迎え
「お・・・お帰りくださいませ!きっと同じ名の別人でございます。ここは貧民の土地です。貧民から王など・・・しかもうちの娘にかぎって・・・!」
「いいえ次なる王は、ここに居られます展 藍宇様です。同氏名の者も確かに幾人かは居りますが、間違いなく」
「そんな・・・、まさかっ」
さらに取り乱す母親を見て、それに反比例するように藍宇の頭は冷めていった。さらに何かを言い出そうとする母親を制するように一歩前に出ると、顔だけを上げた劉昇の眼を真っ直ぐと見返し、
「詳しい話を聞かせてください」
「もちろんでございます。では、こちらでは色々と差し支えもございますゆえ、駿鳳宮までお越し願います」
「王宮へ!?」
「はい。 母君様も、勿論ご一緒に」
王宮と聞き、藍宇の強い瞳に一瞬不安そうな影がかかったが、母親も一緒でいいと聞き安堵の息を漏らした。
「・・・分かりました。あ、でも、琥琉に・・・、幼馴染に出かけることを言っていってもいいですか?いつも一緒だから、いきなり居なくなったらきっと心配すると思うから」
「ええ、かまいません。 それと、私どもに敬語は不要でございます。たとえ戴冠を済ませてはいらっしゃらないといえども、我々は、藍宇さまの配下にございますゆえ」
劉昇の言葉にまだ戸惑いを覚えながらも、藍宇は笑みでそれに答え、皆に立つよう促した。
「どういうことだよ!?それは」
「だから、ちょっと母さんと出かけることになったから、しばらく居なくなるけど気にしないでって・・・」
「そうじゃなくて! どこ行くんだよ、どれくらいの予定なんだ?」
「それは・・・今は言えないの。でも、言える時がきたらきっと言うから。じゃ、行って来るね」
「あっ、おい、藍宇!」
まだ話は終わってないと、琥琉が引きとめようとするも、藍宇はさっと身体を翻し駆け足で琥琉の家から去っていった。
藍宇のその後姿をみて、琥琉は言葉にしがたい疎外感を覚えた。
いままで身近な存在であった少女が、突然遠くに行ってしまう、そんな感覚が沸き起こり、全身を駆け巡ったのだ。
藍宇を引きとめようと伸ばした手を所在無さげに下ろし、
「早く帰ってこいよ・・・」
そうポツリとつぶやいた。
劉昇達と村の外れでおちあうことになっていた藍宇は、急ぎ足でそちらへ向かっていた。
走りながら、これから先のことを思う。
王になる、それは官吏を目指して夢見ていた藍宇にとって、まさに青天の霹靂であった。
政のことなどまるで分からない。たいした教養があるわけでもない。ましてや、子供でしかも女王など聞いたことも無いのだ。こんな自分に何が出来るのだろう。だが、自分だからこそ出来ることがあるのだろう。
藍宇は、一度立ち止まると目を瞑り、大きく息を吸い、吐き出す。そして、
「うん、勉強すればいい。あたしは、あたしなりに新しいかたちの王を目指す。大丈夫、官吏も王も大して変わらないわ、ただその椅子の重みが違うだけ・・・」
大丈夫、と自分に言い聞かせるように言葉を綴ると、目を開いた。
そこには、強い決意を宿らせた、藍宇の瞳があったのだった。
「・・・すごい、ここが・・・都?」
「・・・・・・これが首都・奏風の街なのね」
貧民の集落を出てから、馬車に 揺られること半日余り。
首都・奏風への入り口である大門を通り一路王宮へと走る馬車の中から、藍宇と母・明麗は初めて見る都の景色に感嘆の声をあげた。
村では決して見ることのない、二階建て・三階建ての建物。碁盤目に通る道にそって多くの店や民家が立ち並んでいる。
通りには人の姿が多く見る。店からは、鍋を手際よく扱いながら客をよぶ調理師の姿。宿から出てくる客。仕事へ、学校へと向かうのであろう人々。誰もが生き生きとした表情をしており、ここが良い都なのだろうと推測できた。
そして、あらためて自分たち貧民との生活レベルの違いを思い知らされる。
「これが・・・藍宇の国になるのね・・・・・・」
街並みをいつまでも興味深く見続ける藍宇の傍で、明麗がぼそりとそう呟いた。
劉昇達が迎えにやってきた時とは明らかにちがうその声の調子に、藍宇は顔を上げ明麗の様子を窺った。
「母さん?」
口元に笑みを張り付かせ、恍惚とも思える表情を浮かべた顔がそこにあった。
なんだろう・・・嫌な予感がする。
そんな思いが藍宇の中を駆け巡る。自分が声をかけたのにも気付かぬ様子で、明麗は膝の上に乗せた手で、着物を握り締めていた。
もう一度声をかけようとしたその時、危ない!と言う声が外から聞こえたと同時に、突然馬車が大きく揺れ、傾いた。
「藍宇様!」
衝撃に備え体を硬くした藍宇を、同乗していた劉昇が腕の中に抱えこむ。
傾く車体に、横から何かがぶつかってきたような衝撃が加わり、そのおかげで藍宇の乗った馬車は転倒することなく、停止した。
「大丈夫でございますか!?」
「うん、平気」
「何なの?今のは」
「清卆何事だ?」
劉昇は藍宇の無事を確認すると、御者台に向かって事の原因を問いただした。
「そ・・・それが、子供が馬車の前に突然・・・・」
「子供だと?」
「それで!? その子は?その子こそ大丈夫なの?」
「藍宇様、そのような事、あなたさまが気にかける必要はございません」
「何言ってるの?人の命にかかわることじゃない! どいて!」
バッ、と御簾をあげ藍宇は馬車から飛び降りる。
自分の乗っていた馬車のすぐ横に、後ろを走っていたもう一台の馬車がその姿を歪に変形させて止まっているの視界に捕らえた。これがぶつかってくれたおかげで転倒を免れたのだ。
ぶつかった馬車に乗っていた官たちが馬車から降りて損害状況の確認をしていた。まず官が無事であったことに一安心し、すぐに路地に出来た野次馬の円へと、駆け出した。
人の波をくぐりぬけ真ん中の空間に顔を出す。そこには、おびえて縮こまった男の子と、男の子を抱きしめる母親らしき女性の姿があった。
どうやら、怪我は無さそうだ。
「あのっ、大丈夫ですか? ごめんなさい」
親子の元へ駆け寄りながらおそるおそる話しかけると、男の子の母親は立ち上がり、キッと藍宇を睨みつけると少女のようなキンキン声を出して怒鳴りだした。
「ちょっと!アンタの馬車なの? どういうつもりよ、私の息子を轢こうとするなんて。李家の者と知っての所業かしら!?・・・大体何よ?そのみすぼらしい格好は、それでよく馬車なんかに乗れたわね」
「え、あの・・・」
「ドコの子?名前は?」
「あ、藍宇です。展 藍宇」
「展? 香千楼の主人が確か展だったと思うけど、あそこに娘はいなかった筈だし・・・あんた―――」
男の子の母親が訝しそうな目で藍宇に詰め寄る。
「藍宇様!」
男の声が聞こえ、そちらに二人の目が向いた。劉昇だ。他の官たちの姿もあり、人垣が真っ二つに割れている。
ゆっくりとこちらへ向かってくる官吏の姿をみとめ、藍宇にすこし安心感が灯った。
「あんた、もしかして王宮の官吏の子かなんかなの?」
先ほどの蔑むような声とはうって変わり、男の子の母親は引きつった表情を浮かべ後ずさりながら藍宇を見ていた。
「いえ、あたしは―――」
「藍宇様、あまり時間はございません。 李家の者といったな?見たところ怪我の様子はないようだが、医師の所へ送らせよう。悪いがこちらも急いでいるので、失礼させていただく。 清卆!先頭護衛はもういい、この者たちを医師の下へ。 さ、藍宇様」
御者台に居た護衛兵の一人を呼び出すとその場を任せ、藍宇を促した。
「あの、でも」
「いいえ、私どもは大丈夫ですから!お急ぎなのでしたらどうぞ行って下さって結構です」
親子が気になり、劉昇の促しに戸惑いを露にした藍宇だったが、男の子の母親の態度の急変ぶりに更に戸惑った。
先ほどまでの高飛車な物言いから、突然の敬語。だがそれは、彼女の育ちがやはり良い事を示していた。
「劉昇、さっきの人はどうして突然態度が変わったりしたの?新しい王様だと気付いたの?」
「いえ、おそらく藍宇様を王宮仕官官吏の娘だと思われたのでしょう」
「?」
「この国の身分階級として、王やその家族が最高位なのは当然ですが、彼女たちのような平民は第三位と位置づけられています。勤めに出ている普通の家の者から、彼女の家のように事業を成功させた者もありますが、広く言えば同じ地位にあります。 そして、我らのような官吏は、第二位の地位にあるのです。つまり、彼女たちより身分が高いと言うことになります」
「それは知っているけど、でも、官吏だからこその二位でしょ? 試験で官吏になって、はじめて手に入れられる地位、そんなものじゃ、ないの?」
「確かに、そうです。ですが、実質はそうではありません。官吏の家族という立場は、かなり大きいのですよ。 そういった身分を名家の人間は特に重んじます。彼女が突然礼儀的な態度になったのも、そういった事からでしょう」
「・・・そう、なんだ」
「がっかりされましたか?」
「少しだけ・・・」
「いずれ、分かってきますよ。 さあ、もうそろそろ駿鳳宮です。ご覧になりますか?」
馬車の小窓を開き、劉昇の指し示す方をみる。
「うわぁ」
見たこともない広大豪華な建物に、藍宇が感嘆の声をあげた。外から見えているだけでも、かなりの広さの宮が4棟は見えている。見えている以外にも、まだいくつもの宮があるのだという。
藍宇から、不安以上に未知の世界への好奇心が湧き出てくる。身分の現実に改めて対面し、沈んだ表情を浮かべていた藍宇に笑顔がこぼれた。
「母さん、すごいね」
「ええ・・・あそこに住むのね・・・本当に・・・。 私の娘が、本当に・・・」
「母さん、さっきからなんか変だよ?」
「何言ってるの? もうすぐ、あれが私たちの物になるのよ?藍宇、あなたが王なのよ」
明麗の興奮を帯びた声に、そっとその顔を伺い見る。
そこには、藍宇の知っている母親の姿ではなく、己の娘に与えられた王と言う名の力に酔い始めた、女の姿があった。
「・・・母さん」