その名前を
〈大地人〉が〈冒険者〉同士のやりとりを見て特に困惑するのは、その多様でほとんど無軌道にすら思えるその呼びかけ方だった。
街中の〈大地人〉屋台の親父に〝大将〟と呼びかけるものもいれば、おっさんで済ませるものもいる。そして前者が大手ギルドのギルドマスターであったり。
イースタルの誇る冬薔薇に向かって〝シアちゃん〟と呼びかけるかと思えば、慇懃に〝姫〟と呼びかけて腰を折る。それが等しく円卓のギルドマスターである、と言った具合。
「さて……まずは、僕から行こうか」
立ち上がり、集まった同胞達を見回してルンデルハウスは口を開いた。知った顔もあるが、初めて見る顔もある。会合ではいつもの事だ。
「僕の名はルンデルハウス=コード。ギルド〈記録の地平線〉に所属している〈妖術師〉だ」
貴族とわかる名乗りに、アキバに来たばかりだという男は丁寧な口調で尋ねる。
「コード家の若様で?」
「いや、もうコード家はないのだがね」
「これは失礼しました。では、若殿様と?」
それは〈大地人〉であれば当たり前の呼び方だった。
取り潰しあるいはモンスターの来襲で家を途切れさせる貴族というのはありきたりとは言わなくてもありふれている。
家人がまったく潰えてしまったのならともかく、その名を名乗る成人男子(しかも、彼はあの〈円卓会議〉ギルドの一員だ)がいるのであれば、当人が当主を名乗り、お家再興のために身を粉にするのが一般的な〈大地人〉の価値観というものだった。
ルンデルハウスも、貴族としての矜持は依然として胸の内に抱いている。しかし、今の彼は〈大地人〉であると同時に〈冒険者〉だ。世界に唯一と言って良い存在として、自分の行く末を模索する日々だったが、家を立てそれに依って人々を守るという貴族制度からは(〈大地人〉の築く全ての制度、と言っても良い)彼自身はもうはみ出してしまったという自覚も覚悟も持っている。
ルンデルハウスはそれをどう説明したものかとゆっくりと口を開いた。
「コード家を再興するつもりはない。僕にこの名をくれた家も、過ぎるほどの力をくれた血脈にも感謝しているし、この名を誇りを持って名乗る。ひとりの貴族として、人を守るという気概も持っているつもりだ。だが、そういう形でその義務を果たすことは、僕にはもうないと思うよ」
とまどいがちに、商人らしき男が手を挙げる。
「では、その、なんとお呼びすれば?」
「親しい仲間は僕のことをルディと呼んでくれるよ」
「さすがに、それは」
彼が向けた笑顔にも、その困惑は深まるばかりのようだった。
「〈冒険者〉は自分で決めて、自分で相手との関係を作るんだ。〈大地人〉の職人に敬意を払う〈冒険者〉がいる。遺棄児と呼ばれた者と友誼を交わす〈冒険者〉がいる。誰も彼もが自分の目で確かめて、どの名を呼ぶべきかどのような関係を作りたいのかを決めるのだ」
困惑した表情のひとりの男に、ルンデルハウスは向き直った。
「君は、結婚は?」
「妻と娘がおります」
「うん、君は君の奥方をなんと呼ぶのだい?」
「奥方なんて上等なものじゃあないですがね。おまえとか、ああその、カアちゃんなんて呼びますかね」
「君の奥方は君にとって子の母親という事だろう? そうやって関係があるから名を呼ぶのだから」
そういうことだよ、と彼は頷いて見せた。
「君がその〈冒険者〉を尊敬できるならそのように呼べばいい。あるいはそれが君の顧客であるのならそのように呼びかければ良い。いくつかの会話が出来る程度に親しくなったら話はもっと簡単だ」
「簡単?」
「なんと呼べばいいのか、本人に聞けばいいんだ」
〈大地人〉の客を相手にした時と何ら変わることはないだろう? と彼を見る視線の中にある困惑を解くように続ける。
「まったく敬意を感じない相手など、ごく僅かだ。話を聞いて親しくなれば、その人となりに礼儀を払うことすら難いような〈冒険者〉にお目にかかったことは……」
ルンデルハウスは脳裏に今までに出会った〈冒険者〉達のことを思い浮かべる。
「そう、今のところないようだな」
すれ違っただけの者も、深く関わった者も様々にいる。だが、その誰も彼もが〝人間〟だった。
「〈大地人〉同士だって同じだろう?」
それは、今目の前にいる〈大地人〉も同じだ。同じだと言えることが嬉しいと思う。
「商人として遠くアキバまでやってきた者。旅の果てにここで新しい技術を修める者。僕は君たちを尊敬する。ひとりのアキバの住人として、少しだけ先輩の同胞として、君たち新しい仲間を歓迎する」
そう言って綺麗な礼を見せたルンデルハウスに向かって、拍手が起こる。
「やあ、少し話しすぎたようだ」
それに驚き、照れくさそうに笑う年若い青年に、回りの者も何度も頷いた。
「いや、いや、確かにそうですな」
「まあ、なんだ、我々からみれば少しばかり……あー、破天荒な気はしますが」
アキバに来てから驚くばかりで、と頭をかくひとりに、ルンデルハウスは至極真面目な顔を作って見せた。
「ああ、それは大丈夫だ、保証するよ」
「はあ」
「すぐに馴れるとも、毎日驚いていればね、驚くことに馴れるものだよ」
そのレトリックに、あちこちで笑いが起こる。
「僕も毎日驚いている。〈RP.jr〉の明太子ホットサンドなど、何度食べてもこのような美味が存在するのかと驚くが、驚くことそのものには馴れるよ。馴れても驚く美味ではあるが」
「ほ…ほう。そんなに美味なサンドがあるのですか」
ごくりと唾を飲んだ音に、〈料理人〉らしき者が声を上げた。
「私は食べましたぞ。ぷちぷちという食感が楽しく、いくつでも食べられそうだ」
「メンタイコにはタラの卵を使用しましてな。あれは我が地方の特産ですので」
「ほう! そうなのか!」
この場にいる〈大地人〉は生産かあるいは商業系の職業に付く者ばかりだ。材料は何か、製法は。あるいはどこでどうやって売買するか。そんな話題に熱が入る。
「やはり調理を習いに来ている者は多いようだなあ」
「各地の貴族様も随分と熱心なようで」
「わたしはおかげでここに来られたんだ」
新たに地場産業を興す役目を負ってきたという〈料理人〉が胸を張った。
「そりゃあすごい。肝いりということはあんた随分レベルが高いんだろう?」
「まだまだだよ。それに何しろ研究にも金がかかる」
「だがそいつは羨ましい研究だなあ」
「違いない」
アキバには〈大地人〉だけではなく〈冒険者〉自身でも把握しきれないほどの物が溢れている。目移りしすぎてどこから手を着ければいいのかと頭を悩ませるのに、ルンデルハウスが朗らかな声をかけた。
「食べ歩きだ、食べ歩きが良いと思うぞボクは」
「〈冒険者〉の人らが街中で立ったまま食べているあれですか」
「簡易な屋台の食事は比較的安いし種類も豊富だ。どれひとつとっても美味しいし、何より楽しいものだ」
親しい友人たちと繰り返すその経験はルンデルハウスにとって心躍るもので、それを思い出した彼の頬も緩みきっている。
「貴族の若様でもそんな顔をなさるんですなあ」
「あー。えへんえへん」
わざとらしい咳払いに周りが吹き出す。この地へ来て味のある食事を食べて、その気持ちがわからないものはいないだろう。
「そうだ、今日の帰りには〈RP.jr〉の明太子ホットサンドをこの僕が諸君にごちそうしようじゃないか」
「その、よろしいので?」
結構な人数ですが、と遠慮がちに言ったのはさきほどの〈料理人〉だった。
「なに、これでもなかなかに稼いでいるのだよ僕は」
それに得意げに片目を瞑って返したルンデルハウスの言葉を素直に受け取り、さすがは貴族で有力なギルドの一員だと皆は感心したのだった。
彼が同じギルドの〈吟遊詩人〉から、薄くなった財布についてお小言を受けたのはまた別の話。