和平会議
2章 平和を望まぬ者
生まれついてこのかた、キースには、戦争があたりまえの日常だった。
百年以上も戦乱が続いていた時代。
傭兵を生業とする者と引退した傭兵ばかりが住む田舎の村に生まれ、傭兵の父に厳しく鍛えられ、平和な時代を知らずに彼は育ってきたのだ。戦争が終わるなどとは、考えたこともなかった。
ところが近頃になって、これまで数多の小国に分かれ争ってきた国々がしだいに手を結び、戦争をやめようとしているという。
いざ、そうなってみると、若い彼には、故郷のフライハイト村へ帰るという選択肢は思い浮かばなかった。帰ったところで森と牧場と温泉しかない田舎暮らしだ。
「とりあえずそいつは、じじいになっちまってからでも遅くはねえ」と、そう感じていた。
まだ、傭兵の仕事に事欠かなかった。しだいに、傭兵というより用心棒、の意味合いに近くなってはいたが。
そしてキースはこの場にやってきた。
東州連合と西州の代表が、完全な和平条約を締結するための会議を設けるという。当然ながら、これを妨害しようとする勢力もあると予想される。
キースと、以前、彼と共に戦場で戦ってきた傭兵部隊の面々は、この場にやってくるそれぞれの陣営の、いやもっと具体的に言えば、主として、西州側代表の付き添いとしてはるばる北からやってくる特殊な一族の護衛をするために雇われたのだ。
キースたちが護衛することになったのは「聖堂」の聖職者、聖導師として名高い一族の代表だった。
ところでキースは、この白い一団に見覚えがあった。それを知ったとき、彼らに護衛など要るのかというのが正直抱いた感慨である。
戦時中、さんざんな目に遭わされた部隊は数知れず。
キース自身も、数年前、とある城を攻略していた部隊にいたとき、強力な魔法を操る白い人々に遭遇したのだ。
もちろんボロ負けであった。
命があっただけでも儲けものだった。
傭兵達に白い死神とまで呼ばれている彼らが、敵であっても生命までは奪わないという主義だったのは、不幸中の幸いだった。
あれは、敵にだけは回したくない。
と、キースは思っていたが、彼と同じフライハイト村出身の傭兵たちの一団もまた、戦場で多くの兵たちからそう噂されていることは、知るよしもないことだった。
*
和平会議が始まってから数日が経過していた。
昼前から始まった会議は長引き、入る者は数名いても出てくる者はなかった。そして夕刻、参加していた人々が外に出てくる。
その中に白き人々と呼ばれている聖導師たちの一行の姿を認め、キースたち護衛は素早く駆けつける。
神聖なる会議の場には、正規軍の高官やよほど信頼される従者ならばともかく、金で動くと思われている傭兵たちには、その場に顔を出すことも許されてはいない。
しかし、いざ味方として出会ってみれば、白き人々は存外親しみやすく、下々の者たちにまで気さくに声をかけてくれる、身分の差など気に掛けるところもない人々だった。
中でもとりわけ若いフィオン・ソフィア・マカリスター少年は、年齢の近いキースにはその日の出来事など雑談めいて話しかけることがあった。
どんな勢力にも影響されることのない立場にあるフィオンの、ときに辛辣で、歯に衣を着せない物言いが、嘘のない言葉のようで、金や権力におもねる人間を見慣れてきたキースには、この上なく信じられる気がした。
自分たちの天幕に戻る白い一団に、キースほか十数名の手練れの傭兵たちが左右から付き従う。
「それで、どうだったんですか」
天幕まで帰り着いてようやく、キースはフィオンに声をかけた。
フィオンは目深に被っていた頭巾をはねる。
明るい金髪がさらさらと光る。
「会議は相変わらず進まなかったけど、やっと今日、サウダージの赤い魔女が来たよ」
「魔女?」
しかしそいつは禁句のはずではといぶかしむキース。
魔女とは聖堂の教えの対極に位置する存在だ。
闇に潜み、光を呪い、災いを生む。近づいてはならないと、どんな国の子供たちも畏れを抱く。
「ああ、悪い、ただのあだ名だ」
フィオンはくすっと笑う。
「共和国の赤い魔女は、あの国の実質的な統率者。他国にとっては目の上のこぶ、邪魔者。全く油断のならない女だからな。容貌は至上の美、言葉も態度ももの柔らかだが、その実、本心を窺い知ることなどできない」
上に立つ人間というのは多かれ少なかれそういうものではないかとキースは内心思ったが、口をついて出たのは、
「赤いのか?」
という一言だった。
「ああ。普通じゃない、深紅の髪に深紅の瞳。蝋燭の光でも赤々と輝いて見える。そして、普通じゃないというのは……」
金髪の少年は微かに笑って言った。
「あれは、見る者によって、外見が違うんだ」
人によっては青年に見えたり、子供に見えることもあるという。
キースは混乱した。
「そんなことがあるのか? そいつはまた…やっかいな」
もしもそんなのと戦えと言われたら困る。
フィオンは何がおかしいやら、くすくすと、
「まさに魔法の域だ。それでいてサウダージ共和国というのは魔法が殆ど発達していない国だそうだからな」
あれは錬金術というのだと、他の聖導師が口を添えた。
「そういえば、あの女が連れていた、灰色の衣の従者は、護衛だということだったが…」
「あれには魔術の心得があるな。西域のものだ」
「西の魔道国といえば……エルレーン公国か」
「あの国は、このたびの和平会議にはレギオン王国に全権を委ねるということで直接参加をしていないが。どういう経緯でかの者が護衛を勤めているのであろうか」
「赤い魔女は、各方面に敵の多い女だそうな。ここに到着するまでも和平を望まぬ敵に狙われたと」
会談の緊張から解放されてか、若い者たちの口が緩む。
噂はほどほどにと老賢者が諫める。
その場に居合わせていたキースは、これといってはっきりした理由はないのだが、不穏な予感を覚えていた。
そんな、無理を押してまで?
赤い魔女という女は、妨害を予測していたと語ったという。
まるで、頭上に重苦しい暗雲がのしかかってくるような、そんな思いが、剣のみを頼りとして生き抜いてきた彼らしくもなく、胸中に広がっていた。
「きみの危惧するところは、わからないでもないけど」
フィオンの声が、涼やかに彼の耳を打つ。
「平和を望まない者はいる。けれども、戦争のない世界を渇望する者の声のほうが、ずっと多いと、ぼくは思うよ」
……続く。