ゴーグル6:ゴーグル君シールを集める
将来の不安はそれはそれで有るのだが、実際には直近に差し迫った厄介事に心を砕くのが人間というものだ。まあ、将来のことにも全く無関係というわけでもないし。
簡単に言ってしまうと、期末試験まで一週間を切った。これが終われば夏休み、という餌をチラつかせて、学生のモチベーションを何とか維持させようという浅ましい知恵を最初に働かせたのは誰だろうか……
「ああ、またダブリだよ」
ゴーグル君が僕の手元を見て、不満げな声を出す。ちなみにダブリと言っても留年の話ではない。
「ねえ、ゴーグル君、僕たちこんなことしてていいのかな」
「え? なんだい。君が誘ったんじゃないか」
そうなんだけど、と曖昧に返事しながら、次のパッケージも破く。またダブった。
シールにつられた子供から金銭を搾取するシステムを最初に考えたのはどこの人でなしなんだろう。そしてダブった時の補償がないのは何故なんだろう。これで僕たちの手元には六枚のガッカリマンシール。そのうちの三枚が、シオフキマンの横顔が描かれたものだ。完全にアへ顔なんだが、少しも欲情を誘われない。だってマンってことは男だから。
「どうでもいいけど、このファルセット君みたいなのばっかり出るのはどうにかならないのかい?」
言われてみれば例のコンクールで歌っていた彼も、こういう顔をしていた気がする。
「こんなのインチキだよ。詐欺だよ。きっと半分以上コルセット君が入っているんだ」
店の人に言おうと、ゴーグル君が手の中で喚き始めた。
「そのコルセット君ですら、塾に通って成績を上げてやろうと、獰猛なサルのように必死になっているのに、僕たちはこんなところで彼の絶頂シーンばかりを集めてて、本当に良いんだろうか」
「だから、誘ったのは君じゃないか」
「うん、そうなんだけど…… やっぱり帰ろうか」
「えー。せめて違うシールが出るまでは買おうよ。悔しいよ」
僕もまあ心情的には同じである。それから何度か買っては開けるを繰り返した。
結局、シオフキマンのシールを八枚得て、家路を辿る。
今ではもう随分珍しくなった、昔ながらの駄菓子屋を後にすると、既に太陽は天高く昇りきっており、アスファルトの向こうで陽炎も揺らめいていた。
「ファックとしか言いようがないよね。二度と買わない」
「うん。でもこのウエハースどうしようか?」
食べきれず僕のポケットに幾つか入っている。
「今から販売元の本社に行って、外壁に叩きつけよう」
ゴーグル君は随分とお冠らしい。
「チョコレートだからね。きっとウンコを叩きつけたみたいになるよ」
バニラとチョコの二種類の味があったが、駄菓子屋ではチョコ味しかなかった。
「まあ、僕としても販売元に対しては穏やかではないけど、でも食べ物を粗末にするのは駄目だよ」
「……それも、そうか」
というか、ゴーグル君が食べられたなら、持って帰る必要もないんだが、まあそれは言っても仕方ない。
「そうだ! うちの姉ちゃんにやろう」
「え? でも迷惑じゃないかい? 帰る頃にはデロッデロになっているよ?」
「大丈夫だよ。甘いものなら何でも食べるよ」
ゴーグル君は安請け合いするが、大丈夫なんだろうか。こういった類のお菓子は、食玩の方が本体で、お菓子はオマケ。つまり一つ二つ食ったらもういいかなという気持ちになる。まあ有体に言えば不味い。しかもこれから一キロ近く歩き、その間炎天下に晒され続け、中身が溶けきったものになるだろう。はっきり言って人にやるような物ではない。
お姉さんだってテスト前である。そこへ弟と遊んできたその級友が、よくわからないがシールを抜き取ったガッカリマンウエハースをくれる。開けてみると中身が溶けきってアホのように不味い…… やっぱり駄目だ。嫌がらせの域だ。
「折角だけど、僕が持って帰って処分するよ」
「そうかい?」
頷いてうだる炎天下を進んだ。
ひょっとすると大量のシオフキマンも、ドロドロのウエハースも天罰なのかもしれない。遊んでないで勉強をしろということなんだろう。
ゴーグル君の家に辿り着いた頃には、汗を吸ったシャツが肌に張り付いて気色悪かった。顔とかに汗の塩分が固まってシオフキマンのようになっていないか心配だ。
ゴーグル君の勧めで、厚かましいが彼の家で少し涼ませてもらうことにした。一階にはおばさんが居た。挨拶をすると、後で麦茶を持っていくからと言われて、恐縮した。本当に少し涼を取らせえて貰うだけのつもりだったのだが。
ゴーグル君の部屋で二人、座布団に腰を落ち着かせた。
「そういえば、ゴーグル君はテストの方はどうなんだい?」
「ああ、中間のは見せてなかったっけ? 概ね大丈夫だよ」
彼の答案は…… と言っても彼が答えた内容を教師が文字にして、それを自分で採点するという何だか虚しい形なのだが、とにかくそれらは教師の配慮で、直接彼の鞄の中にしまわれた。ファルセットが勝手に覗こうとして、危うく冥府に叩き込まれそうになっていたからよく覚えている。僕も鏑木先生を恐れたわけでもなく、勝手に見るようなことは勿論しなかった。言えば見せてくれたかもしれないが何となく言いそびれて、それっきりになっていた。
「大丈夫って、具体的にはどれくらい?」
「ふふふ。廊下に上位成績者が貼り出される制度があったなら、僕も載っていただろうさ」
ほう、それはすごい。しかし意外と言うべきなのか、どうなのか。でもお姉さんが優秀なのだから、弟のゴーグル君も勉強は得意なのかもしれない。お姉さんを比較対象にしていいのかは僕にはわからないけど。生物学的な見地から。
「御崎君はどうなんだい?」
「ううん。僕はまあボチボチ。平均より少し上くらいかな」
「なんだ、ホラー映画の第一犠牲者のように帰ろう帰ろうと繰り返していたから、どれほど酷いのかと思えば、赤点スレスレとかではないんだね。じゃあ遊んでいても平気じゃないかい?」
それはまあ、そうなのかもしれないけど。少なくとももう少し頑張れることだって出来るのに、という思いもある。もう少し頑張れるのを頑張らないから、僕はこの位置なのかもしれないけど。
「しかし、何かコツとかあるのかい?」
「勉強の?」
「うん。あれば是非ご教授願いたいなと」
ゴーグル君はうんうん唸る。そういうのかどうかは知らないけど、と前置いて。
「僕は姉ちゃんに教えてもらってるんだよね」
「なるほど」
名選手、名監督ということらしい。一人っ子の僕からすれば何とも羨ましいお姉さんだ。
「良かったら、一緒に勉強みてもらえるように頼んでみようか?」
「え、でも迷惑じゃ……」
「大丈夫だよ。姉ちゃんIQ六万くらいあるから」
「ううん。そうかい?」
弟の彼が言うんなら大丈夫なんだろうか。流石に六万は言いすぎだろうけど、教師としての腕も確かなようだし、ありがたいお話だろうか。だけど折角姉と弟が仲良く勉強しているところに図々しく入っていっていいものか。
結局明言は避けて、考えてみるということにして、お暇することにした。




