142話、沢ガニのから揚げ
前日から引き続き、今日もツツジ湖を迂回していた。
大きい湖だけあって、湖の向こう側へとたどり着くのはかなり時間がかかる。それでも、この調子なら日暮れ前には到着できそうだ。
そんな時、ライラが突然叫んだ。
「カニー!」
いきなりだったので私の背筋がビクっとなる。急に大声出すから驚いた……。
でも、こんな所でライラがカニカニ叫び出すのは不思議だ。この状態はカニを見た時だけ限定のはずなのに。
「どうしたのライラ? カニの幻覚でも見えた?」
「幻覚じゃないわ。ほらあそこ、カニ! カニー!」
そんなバカな。ここは湖であって海ではないのにカニなんて……と思いつつ湖の水際を見てみると、湿った土の上でいそいそと歩く小さなカニが確かにいた。
「本当だ、カニだ」
「カニー!」
カニって海の生き物かと思ってたら、淡水に生息する種類もいるのか。……いや考えてみたらデスクラブとかいう危険な奴が砂漠にも居たな。
海水と淡水では色々環境が違うせいか、海水のそれよりも淡水のカニはかなり小さい。手の平に乗せられるくらいだ。
「沢ガニね。川に生息してるって聞くけど、湖に居るのは珍しいかも」
ベアトリスは淡水に住むカニのことを知っていたらしく、特に驚きはなかったようだ。むしろ突然カニカニ騒ぎ出したライラの方を興味深げに見ている。
「……ねえ、なんでライラはあんなにテンションが高いの?」
「ああ、ライラはカニでテンション上がるタイプの妖精なんだよ」
「……もしかして私をバカにしているのかしら?」
すごく疑わしそうな目で見てくるベアトリス。その気持ちはすごく分かる。私も今でもどういうタイプの妖精だよって思ってるもん。
「ライラが言ってたから冗談ってわけではないよ。実際ほら……」
「カニー! カニー!」
「テンション上がってるじゃん」
「……テンション上がってるわね」
ベアトリスは頭痛をこらえるかのように額に指先を当てて苦悶の表情で目を閉じた。多分理解が追いつかなくて必死で事実を受け入れようとしているのだろう。
ようやく考えがまとまったのか、ベアトリスがすっと目を開ける。
「……カニでテンション上がるタイプの妖精ってなによ」
……だからそれは私も分からないんだって。
しかしライラ本人が言うからそうなのだ。カニでテンション上がるのは事実だから妖精にはそういうタイプがいるって受け入れるしかないのだ。時に現実は私達の理解を超えてくるけど、あるがままを受け入れるしかない。
なんとも言えない私達の沈黙と視線を露知らず、ライラは沢ガニの周りをふわふわ飛び回る。
「カニー! カニー!」
……テンション高いなぁ。
「ちなみにライラのカニ好きって多分食欲的な意味だからね」
私が言うと、ベアトリスが驚愕の表情を返す。
「え。意外と……あれね。容赦ないのね。そういえば前神社に行った時、カニが絶滅しないように願ってたような……あれってそういうこと……?」
点と線が繋がってベアトリスが納得を返す。そうか、あの時のベアトリスからしたらライラのお願いまったく意味分からなかったのか。カニの繁栄を願う妖精って訳分からないもんな。
「カニーカニー!」
ライラはやっぱりまだカニの周りを漂っていた。
そんな姿を見ながら、ベアトリスがぽつりと言う。
「食欲的な意味でカニが好きなら、あれ、食べてみる?」
「え? あのカニ食べられるの?」
「しっかり火を通せば食べられるはずよ。それも殻も丸ごと。サバイバル料理の本で書いてあったわ」
なんて本読んでるんだ、って思ったけど、旅をするならあって困らない知識でもあった。私も今度町で料理本探してみようかな。
「ライラー! ベアトリスがそのカニ料理してくれるって」
「わぁーい! カニカニー」
返事はするからこっちの声が聞こえる程度には理性があるらしい。新発見だ。
「なら私料理の準備するから、リリアはカニ捕まえてきて。あと火も起こしてちょうだい」
「はいはい。あ、カニどれくらい必要?」
「沢ガニは小さいし、三人分ともなると結構必要ね。まあどれだけいるか分からないし、任せるわ」
早速魔術で火を起こし、ライラと共にカニ捕獲へ動き出す。
本来カニは大きなハサミを持ち、素手で捕獲するとなると結構危険だ。でもこの沢ガニはサイズがかなり小さいので、そこまで注意する必要もない。動きも遅いので、簡単に手で抓んで捕獲できる。
水を入れたボウルに捕獲した沢ガニを次々投入。ものの十分で八匹も獲れた。小さいので八匹いても物足りなさそうだが、軽いお昼ごはん程度としては十分だろう。
「カニ獲ってきたよ」
「ありがとう。次は水で洗って綺麗にして」
言われるまま、カニを水洗いしていく。
その間ベアトリスはフライパンに油を入れ、パンを薄く輪切りにしていった。
輪切りにしたパンはフライパンで焼いていく。良い感じに狐色になったら、お皿の上に取りだした。
「それ、ラスク?」
ラスクとは、パンを二度焼きした菓子のことだ。
「そうよ。本来は砂糖を塗ってオーブンで焼くものだけど。まあ二度焼きしたパンという意味では大差ないわ。それで、カニは洗えた?」
「はい、全部洗った」
「じゃあ後はこれを焼くだけね」
ベアトリスはもう少しだけ油を足し、カニをフライパンの中に放り込んでいく。
「さらばっ!」
「……そのかけ声いる?」
「勢いよ勢い。生きてるカニを油の中に放り込むにはこれくらい勢いがないと」
「カニー」
生きたまま揚げられるカニに対するライラの声音には、どこか無常感が漂っていた。
やがてカニが赤くなってしっかり火が通ると、ラスクの上に一つずつ乗せていく。
そしてクーラーボックスから昨日作ったバジル入りタルタルソースを取り出し、それをラスクの端にたっぷりと塗りつけた。
「このタルタルも日持ちしないから、今回で使い切るわ。もうバカみたいにつけるから」
言葉通り、どのラスクにもタルタルが大盛りだった。これカニよりタルタルがメインでは?
「はい、できあがり」
沢ガニとタルタルが乗ったラスクが完成。その異様な見た目に私は押し黙る。だって、その姿のまま揚げられたカニがラスクの上に堂々と立ち、その背後には山盛りのタルタルが乗っているのだ。前衛アートかな?
「すごい……見た目……えぐい」
やっとのことでそう言うと、ベアトリスは苦々しげな表情を返した。
「カニの姿揚げなんてどう頑張ってもこうなるわよ。カニそのまんまな見た目なんだもの」
それはそうだ。
でもこの異様な見た目のタルタルカニラスクに好意的な反応を返す者もいた。当然ライラだ。
「カニー!」
一切テンションを損なうことなくラスクにかじりつく。そのままもぐもぐしてごくんと喉を鳴らして一言。
「カニー!」
……おいしいのかどうなのかまったく伝わらない。
結局自分で食べて判断するしかないようだ。
思い切って、タルタルカニラスクを一口食べる。
ラスクのカリっとした食感。パリパリに揚げられた沢ガニの香ばしさ。バジル入りタルタルの爽やかな匂いと酸味に濃厚な味。
「おいしいな。見た目はあれだけど」
「……本当ね。自分で言うのはなんだけど見た目あれなのに」
ベアトリスも自分で作っておいて意外とばかりに食べていた。
見た目はあれだけど、どれも味自体は変じゃないし、当然と言えば当然。
「カニー!」
でもライラほどテンション上がりはしない。こんな小さなカニでもこれだけテンション高くなるんだな、ライラって。
その姿のまま揚げられた沢ガニとテンション高いライラを見て、きっと私とベアトリスの思考は一致しただろう。
妖精ってわけ分かんない。