。
理由がわからず、男は首を傾げるだけだった。
「ところで、わざわざ私を送り込むという事は、其方に何某かの目的があるのではないか? 私は向こうの世界で何を為せばいい?」
「特に何も」
「ほう?」
「向こうの世界で、貴方は貴方の為したいように為してください。強いて言うならその姿を見る事が目的です」
「心得た」
「それではあちらの世界へ送ります。心の準備はよろしいですか?」
「うむ。よしなに」
その堂々とした立ち居振る舞いに、最早どのように声をかけても、自分の望む反応が返ってくることはないと悟り、女神は一つ溜息を吐いた。
「それでは、貴方の新たなる旅立ちに、神々の加護があらんことを」
女神の言葉と同時に男の視界は眩い光に包まれ、真っ白に塗りつぶされたのだった。
「……ほう」
光が収まったのを感じ、男が目を開けると、風景が一変していた。
先ほどまでいた、真っ白な床も壁も天井も存在しないような空間とも違う。
生前、最後の記憶にある風景とも勿論違う。
見渡す限り砂地が広がり、天には満天の星が瞬いていた。
「月が二つ……いや、三つか」
見上げると、そこには大きさの違う二つの月が寄り添うように浮かんでおり、そこから少し離れたところに、更に小さな月が見えた。
成程、確かにここは元の世界とは違うらしい。
「砂地であれば天竺か西蔵かとも思うたが、あのようなものを見せられてはな」
呟く男の口元は無意識に歪んでいた。
未知なるものに心が躍っているのか、それとも苦笑いか。
男ですら、その表情の意味するところはわからなかった。
「服は……ふむ、普段着ているもののようだが、見たことの無い柄だな」
淡い水色を基調にした服を男は纏っており、袖や裾に見たことの無い種類の花が刺繍されている。
「剣は則宗か……。最後に握っていた刀なのだろうか?」
腰に刺さった剣の拵えを見て、男はそう判断する。
拵えの金具に笹竹の毛彫りがあるのは、彼がかつて所持していた刀剣の中でもその剣だけだからだ。
男も自分の最期はよく覚えていない。
いや、死んだことはわかっているし、その原因も理解している。
だが、男は四方八方から攻め寄せてくる敵に向かって、がむしゃらに刀を振るい、そして力尽きたのだ。
その今際に何を振るっていたか、自分に誰がとどめをさしたのかは、最早理解の範疇になかったのだ。
逃れられぬ死への恐怖と覚悟。
むせかえるような血と臓物の臭い。
様々な感情が自分の中で渦巻き、鋭敏となった五感は様々な刺激で逆に麻痺してしまっていた。
散りゆく者の悲壮感に酔っていたと言えるあの時、男はまさしく正気の沙汰ではなかったのだ。
「服が改められているのは、略奪されたのか、そのままでは服と言えるような状態ではなかったからか」
言いながらも、恐らく後者だろうと考える。
刀で切られ、槍で突かれ、覚えている範囲でも、ボロ衣のようになっていた筈だ。
そもそも、略奪されたというなら、剣こそ奪われていないとおかしい。
何より、体にあるはずの傷が一切存在しない事からも、女神が代わりを用意したと考えるのが自然だ。
「うん?」
そのように男が自分の状況を確認していると、砂を踏む音が聞こえてきた。
ゆっくりと歩くようなものではない。
素早く駆けるような音。
決して洗練されていない、力任せなその走行に、訓練された者のそれではないとわかる。
更にその奥から複数の足音。
そこから想像できるのは、何者かが複数人に追われているという状況だ。
「これは有難い」
自分の状況は理解できたが、この世界の事は何もわからない。
誰かに教えて貰う必要があるが、果たして対価もなしにそれが叶うだろうか。
希望的観測を捨てるならば、それは有り得ないだろう。
そして男が差し出せる対価は決して多くは無い。
まず思いつくのは男自身だ。
労働力もそうだが、男が自信をもって相手に差し出せるものは、人生を賭けて磨いた剣の腕前。
ひょっとしたら、この世界では幼い子供にも劣るかもしれないが、しかし男には他に何もないのも確かだった。
そして今、男の元へ、何者かに追われる何者かが近づいてきている。
男の剣術がこの世界で通用するかどうかの答え合わせはすぐにでも可能だった。
そして男の強さがこの世界でも保証されるならば。
「情報を得る事もできて一石二鳥というわけだ」
音のする方へ男が向き直る。
三つの月のお陰か、灯のない夜でも遠くまでよく見える。
男の背丈を大きく超える砂丘がそこにはあり、足音はその向こうから聞こえていた。
すぐにその砂丘を一つの小さな影が超えてくる。
女だ。それも、年端もいかない小さな少女。
大きな麻袋を大事に抱え、背後を気にしながらも必死に駆けてくる。
「ひっ……!」
そして男の姿を認めた少女が、足を止め、小さく悲鳴を上げた。
待ち伏せだと思われただろうか。
そのように考えて、手をかけていた剣の鞘から男は手を離した。
「お、お貴族様! どうかお願いでございます!」
しかし恐怖に硬直したのはほんの一瞬だった。
少女は男の傍に駆け寄り、その場で跪き、頭を下げた。
「私は日頃真面目に農業に営む帝国市民でございます! 卑劣な野盗により、お上に捧げるべき税が奪い取られようとしております!!」
「貴族か……」
少女の言葉から、この地が『帝国』と呼ばれる国の治める土地であり、少女はそこで農業を営む市民、つまり農民であると知れた。
貴族と一般市民の少なくとも二つがある階級制度が存在し、少女の年齢からは考えられないほどの慇懃さから、市民は貴族を快くは思っていないだろうこともわかった。
それでも迷わず助けを請うあたり、反乱を起こされるような反発ではなく、ある種の強権を貴族が有しているのだとわかる。
「どこの世界も変わらんな」
勿論、幼く見えるこの少女が、この世界では標準的な大人である可能性もあったが、遅れてやってきた男たちを見て、そうではないと知れた。
「やっと追いついたぜ。手間かけさせやがって……!」
「こうなったらもうその蔦麦だけじゃ許されねぇぞ」
「へへ、その体で疲れた俺たちを癒して貰おうかね」
「おいおいもっと疲れちまうぜ」
あちこち擦り切れたズボンと上着。適当に繋ぎ合わせただけの、かろうじて胸だけを覆う鎧らしきもの。
手にした刃は大きく、幅が広いが、錆が浮いており、まともに生物を切れるようには見えなかった。
典型的な野盗か山賊。その類の格好だった。
そんな相手が五人。
胸から肩、上腕にかけては筋肉の盛り上がりが確認できるが、反対に腹と腰回りは膨らんでいる。
強くなるためにわざわざ鍛えている訳ではない者特有の体つきだ。
筋肉は浮いているのに腹が出ているということは、満足に食事がとれていない証拠でもあった。
「腹いっぱい食えるようならわざわざこのような少女を追い回したりはせんよな」
「あぁん? なんだてめぇ。そのガキの仲間……じゃねぇな。服があまりにも良過ぎる」
「お貴族様かぁ。お貴族様がこんな世俗の些事に構っちゃいけませんや。そのガキこっちに渡して見なかったふりしてくれませんかね?」
「どうせこの国のどこかでいつも起きてる事でさ。俺たち石ころの事なんて忘れちまってくだせぇ」
男の姿を認めて、野盗たちは口々に言う。
へりくだっているような言い回しだが、男をバカにしているのは明らかだった。
護衛もつけず、人目につかない夜の砂漠に貴族が一人。
口封じは簡単だと思っているからだろう。
それでも、万が一にも足がつく可能性を考えれば、貴族と事を構えるのは上策ではない。
そのくらいの知恵は、野盗たちにも回るらしかった。
「私には其方らのどちらを信じるべきか、その根拠がない」
男の言葉に、少女の方が震えた。
「だがな、健気な少女とその幼子一人を追い回す下卑た男。信じるならばどちらか、言うまでもあるまい」
言って男は剣を抜く。
月明りを受けて、刀身が眩く煌めいた。
いかにも自分たちの持つ武器とは違うその姿に、野盗たちは思わずたじろいだ。
「このような世界で一人でいるという事は、よほどの間抜けか腕に覚えのある者だけだろう」
少なくとも、少女が一人で外を気軽に歩けるほど、安全な世界でない事は確かだ。
野盗たちの言動から、人を殺してしまっても、バレなければ問題無いという倫理観の持ち主である事もわかった。
彼らが特別なのではなく、そのような考えが普通であるならば。
この世界を往くには、数にせよ質にせよ『武力』が必要であるとわかる。
「私がどちらか、確かめてみるか?」
そう言って少女の前に出て男が剣を構えると、野盗たちも中段に構えて対峙した。
怯えと緊張が伝わってくる。
数の利をものともしない男の堂々とした態度に、男の力量を測りかねているのだ。
「手加減はせぬぞ」
そして男は素早く上段に構え直すと同時に地を蹴り、野盗の一人との距離を詰める。
「あっ……!」
野盗が反応する前に剣を振り下ろし、その刃で相手の肩口をとらえる。
「ぐあっ……!?」
短い悲鳴を上げる目の前の野盗を意識の外に追い出し、次の相手へと向かう。
「こ、この……!」
「遅いわ!」
野盗たちがやっと反応した時、男は三人を既に切り伏せていた。
力任せに振り下ろされた刃を頭上で受け止め、そのまま斜めに滑らせ、相手の態勢を崩す。
前につんのめってきたところを、胴薙ぎの一撃。
「う、あ……!」
男の想定外の強さに恐慌状態に陥った最後の一人は、無抵抗で首に刃の一撃を受けて地面に崩れ落ちた。
「あ、ありがとうございました!」
男が刃についた血を野盗たちの衣服で拭き取って鞘に納めると、少女が近寄ってきてお礼の言葉と共に頭を下げた。
男が前に出た時点で、少女がその場から逃げようとしていたのを男は見ている。
強かな少女だ、と男は怒るよりも先に感心していた。
結局十分な距離を稼ぐ前に片づけてしまったので、少女はわざわざお礼を口にするために戻ってきたのだ。
逃げるところを見られたら、男の機嫌を損ねてしまうと危惧しての行動だった。
「気にするな。ところで、私は今道に迷っているのだが、街まで案内してくれないか?」
「あ、街……ですか? 私は今村に帰るところで……」
村と街で距離が離れているのだと理解する。
それは男の故郷でも同じような造りであったので、とくに疑問に思うことはなかった。
「ふむ。ならば村まで同行しよう」
「えっ!?」
「またあのような輩に絡まれても困るだろう? 其方に限らず、また村の誰かが街に行く際、案内してもらうとしよう」
「え、ええと、そう、ですね……」
明らかに迷惑そうな表情を少女は浮かべている。
しかし、彼女の目線は倒れた野盗たちと男との間をせわしなく動いていた。
「よ、よろしくお願いします」
「うむ。では参ろうか」
結局少女は、怪しい貴族(だと思われる)男を村まで連れて行くのと、道中の安全を秤にかけて、後者をとったようだ。
「特別な存在ではない……。なるほど、確かにな」
その場をあとにする際、ぽつりと男は呟き、そしてちらりと、倒れている野盗たちを見た。
彼らは肩口や首、腹を切られて出血している。
しかしそれだけだ。
野盗たちは痛みで動けないようだが、誰一人として死んでいなかった。
首を切られて生きている、のではない。
刃が切り裂いたのは、皮膚と、肉のほんの表面だけだった。
首を切られた者はいずれ出血で死ぬだろうが、他の者はそのうち気づいて立ち上がるだろうとわかる程度の怪我しか負っていない。
男の持つ剣は片刃だ。しかし、さいほどは刃で切りつけ、手加減も一切しなかった。
元の世界の人間では比べ物にならないほどの頑丈さ。
これが当たり前なのだとすれば。
成程確かに、男は特別な存在ではなかった。