教官 1
7月14日、日曜日。
現在、約4時頃。日が登ったばかりの朝方。夏だからだろうか。早朝なのに、もう日差しが痛いくらい暑い。
そんな街『ギベール』。都市とサフランの間にある街。鮮やかな花々の名産地で、有名な街だ。
その街の端にある『時空管理特別警備署』。又は『TMSG署』と呼ばれる。背の高い漆黒のビル。淡い色合いの多い街の中、その建物はよく目立つ。
その建物の中、とある会議室。
会議室にしては、珍しい小さな会議室内。まぁ小さいと言っても、普通に暮らせそうな広い部屋。
そんな質素な白い部屋に、差し込む朝の光。窓から光が入ってきて、円形テーブルに反射する。
眩しい光が、書類にサインしていた女性の瞳に直撃した。目をつぶり、深いため息。
その次の瞬間、カッと目を見開いた。
「仕事が、終わらねぇーーーーっっ!!」
ミカエルは絶叫と共に、手に持っていた資料を宙に放り投げる。あっという間に、木の床が資料の白色で埋まってしまう。
「なんだかな…」
ハァと、溜め息を1つ。自身の小麦色の腕で、前髪をかきあげる。
漆黒の長髪で、髪と同じ色の瞳を持つ女性。教官になったばかりの、ミカエル・サン・スフィア。
「ったく、誰か手伝えや」
自分以外の誰もいない部屋に、愚痴をこぼした。
切れ長な瞳で、周りを睨む。円形テーブルと椅子には資料の山。端っこにあるソファーにも、資料の山。しかも、コレ全て自分が片付けなければならない。
…しなきゃいけない。分かってる。分かってるんだが、こんな多量の仕事は1人じゃムリだ。
まぁ…幸いにも仕事にケチつける人が、誰もいないがせめてもの救いだろう。
ココにいるのは、自分だけ。自分だけなら、なんとかなるだろう…きっと。
…そのせいで公共の建物が、私物化してるんだけど。おかげで、ゆっくりと仕事が出来るから、いっか。
それが、今の有り様だ。
「こっちは、1週間もここから出てないんだぞっ!?いい加減、コレくらいで休ませろやっ!頭の悪い上層部共がっ!!」
なんて、仲間の教官(上層部)に向かって絶対言えない。じゃないと、せっかく登りつめた地位が下がってしまうかも知れないから。なので、ココで愚痴をこぼす。情けない事に、教官になってからの習慣だ。
教官として、働くようになって早1年。教官と働いていると、室内にいる事が多い。
こんな肩こって目が痛い…だけでなく、精神的のおもーーい作業もあると、知っていたなら……まだ暴れまくりの警護士時代の方が良かった。
「やっぱり、ここイヤだー…」
沢山の愚痴を吐くが、それでも出てくる本音。ここは1つ。親友でも呼んで、カラオケでもしたいなぁ。
そんな時。ドアの向こう側から、気配を感じた。一気に、背筋が寒くなる。間違いない、誰かいるっ!全身の神経を研ぎ澄ませて、叫んだ。
「誰だっ!!」
鋭い叱咤が、響き渡る。椅子から飛び出し、サッと身構える。その格好は、まるでプロレスごっこの構え方と同じだ。
程なくし、目の前ドアが開かれて。見覚えのある1人の少女が、部屋に入ってくる。白味を帯びた黄金色…淡黄金色の長髪、血のような美しい赤い瞳。
身体が華奢だ。とても、細い。細過ぎる。多分、同年代の子よりも、幼く見える。
髪色と良い、綺麗すぎる整った顔と良い、物凄く美人の娘。
彼女が美人なのは、それは神々の血を引く子孫…レーシェだからだろう。
「…室内に、敵なんていませんよ。
それに、常に危険を担う警護士ではないんですから、そんなに反応しないで下さい」
呆れ声のユミィ。唯一無二の親友の部下で、私の後輩でもある少女。
スタスタと、円卓テーブル前までやってきた。
今さっきまで遠くて見えなかったが、近くで見ると、目元にウッスラと青いクマがあった。色が透き通る程白いせいか、なおさら、よく見える。
ファンデーションで隠したらしい。だが、あまりにもクマが濃いせいか…上手く消せていない。よほど、疲れてるのだろう。
本人は隠したハズだろうが、ソレは返って逆に目立っていた。
「ごめん、癖でつい…」
目を細めながら、笑うミカエル。
体勢を元に戻し、ポリポリと頭を掻く。こうすると、自身の髪が痛むのだが…別にいいや。…とりあえず、ミカエルは爽やかな笑顔と共に、話を変えてみた。
「そうだ、ユミィ。お前、青いクマあるぞ」
「嘘だぁ。話を変えないで下さい、ミカエル教官」
鋭くなった目つきを無視して、もう1度言ってみる。
「嫌、本当に青いクマあるぞ。仕事休んだら?」
諦めたように、ため息をつくユミィ。目を背け、プイとそっぽをむいた。
「良いですよ。辛くても、望んで就いた職業だから、大丈夫です。我慢出来ます」
ぶっきらぼうに言う彼女。こんなに可愛いのに、変な所が頑固なのは何故だろう。
…なんか、どことなく親友に似てる。うむ、何かアイツに似たな。
苦笑とともに、呟いてみる。
「少しは休めや」
「本当に、大丈夫です。やらなきゃいけない事が沢山あるじゃないですか。
ミカエル先輩の手伝いして来いと、言われました」
はて?それを頼んだのは、誰だろう。
そもそも、ユミィに仕事なんて有ったもんかな。と、投げ出した資料を、数枚拾い上げる。
…あっても、休めば良いのに。
円卓テーブル越しに、その資料を彼女に渡す。
「すまんすまん、仕事あったわ。本当にすまん、コレだわ」
渡された資料を、1通り読み込むユミィ。この子は何で、ここまでして仕事を頑張るんだろうか。
「話変わるけど。ユミィ、誰に仕事があるって聞いたの?
あなた達1115回生は、私の指導しか聞けない。そのあなたが、どうして他の人から指導されてるの?」
一般に候補生から警護士までは、指導する教官から命令が下る。まぁ学校で言う先生が、生徒に注意しながら、生徒を育てて行く事と同じ事。
「1109回生のジャスミンさんです。
元第3師部隊の1員。貴女を支える副部長だった人。ジャスミンさんが、先輩が大変だろうからって。仕事じゃなくても、手伝ってあげてって。そう言ったから」
…あぁ、なるほど。合点した。
ジャスミンの店に行ったんだな。
ツゥと、目を細めた。
元副部長…元TMSGの隊員の地位なら、在校生に注意するのは当たり前だ。それに、教官の私が知らなくて当然だ。だって、私はもう、幹部でも隊員でも無いんだからな。
「ジャスミン、元気だった?」
「はい。まだ、ケガの事で怒っていましたけど」
「…そうか」
低い声。思ったより、感情の入った声。
「もっと早く助けてほしかったって、言ってました。
…ミカエルさん、心配なら行ってあげたらどうですか?貴女の元部下だったんだから」
「嫌、私にはやるべき事がある。だから、行かない。それに、あの子は私を恨んでいるだろう。これからも、ずっとだろう」
一瞬だけ垣間見えた、ユミィの悲しそうな顔。見間違えかもしれない。だけど、私にはそう見えた。
「本当にそうだとは、思いません。ジャスミンさんの怒りと悲しみの原因は、かつての教官の上層部のいい加減な判断のせい。
それに、その時は、まだ警護士だったじゃないですか。元第3師部部隊長、ミカエル先輩。
責任を感じ後悔するのは、確かに良い事かも知れない。
でも、何でもかんでも自分のせいにするのも良くないと思います」
何も言えず、ただ頷くミカエル。参ったなぁ、後輩に言われるようになってしまった。己の落ち度に、意味もなく笑えてきたミカエルだった。
そんな時。
白いウサギのような不思議な生物が、姿を現した。ユミィ肩の乗っかって、コチラを見てくるソレ。
『おふぁよう』
その雪のように白いソレが、声を上げる。伏せがちの瞳、眠たそうな声、呂律の回らない口調。人が目を擦るよな仕草と言い…絶対コレ、寝てたな。生物に対して、わざと大声で話してみる。
「久しぶり、ソフラ。よく寝てたみたいだな」
ソレに向かって、軽く手を振ってみる。しばらくボーとしてるソフラ。白い不思議な生物だ。
やっと気づいたのか、伏せがちだった目をカッと見開いた。汚れがない、澄んだ翡翠色の瞳。大きい目。
『ミカエルだ!久しぶりっ!!』
本当に嬉しそうな笑顔に、ワントーン高くなる少年声。幼い子供のような反応。
私は、ソフラのこういう所が好きだ。口元を微笑を浮かべ、そっと頷いた。
滅多に見せない、優しそうな母親のような笑顔。それを見て、ユミィは唖然とした。
だって、その笑顔がとても綺麗だったから。
珍しい光景を、見とれてた。
束の間に、『教官』としての顔に戻ってしまった。引き締まった真剣な顔へ。
残念そうな顔するユミィ。
そんな状況の分かっていないソフラが、首を傾げる。ユミィの持っていた紙を見つめた。
『あれ?もう、任務なの?』
「そうだよ。ほら」
そう言って、持っていた資料を見せるユミィ。しばらく、紙を読んで深呼吸する白いウサギに似た生物。
『今回、この近くだね。早く終わりそう』
資料を見て、納得するように頷くソフラ。
「どうだかな。ひょとしたら、変な奴らに会うかもよ。たとえば、幽霊とか」
ニヤニヤと、さっきまでのまた違った悪戯ぽっい笑み。それに対しソフラは、プゥと頬を膨らませる。
『怖くないよ』
今にも怒りそうなソフラを宥めて、ユミィは苦笑する。
「まぁ、でも。大がかりの仕事じゃないし、大丈夫ですよ」
「そっか、そうだな。今回、荷物集めだぞ」
愉快そうに笑うミカエル。シルベット先輩と同じ、底無し明るい笑顔。
「はい」
「後、目の下のクマ直せよ」
ユミィを指差しし、意地悪く笑うミカエル。何も言えず苦笑するユミィ。意地悪そうな笑顔より、普通の笑顔の方が良い。
「言わなくて、良いです」
そこでやっと、恥ずかしそうに顔を手で覆う。
「それじゃ、もう行きます」
『行こう!早く終わらせよう』
「おう!行ってらっしゃい」
楽しそうなソフラとミカエルの声。
『行ってきまーす!!』
「行ってきます」
大小と2つの返事。どちらもそれなりに弾んだ声。足早々、部屋を出て行く彼ら。