描写1
イタルクンはどうなるのか
自転車に乗ってイタルは葛山ハイツに向かって走り出した。
葛山ハイツ102号室がイタルの下宿だ。
明日は禄でもない学生実験があり予習が必要なのは明らかだったがイタルはコンビニで一番高価な黒いラベルのウイスキーと値下がりしたブロックベーコンを買って帰った。そして財布にはタバコを買う金も残らなかったことに少し不安を感じたが無視をしようと努めることにした。
酒を飲む必要性なんてまるで感じてはいなかった。さらにいえばイタルは、酒を飲んですべて忘れてしまおうという発想ができるタイプでもなかった。ブロックベーコンも含め、自分でもよくはわからないのだが、現実にたいして抗うための何かだった。それが間違っているとは思わなかった。時が深夜だったということのせいがあるのかもしれない。
カランカランと酒瓶独特の深みのあるガラスの音をさせながらアルバイト後の脚腰の気だるさに耐えつつ無心でペダルをこぎ続けた。
12分間をこぎ続けてようやく国道沿いのマンションの駐輪場につくと、禄でもない自転車を降り、ズボンのポケットからキーケースを出そうとして財布を落とした。貧困を暗示する音がした。悲壮を感じながら財布を拾い、もう一方の手でかごからウイスキーが入った袋を持って部屋に向かった。そして鍵を開けて孤独以外何も待ち受けていないであろう部屋の扉を開いた。
死んだ目で部屋に立ち入ったが何故なのかはわからなかったが、部屋の空気を吸うと存外にほっとした。孤独だがそこにネガティブな響きは特に感じはしなかった。短い廊下をぬけて部屋に入り、まずテーブルにコンビニの買い物袋をおいた。
イタルは無駄に部屋を掃除する男だった。そして部屋に対する美意識もわかりやすいもので、部屋にはガラス製のテーブル、黒いソファが一つ、少し大きいテレビ、本棚、ベッド、CDコンポ、隅のほうに大学の軽音楽部に入るときに調子に乗って奨学金をはたいて買った上等なメープルのスネアドラム、バスドラムのペダルがあるほか存在感のあるものは特に無く、上質なシンプルさを追求し、美徳とするよくいるすこし鼻につく大学生のセンスだった。
買い物袋からベーコンだけ取り出して、キッチンに向かった。そばにある冷蔵庫を開けるとコーラと卵とほうれん草だけが存在していた。ほうれん草だけ取り出した。
コンロの上のフライパンにオリーブオイルを注いで火をつけると、ベーコンの封を切り、あまり衛生的でないまな板の上で適当に切った。
ほうれん草は手で千切った。根元の部分をゴミ袋のほうに投げた。
ベーコンを先にカリカリに焼くと良いということを聞いたことがある気がしたのでそのとおりにしようと思い棒状に切ったベーコンを先にフライパンに入れた。
オイルが跳ね、腕にかかって熱かったが特に気にしなかった。しかしフライパンが相当熱せられていたようで、ベーコンが激しい音を立てたので、狼狽してすぐにほうれん草も炒めた。
適当に火が通ったところで水滴の少しついたままの少し広いだけの皿に移した。火を切ってその皿をガラステーブルに持っていった。
携帯の着信を確認しながら、冷凍庫から氷を取り出し、水滴のついたグラスに五個入れた。
同じ学部のハシモトシゲルから5000円貸して欲しいという着信だけがあった。
携帯をソファの隅に雑に放ってウイスキーのキャップを開けた。
コンポの中にアメリカのインディーレーベルに所属するエクスペリメンタルロックバンドの新譜が入っていることを思い出した。
自分でも少し趣味が悪いと思いながらリモコンの再生ボタンを押した。