101話、魔女の食事会
ミトンをつけ、温めた鍋を居間へと運ぶ。
弟子たちとライラが見守る中、ローテーブルの真ん中に鍋を置いた私は、こほんと咳払いをした。
「えー……皆に聞いて欲しい事があります」
喋りだすと、全員がきょとんとした表情で私を見つめた。その視線を感じながら、私は真面目な口調で続けていく。
「リネットが独り立ちした勢いのまま、完全に思い付きで旅を始めたわけだけど、今日までの旅には色々な出会いがありました」
言いながら、私はこれまでの旅を思い出していく。
本当に色々な事があった。最初は気ままな一人旅で、湿地帯へ行ったり、リネットのお店を祝ったり、ライラと出会って気ままな二人旅へとなり、海辺の町や、吸血鬼と出くわしたり幼馴染との再会。色んな町と人との出会いがあった。
そんなことをこんこんと語りつつ、私はちょっと表情を暗くする。
「でも、いい出会いもあればひどい出会いもあるという事を私は知ったよ。で、今日は弟子たちが揃った機会でもあるし、皆で私のトラウマ克服に協力して欲しい」
「……なんだか嫌な予感がするんだけど」
長い間一緒に旅をしていたこともあって、ライラはそれとなく察するものがあったようだ。
そして付き合いの長さでは弟子たちの方がある。皆嫌な予感を抱いているようで、表情が不安げだった。
そして皆の視線が一斉に鍋へと向かう。絶対これだ。これに何かある。全員無言だが、私はそんな皆の心の声が聞こえた気がした。
そう、その通り。この鍋にこそ、私のトラウマの源泉が入っている。
私は思い切って、鍋の蓋をかぱっと持ち上げた。
開け放たれた鍋の中に広がるのは、湯気を放つ緑色の液体。その特徴的な匂いを嗅いで、リネットが呟いた。
「……これ、オリーブオイル?」
「そう、これはオリーブオイル鍋。今日の為に、ヘレンの町にあるオリーブオイルを食べようの会から特別に取り寄せたの」
「はいはい」
「はいエメラルダ、何?」
エメラルダが手をあげたので、私は彼女に発言の許可を与えた。
「オリーブオイル鍋って聞いたことはあるけど、私が知ってるのは鍋のスープの中にオリーブオイルを少量回しかける程度の物なんだけど。それにオリーブオイルを食べようの会ってなに? オリーブオイルに食べるって形容しなくない?」
「前半も後半も、まさにその通りだよ。でもっ、それが正式名称のお店なのっ! しかも本当にオリーブオイル食べてるとしか言えない料理なのっ!」
「……うん、まあ、この鍋見てたら分かるけどさ……」
実際エメラルダの言う通り、通常のオリーブオイル鍋はスープにオリーブオイルを少量入れた物なのだろう。
だがこれはオリーブオイルを食べようの会が作った物だ。そんな甘い鍋になるはずがない。オリーブオイルこそがスープであり、そしてこのオリーブオイルこそがメイン具材でもあるのだ。
もちろん、鍋の中にはオリーブオイル以外の具材がちゃんと入っている。
お肉にきのこ、にんじん白菜などの野菜類。その辺りは普通の鍋の具材だ。
でもオリーブオイルでぐつぐつ煮られていることで、全てオリーブオイルを吸ってぐでぐでとオイルの底に沈み込んでいる。むしろこれはオリーブオイルの味に深みを増すための材料、いわば生贄なのではないだろうか。
少量なら香しいオリーブの匂いだが、大量にあることでむせ返るような濃さが鼻をつく。
そんな異様な鍋を前にしながら、リネットが震える声を出した。
「一応アヒージョというのもあるから、食べられない事も……」
アヒージョとは、オリーブオイルにニンニクや塩などを淹れ、エビやマッシュルームなどのきのこを入れて煮込む料理だ。おいしいやつ。
「アヒージョと比べるとオリーブオイルの量が凄まじいと思うわ。五人分としても多すぎよ」
イヴァンナの言う通り、アヒージョとは比べ物にならないオリーブオイルの量だ。もう見てるだけで胸焼けするやつ。
「これ……食べ、られるの……?」
さすがのライラも、鍋に広がるオリーブオイルの海には気圧されているらしい。呆然としていた。
「だ、大丈夫だよ。オリーブオイルを食べようの会マスターいわく、これは常連さんにしか出してない特別メニューで、オリーブオイルのフルコースよりさっぱりしてるから食欲ない時に最適らしいから……」
これには、あのエメラルダでさえあんぐりと口を開けて驚いていた。
「匂いだけで胸焼けしそうなのに、どこがさっぱりしてるのさ……っていうか師匠、そんな変な所の常連だったの?」
「ううん、一回しか行ったことない。これ買いに行った時が二回目」
「二回目の来店で常連扱いなんだ……」
リピーター少ないんだろうね……当たり前だけど。
「と、とにかくっ、私は過去、このオリーブオイルを食べようの会でオリーブオイルのフルコースを振る舞われて以来、オリーブオイルを見るたびにちょっと動悸がしたり、喉奥がうぅってなったりしてたんだよっ! そのトラウマをっ、今日ここでこの鍋を食べて払拭するっ! 皆で私のトラウマを超えていこうっ!」
私の雄々しい決意に比べ、イヴァンナとエメラルダは白い目を向け始めていた。
「どうして私たちが師匠のトラウマを一緒に超えなければいけないのかしら……」
「絶対私たちに同じ思いさせたいだけじゃん」
「ま、まあまあ二人とも……確かに見た目異様だけど、食べられない事はないと思うよ。意外とおいしいかも……」
リネットが二人をどうどうと落ち着ける。やっぱりリネットは師匠想いの良い弟子だ。
「あ、パンはどっさりあるから、オリーブオイルのスープつけながら食べた方がいいと思う。件のお店のマスターいわく、通はまず具材を食べきってからごはんを投入してオリーブオイルおじやにするって話だけど」
「うっ……ちょっと師匠、想像させないでよ……」
オリーブオイルをたっぷり吸ったごはんを想像してしまったのだろう、エメラルダが口元を抑えて抗議する。
イヴァンナが大きくため息をつき、しかたないとばかりにお玉でオリーブオイル鍋をよそい始めた。
「取り皿に入れてしまえば、見た目アヒージョになるのが救いね。全部はともかく、数回はおいしく食べられそうだわ」
イヴァンナが言う通り、小分けすると見た目は具だくさんのアヒージョだ。一人では無理だけど、やはり皆でなら食べきれそうだ。安心した。
それぞれの分をよそい終わり、全員で覚悟を決めてついに食べることにする。
「それでは……いただきます」
取り皿はやや底が深い小さ目の皿なので、フォークとスプーンで食べることに。こうするともうただのアヒージョに見える。
意を決してきのこから食べてみた。きのこも数種類入っているが、私が最初に食べたのは傘が広がったしいたけ。
肉厚のしいたけは独特の匂いがある物の、強い旨みがあってダシもよく取れる。そのまま食べるのにも、スープのダシにするのにも役立つのだ。
そしてオリーブオイル鍋のしいたけは、オリーブオイルの風味に負けない旨みがあり、かなり食べやすい。オイルのせいで表面がねとっとしているが、噛むとじゅわっと強い旨みが出てくる。
にんにくとオリーブオイルがしいたけの独特な匂いを和らげていて、かなりおいしいんじゃないか、これ。
でもこれ、絶対ダシとして入れたんだろうな。オリーブオイルの会はそういう会だよ。そうに決まってる。
次に食べたのはお肉。肉は豚のバラ肉のようなペラペラなのではなく、大きめの角切りにされた牛肉だった。ステーキを分割したような見た目と大きさだ。
そしてこれは、食べてみるとなんだかすごく独特。牛肉の味はちゃんとするんだけど、噛むと肉汁というよりオリーブオイルが染みだしてくる。オリーブオイルを吸ったせいで、肉汁がオリーブオイル汁になってるんだ。
おいしくないというわけではないけど、すごく、こう……オリーブオイルを食べてるって感じがする。
すると同じく牛肉を食べてたエメラルダが、ぽつりとつぶやいた。
「なにこの牛肉……オリーブオイル食べてるみたい。あっ、それがオリーブオイルを食べようの会……?」
気づかなくて良い事に気づいてしまったエメラルダは、意外にも前評判と反してばくばく食べていた。パンでオリーブオイルを拭き始めたし、もう普通に料理を楽しんでる。
エメラルダは若干変だから、やっぱりこの料理と波長があったようだ。
でもエメラルダじゃないけど、意外とこの鍋食べられない事はない。オイルの量を別にすると、ぶっちゃけアヒージョみたいなものだから当然と言えば当然なのかな。
イヴァンナもちょっと納得できない顔をしつつも、食べる動きが止まらない。
「意外ね……普通においしいわ。鍋というよりアヒージョに近いからかしら……でもアヒージョというより、オリーブオイルの中に偶然具材が入っていたって感じの雑さも感じるけど」
リネットとライラも、意外と普通においしいオリーブオイル鍋に舌つづみを打っている。
二人は気が合うのか、明るく喋りながら食べ続けていた。
「これ、最初はどうかと思ったけど結構おいしいよね、ライラちゃん。特にこのマッシュルームおいしいかも。完全にアヒージョの味がする」
「そうね。でも私としてはできればカニも入っていてほしかったわ」
「あ、いいね、カニ。ライラちゃんカニ好きなの?」
「大好きよっ、なにせ私はカニでテンションが上がるタイプの妖精だもの」
「カニでテンション上がるタイプの妖精……? 妖精ってそんなタイプあるんだ。知らなかった」
知らなくていいよリネット。後それライラの自称だから、本当にそんなタイプで分けられるのか微妙だよ……。
しかし私もそうだが、このオリーブオイル鍋、皆に意外と好評だ。
うん……そうなんだよな。一つ一つは結構おいしいんだよな、あのお店の料理。
でもさ……オリーブオイルの量が大分ぶっとんでるんだよあそこ……。
最初は良い。だけど、こうして食べ続けていると……。
「う……なんか、そろそろ胃が苦しいかも」
エメラルダのその発言を皮切りに、イヴァンナがしきりにうなずく。
「胃が苦しいというより、胸焼けがしてきたわ。さすがにオリーブオイルの量が多いのよ」
「でも、なんとか全部食べられそうだよ。師匠の為に完食して、オリーブオイルへのトラウマを払拭してもらわないと」
「リネット……あなた本当に師匠の為に食べてたのね」
呆れたように言うイヴァンナだが、当の私はリネットに感激してる。リネット良い子。後でお菓子作りに使えそうな貴重な香草とかあげちゃう。
もともとあのお店の常連には一人用の鍋なので、五人もいればなんとか全部食べきるのは可能だった。気がつけば、鍋の中のオリーブオイルはほぼなくなっていたのだ。
鍋に残ったわずかなオリーブオイルも、パンで拭くようにして食べ、なんとか皆で完食することに成功する。
「ごちそうさまでした」
私は空っぽになった鍋に蓋を置き、食後の挨拶をした。
食べた。皆の力を借りたとはいえ、なんとかオリーブオイル鍋を食べきった。
これできっと私のトラウマは克服できたはずだ。さらば、オリーブオイルを見てちょっと動悸がしてくる過去の私。そしてようこそ、オリーブオイルを見ても動じない私。
「いやー、さすがにこんだけ油ばっかり食べてたら、最後は甘いデザートとか食べたいなー」
エメラルダが大きく伸びをしながらそう言った時、私の口が勝手に動いた。
「あっ!」
「な、なに、どうしたの師匠。そんな大声出して」
皆の視線が私に集まる。それを受けとめながら、私は冷や汗を流しつつ震える声を出した。
「そういえば……おまけとしてデザート貰ったんだった……オリーブオイルのシャーベット……」
それを言った瞬間、この場の空気が凍った。
誰もが唖然とした表情で呆けたように口を開け、それぞれがそれぞれの目を見つめる。
……やがて、誰からともなく震える唇を動かした。
「ぎぶあーっぷ」
見事に皆の声がハモった。
そして私のトラウマは完全払拭されることはなかった……。
オリーブオイルのシャーベットってなに……それはただの凍ったオリーブオイルだよ……。