131話、旅立ち前のお寿司
やや曇り空のお昼頃。しゃっきりしない天気だが、日が陰っているのは涼しくて過ごしやすい。日光が突き刺す猛暑よりは旅を再開するのに良い天気とも言える。
今日でフウゲツの町とはお別れし、また旅を始める予定なのだが、その前にお昼ごはんを食べようとなっていた。
どうもベアトリスは食べたい料理があるらしく、お昼は彼女が事前にリサーチしていたそのお店で取る事にした。
そのお店とは……寿司屋。フウゲツの町の家屋は皆三角屋根で独特の意匠をした建築様式だが、この寿司屋は更に渋い外見をしていた。
なんと全て竹材で作られたお店なのだ。乾燥して灰色に近くなった色合いの竹を幾重にも組み重ねた外観は、このフウゲツの町の中でも特に異彩を放っている。
そのお店に入ってみると、内装もなんというか洒落ていた。お店の中なのに少し外を思わせるような作りになっていて、まず入ってすぐの左右には庭園を模した飾りが広がっている。外で見られる灯篭を小さくした物や、池に竹で作った水汲み。ミニチュアのジオラマで再現した庭園風景が広がっているのだ。
そして先に進んだところにはカウンター席。やや離れた所にテーブル席が一つ。カウンターも椅子もテーブルも竹らしく、こじんまりとしつつも独特な雰囲気漂うお店だ。
そのカウンター席に私とベアトリスは並んで座り、握り寿司のセットなるものを注文する。これはベアトリスが事前にリサーチした情報で、これ一つで十分お腹いっぱいになりそうとの事だった。
実は、寿司を食べるのは初めて。というか、フウゲツの町のパンフレットを見て初めて知った。あまり他の町では見られない独特な妙のある料理なのだ。
寿司とは、一口サイズに握った酢飯の上に生魚の切り身を乗せて一緒に食べる料理らしい。まず生魚を食べる文化が私には無かったので、それに驚いた。
どうやら海産物が豊富な海辺の町などは、しばしば生魚の切り身を食べる事があるようだ。何でも刺身と呼ばれるらしい。特に漁師が好んで食べる料理のようだ。なるほど、海に生きる人達は新鮮な魚を食べる機会が多い。となると生で食べるという食文化が生まれるのも納得だ。
寿司はその刺身から派生した料理なのか、それともまた別の体系、考え方から生まれた料理なのか……どちらにせよ、魚を良く食べ身近にする海辺の文化と思える。
そしてしばらくすると、私とベアトリスの前に握り寿司セットが一つずつ運ばれてきた。竹製の小さな台の上に寿司が合計九つ並んでいる。ちなみに寿司の数え方は結構あるらしく、寿司の種類などで変わるらしい。握り寿司は一貫、二貫、と言った数え方のようだ。
どの寿司も鮮度がいいのか、切り身がキラキラ光って見える。しかし、生魚の切り身をこうして見た事が無い私からすると何が何やらだ。
「これ……どれがどれ? なにがなに?」
小声でベアトリスに聞いてみる。事前に握り寿司を頼むと決めていた彼女ならきっと分かるはずだ。
「まぐろ、サーモン、いか、あなご、えび、ほたて、いくら、ねぎ、たまごよ」
それを聞いて、改めて握り寿司に目をうつす。
ねぎとたまごはすぐ分かった。たまごは卵の事だ、黄色いのがそう。これは卵焼きだろう。ねぎは私が知っているのとは違ってかなり小さいサイズのねぎが一束。一瞬これもお店の飾りつけの庭園みたいにジオラマなのかと錯覚する。
いかは白いやつだろう。えびは尻尾があるやつ。ほたては……貝だから、この白くて丸く平べったいのがきっとそうだ。
まぐろ、サーモン、あなごは正直分からない。以前食べたうな丼みたいな茶色いタレがついたのは……多分あなご。とすると残るは赤色が強いのと橙色のやつ。あ、でもサーモンって鮭か。鮭のほぐし身とか橙色だしこれがサーモンだ。すると赤いのはまぐろ。
このように、初寿司の私からすると何がどれなのか特定するだけで精一杯である。ただでさえ初生魚でドキドキしてるのに、食べるのが何か分からなかったらどうしようもない。一応特定できてよかった。
寿司は基本、小皿に入れた醤油に軽くつけて食べるらしい。あなごみたいにタレが付いてるのはつけなくてもいいようだ。そして好みだがこの醤油にわさびという薬味を入れて食べるのが通だとか。通ってなんだ。
分からないけど、小皿のふちに付いている緑色が鮮やかなわさびをちょっと醤油に溶かす。これで私も通だ。初寿司だけど。
と、ここまでして気づいたが、基本一口サイズの寿司だとライラの分を取り分けられない。
「すいません、寿司セットもう一つお願いします」
なので追加注文する。店員さんが、まだ一口も食べてないけどそんなに食べるの? と驚きの目をしていたが気づかないふりをした。ライラの姿は人に見えないからこの視線はしかたない。
ライラでは全部食べきれないかもしれないけど、残ったのは私とベアトリスの二人で食べればいい。九貫食べても一つや二つくらいまだ入るだろう。
「……これは完全に勘だけど、ライラが食べきれなかった分を私も食べる事になってるわよね?」
さすが吸血鬼、勘が良い。ここは一蓮托生だ、と目で訴えておく。
「まあ、別に良いけど。このお店に来たいって言ったの私だし」
そのまま待っていると、やがてライラの分のセットがやってきた。
「わーい、いっぱいだわ」
ライラ視点だととんでもない量なのだろう、無邪気に喜んでいた。
ライラの分が来るまでベアトリスも律儀に食べずに待っていてくれた。ようやくここで、三人揃って食べ始める。
まず食べたのはまぐろ。赤色が鮮やかでキラキラ輝いている。初寿司の私はドキドキしながら醤油をつけて食べてみた。
むぐむぐ。ゆっくり咀嚼する。そしてごくん。
「……うまっ」
結構おいしい。というか新感覚。寿司はわりと冷たく、切り身の鮮度が保たれている。酢飯は酸っぱいのかと思えば甘目で、醤油の辛味がついたまぐろは濃厚な旨みを持っていた。そしてちょっとツンと鼻にくるわさびの風味。口の中でそれらが渾然一体となったおいしさは驚きだ。
意外と生の魚っていけるな。ベアトリスとライラも同じ感想なのか、まぐろを食べ終えた後の表情はどれも満足げだった。
「生魚だから警戒してたけど、意外と生臭くないのね」
ベアトリスは鼻が良いのか生臭いのに敏感で苦手らしい。そんな彼女ですら生臭くないと絶賛だ。
ライラも二口でまぐろ一貫を平らげており、次のサーモンを早速食べ始めていた。意外と全部食べる勢いじゃない?
私もサーモン、いか、あなご、と次々手を伸ばす。
サーモンはまぐろと比べてかなり油っこい。口の中の温度で油が蕩けていく濃厚な味わいだ。対していかは食感良くさっぱりした淡泊な感じ。タレがついたあなごは甘辛で、醤油をつけて食べていた中でアクセントになっていた。
えびは甘くぷりっとした食感。ほたては弾力があり貝の旨みが口に溢れていく。鮭の卵であるいくらは、ぷちぷちとした食感で塩っぽい濃厚な味が弾けていった。
そしてここに来てのねぎは野菜のしゃっきりした甘みと苦さが感じられ、色んな味を味わった口の中がリセットされる。最後に食べるやや甘めのたまごが、締めにちょうどいい。
寿司を食べる時は熱いお茶が出されるらしく、大きな湯呑が目の前にある。全部食べ終えた後に飲むこの熱い緑茶がたまらない。満たされたお腹が落ちつくようで、ほっと息を吐いた。
ベアトリスも同じく完食し、驚くことにライラも全部食べ切っていた。九貫食べ終えてみるとお腹がちょうど良い感じに満たされた感覚なので、ライラだとお腹いっぱいになったくらいなのかもしれない。
寿司……おいしかった。今度機会があれば生の魚の切り身である刺身を食べてみたい。そう思うほど満足。
食べ終わった後は早速フウゲツの町を出発する。フウゲツの町から街道へと出ると、ベアトリスが風に金髪をなびかせてふと言った。
「さて、次はどこへ行く?」
……今さらだけど、ベアトリス普通についてきてるな。別に良いんだけど。ベアトリスも私も当てなく旅をしているのだから、気ままに一緒の旅をしても問題ない。
むしろ気になるのは、いつの間にか一緒に旅している事にこれ以上突っ込まなかったらこのままずっと居るのだろうか、という事だ。
何かしれっとベアトリスと一緒に旅している現状が面白いので、このままにしておこう。ライラもベアトリスと打ち解けているし、野宿の時はおいしいごはん作ってくれそうだし、私としても良い事づくめだ。
こうして、魔女と妖精と吸血鬼という変な顔ぶれの旅が始まったのだ。