泉台国
わずか十歳であったという。
泉台国最大の繁栄をつづった『泉史記』は、そんな書き出しから始まっていた。
後に、稀代の名君と呼ばれる事となった、泉台国史上唯一無二の女王・藍王。
最下階級の出身であったと伝わる彼女の物語は、ここから始まる。
うららかな春の日、泉台国の王城・駿鳳宮では、泉王朝始まって以来、かつてないほどの異様な雰囲気が立ち込めていた。
「馬鹿な・・・」
「やり直すべきでは・・・」
各官の重臣達が、唯でさえ渋い顔をさらに困惑に満ちた表情にゆがませ、口々に囁きあっている。
ざわつく重臣達を前に、白いローブを纏った老神官は、水鏡を前に、
「やはり御神託に間違はございませぬ。何度行っても、同じ結果にございます」
「そうか、ならばそうなのであろう。ご苦労だった、シャマン殿」
神官の正面に鎮座していた壮年の男‐左大臣・楊 劉昇が、神官に労いの言葉をかけ退室を促した。
神官が退室すると同時に、劉昇に屈強な体躯の男が詰め寄った。
「左大臣!よろしいのですか!?このような事、前代未聞ですぞ!」
「良いも悪いもなかろう?わが国の神官長が出した結果だ。王の崩御より七夜後、神官長による“占”を通し、守護神・皇帝黄龍の神託に従い新王の選別を行う。それが泉台国建国以来にわたる絶対のしきたり。現に、しきたりに従い王を選んできたわが国はこの990年以上、如何なる王も国を傾けることはなく、賢帝であった。それを分かっていて、尚、異存があると申すか?」
左大臣の厳しい言に、不服の言葉を上げた男―武官長・壁 跳飛も押し黙る。
他の者達も、劉昇の厳強な言葉を聞き、それ以上の異を唱える事はなかった。
劉昇は他の者を見渡し、異存は無いな、と改めて確認をとり、
「それでは明朝、私と、三公、それに五官長の内、四官、武官長・跳飛、文官長・公鳴、地官長・衛達、天官長・玉鈴。以上の者で、新王・展 藍宇様をお迎えに上がる」
『はっ』
新王を迎えに行く。そう改めて宣言され、一同は居住まいを正し短く返答した。
劉昇は、更に次々と官吏に指示を与えていく。
左大臣は、新王が立つまで、一手に朝廷を取り仕切る任にあるのだ。
「主将軍・漢泰、王旗、及び軍旗を改める準備をさせよ」
「畏まりまして。即刻、取り掛かりましょう」
劉昇に礼をとり、漢泰は同席していた部下を引き連れ退室した。
「書記官長・芭了、触書・式典祝辞の主文をまとめよ」
「畏まりました」
「以上だ。その他の者も速やかに新王登極の準備にかかれ!」
泉台国には、事実上四つの身分階級があった。
一位階級は、王とその家族である。王が存命の間、家族は王城で暮らし、その王が亡くなると宮廷内にある宮の一つ、装宮で暮らすこととなる。
二位階級は、宮廷に仕える官吏・各県の知事達がそれにあたる。王による任命と科挙による登用制である。
三位階級は、平民。平民、と一言で言ってもその実、裕福な者からそうでない者まで様々だ。基本的に、平民の誰もが、科挙を受け宮仕えに上がる資格を有している。
そして、最下階級の貧民である。
泉台国が、かつて洪台国という名の国であった頃、厳しい身分階級に加え奴隷制度が敷かれていた。貧民は、その時代の名残りであった。
国号が泉と変わって1000年近くを迎えようかと言う今でさえ、平民よりも郊外の痩せた土地に暮らし、困難な生き方を強いられていた。
法の上では、貧民も平民もない。子どもは学校へ行き、大人は働くもの。そう定められている。
だが、平民は法に則った暮らしをしているが、貧民はそうではない。
痩せた土地を耕しても実りは僅か、まともな職に就くこともままならない。大人だけが働くのではとても生きて行けなかった。故に、子どもも関係なく働く。貧民に生まれて、まともに勉学を学べたものなど居ないであろう。当然、科挙を受ける事もできず、貧民の処遇改善を訴える者なども居ようはずもなかった。
国府は我らが居る事すら知らない。それが貧民階級の口癖だった。