センニチコウ
私にしては長く書けた!とは思ってます。
描写、頑張りましたww
改訂しました^^
僕は無知だった。
どこに居たって『自由』なんて存在しなかったし、『愛情』なんてもってのほか。
そう、ずっと信じ続けていた。
「差江島俊樹、ちょっと職員室まで来い」
騒がしかった教室に鋭い声が響いた。声の主は、一般生徒なら廊下ですれ違うか朝礼の際に壇上で見上げるぐらいでしか会う機会がない厳しいと有名な生徒指導の教員だ。残念なことに差江島俊樹である僕はもう何度も不良生徒として呼び出しを喰らい、もはや見慣れた存在であった。
最近では叱ることに疲れたのか、からかい混じりの叱責と軽く世間話をする仲になっている。彼に愚痴など吐かれるときなど最高に特別な気持ちがして嬉しく思うのだが、そんな彼が珍しく引き締まった顔つきで僕のことを呼んでいた。いったい何事なのだろうか。
特にそこまで悪事を働いた覚えはないが。
クラスメイトの呆れた顔に見送られながら彼と一緒に職員室に向かう。
道中何事だと問いかけたが、何かを言いかけて止めた彼の瞳には奇妙な色が浮かんでいた。
それから着くまでは、僕はもう何も問いかけることが出来なかった。それをしてしまったら何かいけない真実が出てくるのではないか、と恐れてしまったのだ。
しかし、この時僕は何も知らなかった。真実なんてものは後回しにしても先にしても、結局変わらないと云うことを。
宿題を忘れたとフザケながら友達に土下座して移させてもらっている間に、何があったか僕に分かるはずがなかった。
僕に何か出来たとは思わない。
馬鹿でアホで能天気でふざけててばかりの、ひたすら読書ばかりしている無口なクラスメイトをからかう等していたあの頃の僕に、何か出来たはずがない。
母が死んだ。
母とは、いったい何だったのだろうか。
僕と母の関係は決して良好とは言えないものだった。母は男尊女卑、亭主関白、そんなものを重んじる人だった。
古い考えを持つ母が、嫌だった。家に帰れば母がいる。専業主婦だった母は何時も家にいた。そんな日常が当たり前だった。父といえば、いつも6時ごろには仕事に行き、帰ってくるのは11時だった。送り出し・出迎えは義務だった。それが我が家のルールだった。
朝、父を送り出しすでに出来ているお弁当を持って徒歩で40分かけて学校を行く。自転車なんてものは俗っぽくて男が乗るものじゃない、それが母の考えだった。
亭主関白など言っているが、結局は母がしたいようにし、勝手に尽くしているだけだった。
しかし、父は黙って母に従った。そんな母を愛してたのかもしれないし、面倒になるのがいやだっただけかもしれない。
だけど僕は、そんな父が子供の頃は秘かに憧れだった。しかし、小学校高学年・中学と来るといつの間にか会話はなくなってった。
家での思い出は偽られた愛、そんなものだろうか。家の中は全て、母に支配されていた。
そんな母が死んだ。
この事態を僕は、どう受け止めたらよかったんだろうか!
泣けと、泣けというのか?この僕に泣けと?
葬式の日だって泣かなかった。いや、泣けなかった。泣けるわけがない。家族との生活は、もはや母との生活といっていい。すべてが虚構で埋め尽くされていた。縛り付けられた借り物の笑顔、愛想だけの近所づきあい。
父が大泣きしているのを見て、思わず引いたよ。
そういえば、母と父が学生結婚というのを思い出した。
これからの父との生活が思いやられた。
母のことなんて、どうでも良かった。
僕は僕の平凡な生活を過したかった。何がなんとしても。それを『母の死』ごときが崩すとは思いもしなかったよ。
在り得ない、死んでもなお!僕の生活に干渉してくるのか。
母の訃報がすでに噂になっていたのか、教室に入った僕を待っていたのはクラスメイトの同情の目だった。中には『それ、バチが当たったんだ』とでもいうようなあざ笑いの表情をしたやつも。
僕は精一杯の、平凡な生活を過すための、ニセモノの笑顔を作って入ったというのに。
教師さえも僕の笑顔に一瞬固まったかと思うと、次の瞬間には憐憫の表情を灯していた。僕は、僕は何も傷ついちゃなんかいないのに。
この学校で唯一とも言えるほど気を許していた、生活指導の教員でさえ上辺だけの訃報を悼む挨拶をしてくる。
なんで?なんで貴方さえもそんな事を言うんだ!?
結局その日は今にも家に――以前はあんなにも帰りたくなかった家に――帰りたかったが、嘘でも回りに労られたくなかったので意地で最後までいた。授業が終わると、コレもまたすぐに帰って『母親が亡くなられたばかりだから』と配慮されたくなかったのでゆっくり何時もより10分長くかけて家路に着いた。
その夜は、布団の中に包り嗚咽を堪えながら泣いては寝、泣いては寝を繰り返していた。帰宅した父が、珍しく僕の部屋を訪ねて包まっている僕のそばに腰掛け、やけに父親らしく半分だけ出た頭を撫でてくれたのを覚えている。これは夢なんじゃないかと願った――本当はそんな夢を見る僕自体も嫌だと思ったが――が、すべては翌日の送り出しの際の『目は腫れてないな』という父の言動から現実だったことが判明した。
自分でも、自意識過剰かもしれないと思う。
未だに嫌いだった母が、長年続けてきた5時の送り出しをやっていることからも分かるが、それほどまでに平凡な生活にこだわりを持っていた。
平凡じゃない生活の全てに、ウンザリしていた。
平凡な生活を作っていた母が、平凡な生活を崩れさせた母が、もう存在しないんだということにもウンザリしていた。
母が、戻ってきてくれたらいいのに。こんなにも心底母のことを考えたのは初めてかもしれない。
そんな鬱々としていた僕にもついには転機が訪れた。
父の転勤に乗じて僕も転校することになったのだ。母の死後、一時期は喋っていた父とも今はほとんど会話はない。
クラスからの僕への対応は死後まもなくとほとんど変わらなかった。
ナゼ?傷ついたふりをしたらよかったの?あんなにも僕は頑張ったのに。偽りの笑顔により磨きをかけて。
転校まで、平凡な日常に戻ることはなかった。転校の発表をしたときも『あぁ、あれがあったもんな』そんなみんなの思いが浮かんで一層僕は苛立った。
転校後、僕は正反対な僕になっていた。
賢く平等で神経質で重箱の隅をつつくような、ひたすら授業中寝てばかりのクラスのムードメーカーと言われるようなヤツを馬鹿にするような僕になっていた。
放課後は図書室で勉強した。殺風景で仏壇がポツリとあるような家に帰りたくなかったのだ。
帰宅後も夜中まで勉強した。平凡な生活を支えてくれた母の存在を忘れて早くも再婚話を出してる父と顔を合わせたくなかったのだ。
そのせいか視力がかなり落ちたので眼鏡をかけた。
ますます陰気になっていった。
それでも、やっと平凡な日常を取り戻しかけたことが僕の心を満たしていった。
ある日、夢を見た。
母と遊んでいる夢だった。まだ僕は小さくて、小さくて。無邪気に偽りのない笑みを母に向けて浮かべていた。こんなときもあったのか、今のままでは感覚的に堕ちていく気がしていたのでなんとなくホッとした。
幾分若い母は、真っ赤な花を抱えて言っていた。
『センニチコウよ、母さんの大好きな花』
ぎゅっと幼い僕は、花束を凝視した。今度見つけたら母にプレゼントしようという健気な心で。
突然、ポタリと花束から地面に深紅のシズクが落ちていった。ポタリ、ポタリ、ポツポツポツ。どんどん深紅のシミは拡がっていって。ついには僕も飲み込まれてしまった。
その後、僕は母の墓にその花をお供えした。
平凡な生活を壊しはしたが、つくり支えてくれた母だ。
そんな中学時代を果て、晴れて全寮制で進学校に奨学金つきで入学することが出来た。
これもすべて根暗になった恩恵と言うところか。
やっと父からも母からも、全てから解放される。そう思った。
転校してからの友達などいない。
昔はクラスメイトになったらはもう友達だ、とかほざいていたが今ではそんな事は微塵も思わない。
転校先でも噂がまわっていたのか父が言ってしまったのか、似た様なものだったので更にうんざりした。
あいつらは、結局何も分かっていないのだ。
そう、なにも分かっていない。
しかしそんな生活も終わりを告げた。
自由になれる。
荷造りをするのは、楽しかった。
過去のものを全て捨てていく。いらないもの、いらないもの、いらないもの。
途中で父がなにやら言いたげに近くをうろついていたが関係ない。
もはや、僕のと父の縁は切れるのだから……
待ちに待った入学式はいたって普通のものだった。
僕の心が躍りすぎていたのか、少しの落胆と新たな生活への喜びが交じり合いなんとも言えない気分になってしまった。
同級生となる人たちは皆賢そうだった。
やがて終わり、教室に戻ってから流れ解散になっていた僕等は教室に新入生らしく並んで言っていたが、僕は行く途中であるモノが目に付いてしまった。
広大な、花畑だった。遠目では分からないが、この前、奇妙な夢に出た母の花に似ている気もする。いったい何の花だろうか。
今まで経験したことのないほど広い学校だったので、何があるのかとは疑問は持っていたがこんなものがドデンと存在しているとは。
まもなくして教室に着いた。
担任らしき先生が義務的な説明を笑顔を保ちつつ淡々としていく。10分ぐらいで終わった。僕には担任教師の笑顔がどうしても胡散臭くしか感じられなかった。僕だけなのだろうか。
さて、昨日から入っている寮に帰ってまだ終えていなかった荷解きでもしようかと席を立つと、教室の外の廊下には各々の保護者らしき人物がズラッと並んでいて、皆一様にガタッと椅子を引きそこへ向かう。
僕の親は勿論来ていない。
案内すら渡していなかったはずが、家を立つ朝、ご飯を食べる食卓を見ると朝食とともにメモが置いてあった。
父はこの頃5時ぐらいに家を出る。帰ってくるのも0時過ぎごろだ。労働基本法に反しているのではないかと時々思うが、なんにせよ父のことだと思い深く気にしたことはない。
『入学式は仕事があるから無理かもしれない 父より』
時間を見れば、まだ12時前だった。
今日一日はゆっくり過そう。
どうせなら気になっていた花畑でも、と、足は真っ直ぐに深紅に燃ゆるそれの方向に向かっていた。
癒される。なんて癒される時間なのだろうか。こんな日々がここでは毎日続くのだ。
これこそが、僕は望んでいた平凡な日々、なのかもしれない。
ここに来て心底良かったと感じた。
とすると、なにやら慌ただしい足音が体育館のほうから響いてきた。
今僕がいるのは体育館から教室に向かう花畑に面した渡り廊下だ。渡り廊下の屋根で陰になっている場所のコンクリの上に腰掛けていた。
「俊彦……」
上体を倒して覗き見えたのは、僕の父だった。煩い足音の持ち主は父だったのだ。
外回り用のスーツの上着を腕に抱えた僕の父は、汗びっしょりでなんとも笑える、例に言うとどこぞの汗をネタにするお笑い芸人よりも笑える格好をしていた。どれほどの距離を走ってきたのだろうか。
今は桜もまだ八分咲きの季節だ。どのように来たらそんなに汗だくになるのだろうか。
怪訝に見つめると、久しく視線を合わせてなかったからのか見慣れないクマを作ったげっそりやせた顔。
その理由が――またもや自意識過剰なせいなのか――思い当たったとき不覚にも、僕の胸はキュンとしてしまった。
もしかしたら担任も緊張しつつも笑顔だけは保とうと一生懸命だったのかもしれない。
彼の背後にそびえる花畑がやけに似合っていて、今まで見ていた父はなんだったのだろうか。
まるで、顔は死人のようでも雰囲気は太陽神のようではないか。
そのとき、鮮明に母の夢を思い出した。
バックに拡がる花は『センニチコウ』だ。
あぁ、なんてことだろう。母と父が恋愛結婚だということがまるで目に浮かんできてしまった。
『変わらない愛』
母に供えるために買いに言ったとき、恋人にあげると勘違いした店員から聞いたセンニチコウの花言葉だった。
父もまた、母にプレゼントしたのかもしれない。幼き僕が考えたように。
あとで聞いたのだが、大きく拡がる花畑の正体は理事長の趣味だそうだ。
寮に入っても、保護者の愛情を忘れないように、との理事長の思いがこもっているらしい。
なるほどなと思ったからには、僕の負けはすでに決定している様な気がした。
思えば僕が平凡を求めだしたのは、父が家を出るのが早くなって帰宅するのが遅くなった小学校高学年ぐらいからだろうか。
言わずと、父と母がそろっている幸せな平凡な生活を求めていたのかもしれない。
お目汚し申し訳ございませんでした。