8話 ルーレシア・ケリュネイア
「どうされましたか?」
中に入って早々にそんな言葉を投げかけられた。中は洞窟になっており、水滴がぴちゃぴちゃと音を鳴らす。進む道は一本道しか無いようだ。
目の前には先ほどの少女がいる。鹿の角を頭から生やし、透き通る青の瞳。ブラウンの髪。別種のあまりにも美しい少女を目の当たりにして俺は思わず息を呑んだ。
なんて神秘的な人なんだ。
人はどうして彼らの生活を脅かす。何故奪う。
見ればわかる。彼らは穏やかな生物だ。奴隷の地位に身を置きながらこんなにも美しい振る舞いが出来る。
心が清らかな証拠だ。
そんな少女は今、恐怖を胸に俺の前にいる。
多分俺がついてきた事もわかっていたのだろう。
少女がわからないのはきっと、俺がついてきた理由だ。
彼女は優しいから、まだ人間を信じたいんだと思う。
「どうしてついてきたんですか」
俺が黙り込んでいると、一層に不安感を強めて少女は聞いてきた。
少女の置かれている状況からすれば、当然の反応だ。
誰だって奴隷の身分でその上逃げ出してしまったら神経質にもなるだろう。
どう伝えよう。怖がらせないでどう伝えればいい。
あぁ、まどろっこしいのはやめだ。
「盗賊を追い払ってくださった事はお礼申し上げます。しかし、奴隷に肩入れするのは危険です。それにもし、私を狙っているのでしたら、傷薬の件で見逃して……?きゃっ」
俺は話している途中の彼女に足早に近づいて手首を手に取ってズンズント洞窟の中を進んだ。
「信じさせてやろうじゃないか。世の中悪い人間ばかりじゃないって事を教えてあげるよ」
何やら女の子の前で俺は恥ずかしい言葉を口にしてしまっているのではないだろうか。
思わず赤くなる耳を片方だけ隠すと、後ろで少女がクスッと笑った。
そして、彼女はもう片方の手で俺の手を掴んだ。
「待ってください」
「?」
俺は制止に従った。
不思議そうに彼女を見ると、そこには不安そうな顔はなく優しげなひょうじょうがあった。
「すみません。おでこに触れさせてください」
「うん」
俺は手で触るんだろうなと、思っていた。
しかし、違った。彼女は突然に顔を近づけて来たのだ。
思わず目を瞑ってしまう。
一拍の間を置いてひんやりとした感触がデコに伝わる。
同時に俺の体温と心拍数が上がっていく。
息が顔にかかる。本当に緊張する。心臓が爆発しそうだ。
しかも何だかいいにおいがするし、というかいつまで続くんだろうか。
ドキドキし過ぎて焦りすぎた時、少女はそっとおでこを話した。
その瞬間に何だか寂しくなる。ヤバい。俺面倒くさい。
自分の新たな一面を発見しつつ俺は彼女の次の言葉を待った。
「冒険が好きなんですか?」
「うん好きだよ」
「聞かせてくれませんか?もしかしたら、今の迷いがなくなるかもしれません」
「まかせて。丁度誰かに話したくてウズウズしてたんだ」
何を言われるのかなと、緊張していた。
最悪消えろと言われる覚悟もしていた。
でも彼女は、俺を知ろうと努力し、信用しようとしてくれている。
正直に言えば、俺が先ほどまで経験していた冒険の記憶は明かしたくない。
目立つからである。
しかし、こんな境遇でその上情けまでかけてもらっておいて断れるだろうか。
いや、無理だ。そんな事は俺には無理だった。
俺は少しずつ話し始めた。
俺が経験した冒険の話を。
…………。
これで終わりだった。
正直長い話にはならない。俺が経験したのは一種類の宮殿を一回きり。
その上、本来なら何ヶ月もかけて攻略する宮殿を俺は一日以内に攻略している。
運が良すぎるんだ。
信じられなくとも、スキルを見せれば一発でわかるだろう。
「凄いですね。あの蒼穹をですか。うーん。いえ、もちろん信じます」
少女は難しい顔をしていた。
無理もない。それくらいの難易度で俺のレベルは低いのだから。
「ははっ。そうだね。信じられなくても無理はないよ」
俺は笑ったが、彼女は視線を移して固まった。
「その甲剣は……」
「蒼穹でのドロップ品だよ」
「そんなものどうやって……」
やっぱり疑問に思うよね。
でも彼女がわからないのは当然だ。
俺が説いた仕組みの事まではさすがに教えてないからだ。
こんな情報は冒険者にしかわからないし、持ってたところで意味はない。
「ごめん。それには、ある方法があったんだ。でもそれを教えるには料金が発生するよ」
俺はニヤリと笑う。
これで引き下がってくれるだろう。
俺の言葉を聞くと少女はムッとした顔をして手を宙にかざした。
アイテムでも取り出すのだろうか?
彼女が傷薬を持っていたのは実は不思議な事ではない。
所持品は魔法を理解できる者なら誰でも扱える初級の異空間魔法。
そして、本人にしか扱う事が許されない事から絶対不可侵魔法とも言われている。
彼女は魔法陣を浮かべると、手を俺の方に向けた。
「ケリュネイアの法具を異界の呪縛から解き放ちたまえ。我が求めるは一時の守護。汝に与えるは全てを貫く業火の剣と業火の鎧」
刹那。俺の手元が光に包まれた。驚きに言葉を失う。
そんな俺の目に移ったのは現れたのは、動きやすそうなマント付きの軽鎧と焔を纏う剣。
どちらも見ただけで焼き尽くされそうな真紅だった。
俺は思わず彼女を見る。
「これは?」
「送り届けて頂くお礼と、情報への料金です。弟が冒険者を目指しているものですから」
なーるほど。悪い取引ではない。
俺は直ぐに鎧と剣を所持品に加えると、装備する。
ヤバい。力のみなぎり具合が半端じゃない。
悪くないどころじゃない。とんでもない交渉だった。
彼女は何者なのだろう。不意にそんな疑問が浮かぶが、口には出さなかった。
「いいでしょう。今も夢見ている後輩冒険者の為にも一肌脱ぎましょうかね」
「いやん」
俺の言葉に反応してか、少女は体を隠した。
「いや、それは言わない」
「そうですか」
互いに苦笑した。
宮殿の仕掛けの話は直ぐに終わった。
どうやら先ほどよりも反応がいい。気に入って頂けたのだろうか。
あと、大事な事がある。俺はそれを忘れずに付け加えた。
「俺の時はこんなだったけど、常にそれが当てはまるわけじゃない。宮殿は気紛れなんだ。ちなみにこれは父の受け売りね」
少女はこくこくと頷いた。
「へぇー冒険者さんは頭がいいのですね」
うっ、ヤバい。目がキラキラしている。
俺がした事と言えばぶっちゃけズルッこくて汚いんだけど……うぅ何て眩しい笑顔。
「そんな事はないよ」
ここは謙遜が吉だろう。
そういえばクリアはしたが結構汚いよな。
ユミルもぶち切れていたし。まぁ、真っ向から挑んでたら今ここにいないんですけどね。
はははっ。
俺が遠い目をしていると、少女は身を乗り出して来た。
「そんな事はありません!冒険に手段何て選べないと聞きます。ましてや伝説クラスの蒼穹。私は冒険者さんの判断は聡明で正しくあると、そう感じます!」
「少女ちゃん。……ありがとう」
ヤバい。目頭が熱い。
何ていい子なんだ。こんな子が奴隷なんて間違ってる。
これは何としても助けないと。
俺が新たなる決意を胸に抱いていると、目の前の少女はクスッと笑った。
「少女ちゃんっておかしいです。そう言えば自己紹介がまだでしたね。私の名前はルーレシア、ルーレシア・ネリュネイアと申します」
ルーレシア・ケリュネイア。
……はて。ケリュネイア。
確か、あの一族には王がいて。その王のファミリーネームは一族の名を冠していると聞いた。
あれ?
「マジですか?」
「はい。マジです」
どうやら俺はとんでもない人の護衛についているようです。
俺が呆然としていると、ルーレシアは俺の前で手を振った。
「おーい。貴方の名前を教えてください?」
くそう。一国の姫様ってだけでも緊張するのに首なんかを傾げられたら可愛すぎて更に緊張してしまう。
でも無反応なんて絶対出来ない。俺は片言のようにぎこちなくなりながら言った。
「アロンです。アロン・グラシアス」
俺の言葉を聞くと、少女は一度目を見開くと、ふんわりとほほ笑んだ。
「はい。では、エスコートをお願いしますね。皇子兼ケリュネイアの騎士様」
ルーネシアがおかしそうに何かを言っている。
俺はそれを聞き流しながら、今はとりあえず平常心に戻す事だけを心がけた。
「ふふっ。動揺する立場の方ではないと思うんですけどね。やっぱりお父様の言う通り。グラシアスの人はいい人ですね。奴隷制度を廃止した唯一の国なんですから」
俺は女の子に手を引かれながら、二、三分葛藤を続けた。